月刊総合雑誌拾い読み2004年号

月刊総合雑誌04年1月号拾い読み (03年12月25日・記)

 12月は、月刊総合雑誌の世界では新年。年初の号には、各誌それぞれの特徴が色濃く反映します。そこで、今回は、各誌ごと、入手順に、論評することにします。平成16(2004)年新年(1月)号の発行は、「イラクに自衛隊を派遣する基本計画の閣議決定」があった12月9日前後でした。自衛隊の派遣に関する、つまりは対イラク関連の論調につとめて触れることにしましょう。

 最近の『正論』は際立って北朝鮮関連の記事が目立ちます。1月号でも、「救う会拉致アンケート 全衆議院議員480人の回答を一挙掲載」や曽我ひとみ・拉致被害者家族連絡会「母の匂いと優しさに包まれた日々よ」などが、まず目を惹きました。上のアンケートは、編集部の構成ですが、拉致被害者救う会の協力を仰いでいます。同会の幹部たちが他にも3篇、寄稿しています(佐藤勝巳・同会会長「経済制裁に賛成した議員たちよ、政治生命をかけて選挙公約を履行せよ!」他)。対イラク関連では、菅原出・ジャーナリスト「アメリカ国民はイラク戦争を後悔しているのか」がアメリカ国内の動きをリポートし、米軍のイラクからの早期撤退は危険であると指摘しています。森本敏・拓殖大学教授「恒久法制定による安全保障改革のすすめ」は、イラク戦争への対応から一歩進め、日本の喫緊の課題を提示しています。

  『諸君!』の巻頭は、石原慎太郎・都知事「私は捏造報道を許さない」です。TBSが石原の発言としてテロップで流した「私は日韓合併の歴史を100%正当化するつもりだ」が捏造だったのです。TBSは番組内で詫びたのですが誠意が感じられないので、石原は名誉毀損罪で告訴するとのことです。捏造の真相は不明です。しかし、意図的な言論操作があったとしたら言語道断です。特集は「ニッポン分裂2004」。その巻頭対談は「『親米保守』vs.『反米保守』イラク決戦」です。親米保守に田久保忠衛・杏林大学客員教授、反米保守に西部邁・評論家と別れ、自衛隊派遣の是非を論じています。もとより反米保守は派遣反対です。

 立花隆・評論家は、今月も『現代』に「イラク『戦争論』」を寄稿し、戦争には大義がないとしアメリカ追随と小泉総理を批判しています。同誌は、水木楊・作家×森永卓郎・経済アナリスト「小泉続投で『景気・年金・老後』はどうなる」で小泉の経済政策に疑問を呈しています。疑問どころか、金子勝・慶応大学教授は「『景気回復』と煽る罪は限りなく重い」と全面否定しています。舛添要一「参院選敗北必至 小泉首相に猛省を求む」には、現職の自民党所属・参議院議員の筆によるものとは思えないほど厳しいものがあります。小林祐武・元外務省課長補佐「独占手記 外務省『驕りと腐敗』にいまだ反省なし」は、前号の続篇ですが、すべて事実だとしたら、あらためて官庁の腐敗ぶりには驚かされます。

  『論座』の特集「激化する戦争 問われる日本」は、アメリカの政策に批判的ですし、自衛隊派遣にも否定的です。寺島実郎・日本総合研究所理事長「21世紀日本外交の構想力 イラク戦争を超えて」は、アメリカ一辺倒から脱し、主体的なアジア外交を展開すべきだと論じています。日本は「衝突でなく対話を、混乱でなく繁栄を」の標語のもと、軍事力よりも人間と経済の健全な開発を目指すソフトパワーで貢献すべきと山内昌之・東京大学教授「日本の中東政策とソフトパワー」は展開しています。同誌が朝日新聞社発行であることから奇異に映ったのは、久米宏・TV朝日「ニュースステーション」キャスターを聞き手とする「元朝鮮労働党書記 黄長Y氏インタビュー 金正日の独裁に反対し北朝鮮の民主化を促進しよう」です。新聞、そしてテレビの路線転換の途を探るべく、その先駆けとして、雑誌の活用をはかったのでしょうか。

 前出の寺島実郎をホスト役とし、船橋洋一・朝日新聞コラムニスト、中西寛・京都大学教授との連続対談をもって、『潮』は、特別企画「創造的な『日米関係』を模索せよ」を編んでいます。寺島には近著に『脅威のアメリカ 希望のアメリカ』(岩波書店)があります。二つの対談は、この書のタイトルに象徴される二重性を問題にし、日米関係を基軸にしながらも、日本のアジアでの位置を探るものです。この特別企画に添うようにして2ページモノではありますが、石田衣良・作家「アメリカをひとりぼっちにしてはいけない」があります。自衛隊派遣賛成を明確に打ち出しているのです。同誌の発行元をあわせ考えるとき、注目すべきことでしょう。特集としての「メディアと人権」は、『週刊新潮』、その発行元の新潮社の徹底的批判です。創価学会が新潮社を実に数多く提訴していることがわかります。

 イラク戦争に、『世界』は、一貫して反対してきました。同誌1月号で刮目すべきなのは、防衛庁の高官から新潟県加茂市長に転じた小池清彦による「国を亡ぼし、国民を不幸にするイラク派兵」です。「自衛隊員でイラクに行くのがいいことだ、なんて思っている人はいません」であり、「小泉総理への信頼は地に堕ちています。もう、怨嗟の声でいっぱい」とのことです。特集は、「HIV/エイズ―『感染爆発』への警告」です。木原正博・京都大学教授と木原雅子・京都大学助教授の共著「エイズ問題が照射する日本社会の脆弱性」には驚かせられます。自分は関係ない、日本は安全だ、ではないのです。感染拡大の危険性が高いのです。忘れられがちな社会問題を掘り起こすことを得意としていると自負している同誌ならではの企画でしょう。

 大艦巨砲主義が得意な雑誌といえば、『文藝春秋』です。今月も、経済界の大物による論考(奥田碩・日本経団連会長「死に物狂いで成長を実現せよ」と出井伸之・ソニー会長「ソニー神話は五度崩壊した」)で賑やかです。奥田は、少子高齢化社会に対応した社会保障制度の構築とそのためにも消費税18%を主張しています。出井が言いたいのは、彼の入社以来、ソニーは五度の危機を迎え、そのつど蘇生してきたのであり、その繰り返しだということです。ただし、過去の成功体験に安住しているようでは、蘇生・発展は期待できないとのことです。特別企画「父が教える昭和史[戦後篇]」は、「日本は無条件降伏したかのか?」から「『全面講和』はなぜもて囃された」など24篇、曖昧になりがちな論点を整理しています。なお、陸自幹部座談会「自衛隊の本音も聞いてくれ」では、先の『世界』の小池とは違って、イラク行きを忌避するような自衛隊員はいないとのことです。ただ、テロリストを撃っても「殺人罪」に問われることになりかねない法的問題もあり、行動にあまりに規制が多く、そのため自らをも守れないのが問題だとのことです。

 菊地信義・装幀家により、『中央公論』は、表紙を一新させました。誌名を小さくし、内容を大きく盛った、文字の多い表紙ではありますが、軽快さを感じさせます。表紙一新とともに、「読みやすく、分かりやすく、親しみやすく」を心がけるとのこと。このこともあずかってのことでしょう、掲載論文を分類し、三つの特集を編んでいます。まずは、「『自衛隊イラク派遣』と首相の責任」です。まさしく総理大臣に国民への丁寧な説明を求めるものです。次に1ヵ月前の総選挙を総括した「小泉対菅―本当の勝負はこれからだ」です。蒲島郁夫・東京大学教授他「公明がどちらを選ぶかで政権は替わる」は説得性高い論考です。第3の特集は「2004年のキーワードはこれだ」です。「メディアになった『お菓子のおまけ』」など、経済効果を「キーワード」で探る試みです。

 現在の日本にとっての経済効果といえば、『ボイス』の総力特集「日本経済復活宣言」に勝るものはないしょう。巻頭対談の牛尾治朗・ウシオ電機会長×唐津一・東海大学教授「製造業は完全復活した」で、まず元気づけられます。日本の輸出は円相場とは無関係に拡大すると説く長谷川慶太郎「『デフレ好況』がやってくる」には勇気づけられるでしょう。特集内ではありませんが、松沢茂文・神奈川県知事「首都圏連合が日本を変える」は、八都県市の総合力で霞ヶ関政治を凌駕しようという気宇壮大な提言です。経済回復、その持続のためにも地方分権の進展を望みたいものです。なおイラク戦争に関しては、安部晋三・自民党幹事長×古森義久・産経新聞編集特別委員「自衛隊派遣は日本の義務だ」の1篇だけですが、この対談のタイトルに同誌の方針が窺えます。 

 総選挙の総括関連を期待しました。しかし残念ながら、上述の蒲島他による以外、強く推薦できる論考が見当たりませんでした。(文中・敬称略)



月刊総合雑誌04年2月号拾い読み(04年1月20日・記)

 新年早々に世に出た月刊総合雑誌2月号に目を通していた、ちょうどそのとき、陸上自衛隊の先遣隊がイラクに出発しました(1月16日)。ですから、どうしてもイラク関連の論考が気になりました。

 『正論』は、従来から自衛隊をイラクに派遣すべきとの論陣をはってきています。2月号でも、潮匡人・聖学院大学講師「拝啓 石破茂防衛庁長官殿」などが「堂々たる『軍隊』として送り出してほしい」と派遣に強く賛意を示しています。同誌には、経済産業大臣・中川昭一も登場しています(「日本よ、大義の前に怯むなかれ」)が、より目立つのは、中曽根康弘・元総理と石原慎太郎・都知事の対談「起て!日本よ 今こそ戦後の呪縛を断ち切れ」です。平和憲法という“虚妄”から脱し、憲法改正に踏み込まねばならない、というものです。

 石原は、『諸君!』でも、佐々淳行・元内閣安全保障室長と対談(「国難は、憲法を超える」)し、緊急時には、平和憲法の拘束を無視し、対応せざるを得なくなると力説しています。中西輝政・京都大学教授「小泉首相よ、『歴史の挑戦』を受けて立て」は、「(自衛隊派遣をせずに)国家としての気概を示さない」と「国家存立の基盤そのものを失い始める」ことになると警告しています。

 自衛隊出身の志方俊之・帝京大学教授は、「自衛隊はイラクで強くなる」(『ボイス』)で、想定される危険を詳述しつつも、「自衛隊にとって正念場である。彼らの活躍を大いに期待したい」と結び、かつ小泉総理は日本の国益のため、戦後最大の決断を下したと高く評価しています。

 紙幅の関係上、北岡伸一・東京大学教授「改めて説く『自衛隊イラク派遣』の意味」『中央公論』には説得力がある、とだけ記しておきましょう。

 もとより、自衛隊派遣に反対の声や懸念も、総合雑誌に寄せられています。たとえば、『現代』では、寺島実郎・日本総合研究所理事長は田中康夫・長野県知事との対談(「アメリカ軍撤退のシナリオを読む」)で、日米同盟を基軸としてアメリカに盲従するのは誤りだし、いつなんどきアメリカが政策転換し、イラクから撤退するとも限らない、このことをも視座に据えなくてはならない、と説いています。さらに同誌には、ポール・クルーグマン・米プリンストン大学教授「日本はまだ嘘つき大統領の肩をもつのか」があり、アメリカ国内には根強いブッシュ政権批判があることをも紹介しています。

 一貫して、自衛隊の海外展開に反対してきた『世界』の今月号には、天木直人・前レバノン大使「自衛隊イラク派遣は取り返しのつかない誤りだ」があります。天木は、アラブの国のひとつであるレバノンで得た情報をもとに、アメリカのイラク攻撃には正当な理由がなかった、としています。アメリカのイラク攻撃の非とそれに追従する愚を大使時代に、総理・外務大臣に意見具申し、そのため解雇された、とのことです。国民の利益に背馳した政策を推進していると、小泉総理、現今の日本外交を厳しく難じています。

 なお、外務省のスタンスに関しては、高島肇久・外務省外務報道官「二人の外交官の殉職とイラク復興支援」『論座』が、昨年11月29日に殉職した2人を偲びつつ、淡々とした筆致で説明しています。高島によれば、自衛隊の派遣はイラク復興のための「顔の見える支援」なのです。武器の携行はあくまでも万一の場合に備えてのことで、「軍事行動を行うかのような報道は全くの誤解である」とのことです。つまりは平和憲法に抵触しないと言いたいのです。

 しかし、先の石原の言にあるように、実際には、超法規的な対応・行動をとらざるを得ないかもしれません。つねに憲法との関係を意識せざるを得ません。

 そのためもあってのことでしょう。『論座』が「9条改憲論の研究」を特集しています。同誌にも、天木・前レバノン大使が「自衛隊否定は非現実的 ごまかしは限界だ」を寄稿しています。憲法を改定すべきとしながら、石原たちとは違い、あくまでも平和憲法の趣旨を維持すべきとするのです。またアメリカの安保政策の変遷に合わせて改憲するのは本来あるべき姿ではない、と主張しています。

 同特集には、「安倍晋三 自民党幹事長 独占インタビュー」や愛敬浩二・名古屋大学助教授「九条改定論の変遷と現在」、豊秀一・朝日新聞論説委員「改憲論の底流にあるもの」などもあります。各論考の立場は違いますが、議論を整理するさいに有用です。きわめて参考になります。

 前レバノン大使・天木は、上記の論文に先立って、『さらば外務省! 私は小泉首相と売国官僚を許さない』(講談社)を上梓しました。この書物を論難しているのが、田久保忠衛・杏林大学客員教授「卑しい外交官の醜い告発本」『諸君!』です。田久保によれば、天木は非武装中立論者で、それに基づく意見具申が否定され、退職せざるを得なかっただけなのです。にもかかわらず、天木は、臆面もなく自らが属していた役所の恥を、つまりは自らの恥を、天下に曝すという愚挙に走ってしまった、と田久保は批判しています。

 話は変わりますが、「マダム・バタフライ」の初演は1904年。ミラノのスカラ座で、作曲はプッチーニ。浅利慶太・演出家「スカラ座の『マダム・バタフライ』」『文藝春秋』は、「西洋の巨大な才能が十九世紀末から二十世紀にかけて、東洋の日本に起こった二つの文明の衝突を描いたまさにその時、奇しくも巨大な白人国家に黄色人種の小国が挑んだ日露戦争が勃発した」と指摘しています。

 まさしく日露戦争から100年。

 『中央公論』の特集「日露戦争100年と司馬遼太郎」は読み応えがあります。山崎正和・劇作家×関川夏央・作家「自由な『明治』の合理的日本人」は、司馬遼太郎の代表作「坂の上の雲」を読み解き、この100年の日本・日本人の歩みを歴史に位置付けます。「明治」日本人は見事に危機を乗り切りました。にもかかわらず、先の戦争のような愚を犯すにいたったのは何ゆえなのでしょうか。日本とは何か、日本人の可能性とは何かを考察するさいの参考となります。  

 保阪正康「過去を範としなかった昭和の後裔」が指摘するように、「昭和のある時代は、過去を教師とすることなく、歴史を自らの時代を正当化するために利用した」のです。今後は、このような事態を招かないよう、歴史への洞察力を涵養したいものです。

 そのためにも、世界帝国ローマの衰亡記に取り組んでいるイタリア在住の塩野七生への『現代』のインタビュー「国家の衰亡とリーダーの迷走」をも併せ読むようお勧めします。

 また、昨年が映画監督・小津“生誕100年”でした。昨年12月、日本と海外の映画監督、映画評論家、出演した女優が集まり、小津映画に関し、国際シンポジウムが開かれました。その一部が「生きている小津」と題して『論座』に紹介されています。そのうちの映画監督としては後輩たる吉田喜重のスピーチが出色です。小津監督が俳優を「俗なるもの」と「聖なるもの」とに使い分けたなどとの指摘に吉田の鋭さを感じさせられます。

 子どもが加害者となる事件が急増しています。この問題に取り組んでいるのが、『世界』の特集「私たちは若い世代を『育てている』か」です。巻頭の尾木直樹・教育評論家「子どもを育てられぬ大人たち」によれば、加害少年を厳罰に処したり、監視を強めても犯罪防止につながらないとのことです。むしろ、「(子どもが)どんなに大きな問題をかかえていても、家族や教師など身近な大人からたっぷり愛されているのだという実感こそ、犯罪の抑制に必要」なのだそうです。さらには、“学校創り”や“街創り”に大胆に子どもを社会の一員とし参画させるべきだと展開しています。

 『中央公論』の特集「教育の希望を求めて」の玄田有史・東京大学助教授「十四歳に『いい大人』と出会わせよう」は、尾木の“街創り”の一例と位置づけることができます。中学の2年生、つまりは14歳の子どもたちに、社会参加や職場体験を行わせると、社会性を身につけることができ、不登校の生徒たちの心にすら灯をともすことが可能になるそうです。

新年を迎え、イラク戦争に始まり、歴史、教育、種々考えこまされました。そんなおり、月刊総合雑誌は有用だと改めて実感しました。(文中・敬称略)

 

月刊総合雑誌04年3月号拾い読み(04年2月20日・記)

 『文藝春秋』「編集だより」によりますと、第130回(平成15年度下半期)芥川賞受賞者の選考結果を知らせる会見場は、異様な熱気・興奮に包まれたそうです。その後のメディアの加熱ぶりは、ご存じのとおり、一種の社会現象となっていますね。史上最年少の芥川賞作家の誕生、しかも二人の受賞者が、19歳(綿矢りさ「蹴りたい背中」)と20歳(金原ひとみ「蛇にピアノ」)の女性ということもあって、世間の耳目を集めたようです。

 受賞作を、『潮』のグラビアページ「今月の人」欄(撮影・文=岡村啓嗣)は次のように紹介しています。「『蛇にピアス』は、主人公の少女がピアスや入れ墨などの身体改造を通じて結ばれる男女の過程を強烈なイメージで描き出した。綿矢さんの『蹴りたい背中』は、仲間から弾かれた男女の惹かれる気持ち、その微妙な距離感、『蹴りたい』としか表現できない気持ちを魅力ある文章で表現した」。

 芥川賞受賞者はその世代の代表、また、受賞作の世界はその世代の感性をもっとも鋭敏に反映するものとみなされてきています。両作品は恒例として『文藝春秋』に選評とともに掲載されています。日頃、文学に無縁な方々も一読すべきではないでしょうか。

 毎月、イラク戦争関連の論考を紹介してきました。他に目を転ずべきかもしれませんが、この項を綴り始めたころ(2月初旬)、自衛隊がイラクでの活動を本格化し始めましたので、どうしてもイラク戦争に関する記事が気になりました。『文藝春秋』は、「自衛隊派遣 私はこう考える」と題した著名人37人へのアンケート結果を掲載しています。賛成は阿川尚之・駐米公使はじめ16人、反対は村山富市・元総理など15人。あとの6人は、突き詰めて考え、明確な意思表示をすべき問題であるにもかかわらず、「どちらとも言えない」です。その顔ぶれが意外でしたので、ここに記しておきます。後藤田正晴・元官房長官、片山善博・鳥取県知事、蓮實重彦・元東大総長、和田秀樹・精神科医、呉智英・評論家、永六輔・タレント、以上の6人です。

 自衛隊へ派遣命令を発出した防衛長官・石破茂が『正論』(潮匡人・聖学院大学講師との対談「自衛隊に活路はあるか “法治国家”という逆説の苦悩」)と『諸君!』(聞き手=さかもと未明・漫画家「防衛庁長官の『責任』と『覚悟』」に登場しています。前者では、石破は、憲法・法律要件の制約下での自衛隊の活動の困難さを率直に語っています。後者では、自らの生い立ち・家庭環境などを語り、自衛隊派遣への断乎たる決意を表明しつつも、偏執的な「軍事オタク」ではないことを強調しています。

 一貫して反対の誌面を作成してきている『世界』は、今月は二人の作家の論考 (辺見庸「抵抗はなぜ壮大なる反動につりあわないのか」、高村薫「『あれかこれか』ではなく第三の道を」) を掲載しています。

 中西寛・京都大学教授「国際政治から見た『自衛隊イラク派遣』の意味」『潮』は、「アメリカが孤立すれば世界のバランスが崩れてしまう。(略)多少の問題があろうともアメリカが世界のリーダーであり続けることが、世界の平和のためにはいいのではなかろうか」との認識のもと、自衛隊派遣支持を明言しています。

 中西などの説に真っ向から反対なのが、立花隆・評論家「イラク派兵の大義を問う」『現代』です。シベリア出兵から歴史の教訓をくみとり、イラク人からアメリカと一体と見られる危険を説いています。“派遣”でなく、“派兵”との用語を使用していることにも、立花の立脚点を想定できます。

 山折哲雄・国際日本文化研究センター所長は、『中央公論』での御厨貴・東京大学教授との対談「国家のために命をかけるということ」で、派遣賛成・反対以外にも重要な論点があると指摘しています。自衛隊員は死を覚悟して出動せざるを得ないのです。自衛隊員の心の痛みに思いをはせないのは思考停止であり、無責任だと難じています。また、殉職者が生じたらいかに祀るのか、と問題提起しています。特に団塊の世代が死を意識する緊張感を有していないと問題にしています。

 その団塊の世代は、山折によれば、1,000〜1,200万もいるのであり、10年後には高齢期を迎えます。だからこそ、年金問題が生じてきているのです。

 坂口力・厚生労働大臣が「年金改革は『国づくり』の土台」『潮』で、宮武剛・埼玉県立大学教授を聞き手に日本の年金制度の将来を語っています。現今の与党案は、保険料負担の上限を当面18.35%に抑え、給付水準は現役世代の平均年収の50%を確保するというものです。

 しかし、保険料は現行の13.58%から引き上げられるのですし、最初は自らの最終所得の何%という保障がいつのまにか現役世代の年収50%となってしまったのです。だからこそ不信が高まり、保険料未納者が増加しているのです。このような不信感を払拭するような制度を求め、かつ個人の損得を超え、年金制度の理念に迫ろうとしているのが、『世界』の特集「公正・公平な年金とは?」です。

 もともと現今の年金制度への不信感を煽ったのは、「保険料を上げないと年金制度はもちませんよ」との厚生労働省のキャンペーンだ、と金子勝・慶応大学教授が指摘しています(右の特集内の川本隆史・東北大学教授との対談「『世代間扶養』はありうるか?」)。厚生労働省の言うとおりであるならば、個人が将来の保険として若い頃から積み立てる「積み立て方式」であれば、現在、無理して積み立てても将来の保障は確実ではなさそうです。ところが、金子が説くように、「実態は、少子高齢化が進むにつれて、現役世代の保険料を高齢世代の年金給付に流す『賦課方式』に移行しているのです」。ですから、現在の高齢者の年金を現在の勤労者が、将来の高齢者の年金を将来の勤労者が負担する方式、その比率に社会的合意が得られれば問題がないはずなのです。つまりは、世代間、先発世代の面倒を後発世代がみるシステムが確立できればよいのです。

 その観点からの論考には、ロナルド・ドーア・ロンドン大学教授「年金の未来のために『養老税』を提唱する」『中央公論』があります。

 厚生労働省は目先の問題対応・解決に性急でありすぎたのです。だから、「年金危機は作り話だ」(加藤寛・千葉商科大学学長×渡部昇一・上智大学名誉教授の『ボイス』での対談)ということになるのです。

 『論座』も、「どうする年金―論争に死角はないか」を特集しています。

 自らの年金がいくらになるかを計算するだけでなく、今月の総合雑誌の年金に関する論文に目を通し、年金の全体像・将来像を把握するようお勧めします。

 先月の『中央公論』(「日露戦争一〇〇年と司馬遼太郎」)に続けて、今月は『諸君!』が「日露戦争と百年後の日本」を特集しています。

 半藤一利・作家「それからの『坂の上の雲』の英雄たち」によれば、「日露戦争後の日本は、勝利に驕って謙虚さや真剣さをすっかり失ってしまった。“褒められざる国家”になっていった」のです。その理由は。半藤によれば、簡単です。とかく作戦拙劣とされる乃木秀典大将ですら男爵から伯爵に2階級特進させるなど、論功行賞の大盤振舞いがなされたのです。その対象者は、陸軍65人、海軍35人にも上ったのです。これでは、失敗から教訓を得るような姿勢は望めません。歴史を正確無比に描くわけにはいかなくなります。かくして、悲惨な40年後(1945年)に突き進むことになったのです。

「坂の上の雲」は、もとより司馬遼太郎の作品です。日露戦争時、国際舞台上での日本・日本人の苦闘振りを描いた大作です。ウィリアム・E・ナフ・マサチューセッツ州立大学名誉教授「『坂の上の雲』英訳者が語る『司馬史観』」は、司馬の作品の「透徹した歴史検証、平衡感覚、説得力、徹底した人間の描き方」を他に例がないと高く評価しています。さらには、誰かが再び日露戦争に取り組んでも、「(司馬と)同じくらい巧みに語る可能性」は極めて小さいとまで記しています。しかし、司馬作品は、あくまでも小説です。フィクション(虚構)によるイメージ形成の手法がとられています。司馬の小説としての大作に匹敵・対抗するような歴史家の営みが待望されます。(文中・敬称略)

    

 

月刊総合雑誌04年4月号拾い読み(04年3月20日・記)

 台湾の総統選挙(3月20日)の10日ほど前に月刊総合雑誌4月号が出揃いました。その総統選挙を真正面にすえた特集(「『台湾独立』是か非か―総統選は日本の問題だ」)を『中央公論』が編んでいました。総統選の混乱の原因を把握しようとするのであれば、巻頭の若林正丈・東京大学教授「九六年以後―総統選がつくってきた台湾独立論」だけでも一読すべきでしょう。台湾の人々の多くは、大陸中国との経済的相互依存関係を深めながらも、台湾アイデンティティを求めています。総統選ごとに、台湾の民意は、米中そして日本の狭間にあって、ナショナリズムへの傾斜を強めてきています。それを危険視する潮流もあり、対立の構図には根深いものがあります。台湾政情の歴史的経緯・国際的政治環境の変化を、若林論文は簡潔に説いています。

 躍進を続けてきた中国企業にも翳りがみられるようです(たとえば、上官文彦・ジャーナリスト「ハイアールは張り子の虎だった」『文藝春秋』)。

 その他、中国関連の特集に、『諸君!』の「『銭こそがすべて』の中国」があります。タイトルから受ける印象ほど中国を否定的に捉えているわけではありません。ビジネス・経済的観点から、冷静に中国との関係を問い直そうとの試みです。葛西敬之・JR東海社長「新幹線売込み『中国詣で』は国益に反する」では、対中国関係においては、日本側が熱意を示せば示すほど損をする構図が浮かび上がってきます。

 しかし、今後、隣国・中国との経済的関係は、よりいっそう深めざるをえません。また、上記の上官論文が問題提起しているように、中国企業・経済は真にグローバル化するには種々難題を抱えています。

 矢吹晋・横浜市立大学教授×渡辺利夫・拓殖大学教授「『人民元切り上げ』と北京五輪」で、渡辺は、中国北京五輪開催される2008年までは順調に成長を続けますが、その年が分水嶺となり、諸制約が顕在化すると指摘しています。矢吹は、人民元の切り上げはあったとしても、5〜10パーセントの間であり、大勢には影響はないと指摘します。そのうえで、中国を含め、隣国の多くが経済的にテイクオフを遂げた結果、「日本は初めて周囲に問題意識を共有できる対等のパートナーを得た」と矢吹は分析しています。渡辺によれば、「アジアのアジア化」が進むのです。中国の真のグローバル化があって、ようやく「アジアは一つ」が現実の世界で実現し、その中での日本のあるべき姿が求められるのであり、日本の可能性が開けていくのだと、二人は力説しています。

 ところで、先月も年金問題を取り上げましたが、公的年金の徹底的改革が行われないのは、それなりの理由があるようです。榊原英資・慶応大学教授「日本型国家社会主義『年金・郵貯』を清算せよ」『中央公論』によれば、年金・健康保険等の公的金融は大きくその規模を拡大し、政府業務全体の半分以上を占めるようになっています。しかし、年金も医療保険も悪平等の傾向が強く、かつ「社会主義」的統制下にあります。年金・郵貯という公的金融が日本型国家社会主義「1940年体制」という日本型システムを支えているのです。「公」の肥大化を止めない限り、日本はいずれ破産する、とのことです。

 日本型システムには、他にも検討すべき点がありそうです。日本のアニメは、世界に影響力をもつ「ソフトパワー」となりました。しかし、その産業としての基盤は従来型の下請け体制にあり、きわめて脆弱です(岸本周平・経済産業研究所フェロー「このままで日本アニメは衰退する」『中央公論』)。戦略的産業政策が必要とされています。

 日本型システムのうち、とくに政府部門は抜本的改革が必要なようです。しかし、経済の回復とともに、民間部門では、日本型システムと言わないまでも、日本型経営が再評価され始めています。

 長く低迷が続いていた松下電器産業もV字回復しました。その立役者たる中村邦夫・同社社長は「『幸之助精神』の破壊者と言われて」『文藝春秋』で、チームワークによる「全員経営」の重要性を強調しています。さらに、米国流の成果主義は成果が上がらない人間を「ほっぱらかし」にすることになり、かえってマイナスになると、その導入に反対しています。

 地方都市・岡山にあって、小規模ながら、インターフェロンの大量生産に成功し、世界的に高名となった林原の社長・林原健も「小さなバイオ企業、世界を制す」(『ボイス』での唐津一・東海大学教授との対談)で、くりかえし社員間の人間関係の重要さを説いています。『中央公論』では、キャノン社長の御手洗冨士夫が「企業DNAを生かせば製造業は必ず復活する」で、ひところのアメリカ型経営礼賛論を全否定し、密度の濃い社会である日本には独自の人事政策があるとし、終身雇用の効用を熱く説いています。

 「日本型年功制」が企業を救うとまで、高橋伸夫・東京大学教授「『成果主義の虚構』を崩す」『現代』は断言しています。もっとも横並びでよいと言うわけではありません。日本企業は、単純な昇進・昇給による評価ではなく、次の仕事で報いるという向上心の喚起や企業の発展につながるシステムを有していたのです。つまり、仕事の成果は次の仕事で報いるのが日本型人事システムです。大きな仕事を任されるようになると、おのずとそれに見合ったポストや報酬も伴うわけで、自然に差がつくのが「日本型年功制」なのです。

 企業と社員・個人との関係では言えば、日亜化学工業をめぐる問題を無視できません。ご存じのように、青色ダイオードの発明者・中村修二がかつて勤務していた日亜化学工業に発明の対価として200億円を請求し、東京地裁で認められました(1月30日)。

 小川雅照・日亜化学創業者「長男」「日亜化学『200億円』敗訴」の恥を創業家としてあえて晒す」『現代』によりますと、中村は創業者とは2人3脚的な協力関係にあったのですが、2代目の婿養子に陰湿な苛めにあったとのことです。

 そうであったとしても、200億円は妥当な金額でしょうか。それを詳らかに論じているのが、山口栄一・同志社大学教授「『二百億円判決』中村修二は英雄か」『文藝春秋』です。山口によれば、中村が「独力で、まったく独自の発想に基づいて」特許発明したわけではありません。一小企業として存亡をかけた多額な投資、リスクへの挑戦がなければ実現できなかったのです。山口の計算によれば、発明の対価は最大2億円程度となります。

 何はともあれ、中村の訴えは、企業と社員・個人の関係を考え直す上で意義がありました。経済に回復の兆しがあるので再評価の動きがあるとしても、全体としての日本型システム、日本型経営、そして企業と社員・個人の関係が問われたのです。また、問い続けていかなくてはならないのです。

 アメリカでBSEが発症し、アメリカは日本側の主張する牛の全頭検査に応ずる気配はなく、輸入はストップしたままです。そのため、牛丼チェーンから牛丼が消えてしまいました。神里達博・社会技術研究システム専門研究員「米国BSE騒動に見る科学と政治」『論座』によれば、全頭検査は“科学的でない”とする米国の主張のほうが、“科学的でない”のです。だからこそ、森永卓郎・エコノミスト「牛丼『復活』を自立国家の悲願とせよ」『中央公論』は、食糧に関してまでアメリカに追従してはならない、日本の食の安全のため、「アメリカにきっちり物を言うべき」だと主張しています。

 また、トリインフルエンザが国内でも発生し、自殺者まで…。では、牛とトリとではどちらが大問題なのでしょうか。それに真っ向から答えているのが、青沼陽一郎・ジャーナリスト「トリと牛、どちらが危ない?」『文藝春秋』です。トリは熱処理をきちんとすれば危険ではありません。一方、アメリカ産牛肉は、ここでの詳述は避けますが、種々多々再検討すべき点がありそうです。

 日本の食糧自給率は供給カロリーベースではたった40%、穀物に限ればなんと28%です。森永も、青沼も、輸入食糧の安全性・品質に疑問を表明すると同時に、食糧の自給率の低さを問題視しています。食糧面での安全保障に早急に国を挙げて取り組むべきでしょう。(文中・敬称略)



月刊総合雑誌04年5月号拾い読み(04年4月19日・記)

 イラクで日本人3名が拘束されたとの報に接したとき(4月8日)、ちょうど月刊総合雑誌5月号を手にしていました。各誌は、かかる事件が生じることを想定して編集していたわけではないことは承知しています。しかし、あらためて各誌がイラクをどのように扱っていたかに興味を持ちました。

 臨場感溢れるのは、勝谷誠彦・コラムニストの「本誌特派 死に損ないイラク独航記」(『現代』)です。フセインが隠れていた穴や日本人外交官襲撃の現場をも取材しています。それらの報告も見事ですが、圧巻は、拘束された3人と同じ行程で、ヨルダンから車でイラク入り(3月2日)したのですが、その途次、強盗に遭遇し、大金やカメラを巻き上げられてしまう経緯です。取材を続けるためには、護衛を雇わざるを得なくなります。戦場であり、まさしく混沌たる危地だったのです。NPO活動・ボランティア活動にとっても危険きわまりないわけです。

 『現代』には、半田滋・東京新聞記者が「番匠一佐の決断 サマワ自衛隊密着1ヵ月」もあります。『文藝春秋』は、「イラク派遣隊長日誌 砂塵と銃声の荒地で」(番匠幸一郎・一等陸佐)を独占掲載しています。この2篇に描かれている、「北の国から」来た隊員たちが気温差70度に耐え、奮闘している姿には脱帽したくなります。自衛隊、そして日本の使命は、鈴木秀生・外務省総合外政局企画官「“イラクの真珠”サマーワから希望のメッセージを」(『正論』)によれば、イラクという大きな貝に核となる粒を入れたのであり、その粒が「立派な真珠に育つよう」にすることだそうです。

 総合雑誌のうち、『論座』と『世界』はもともと自衛隊の派遣に反対です。ですから、『論座』の「ルポ 自衛隊のまちで」(諸星晃一・朝日新聞旭川支局員、岩堀滋・朝日新聞春日井支局長)では、立派に活躍している自衛隊員も、派遣命令に逡巡しながら従ったまでで、政治に翻弄される哀れな存在ということになります。『世界』は「いま、すぐ撤兵を!」と題する特集を編み、「過った戦争・占領に協力してはならない」と声高に主張しています。同特集は、巻頭の山口二郎・北海道大学教授の「大義なき占領への加担は許されない」をはじめ、従来の主張の繰り返しのような観がありますが、酒井啓子・アジア経済研究所参事「主権委譲に向けたイラクの課題とは何か」は読み応えがあります。暫定政権での宗派人口ごとのポスト配分は、アメリカによって導入された試みであり、結局は宗派対立の波に巻き込まれて行きかねないようです。

 3月20日、台湾総統選挙の投開票が実施され、民主進歩党の陳水扁候補(現職)が得票率で0.228%という僅差で、国民党・親民党連合候補の連戦を破り、再選されました。

 伊藤潔・東アジア政治史学者の「陳水扁銃撃は台湾を変えたか」(『諸君!』)は、今回の総統選を台湾人と共産党に大陸から追われた国民党軍を中心とする在台湾の中国人(いわゆる外省人)との戦いとして、歴史的背景を含め、詳しく描いています。そして台湾人たる陳水扁が勝利したのです。『正論』の大島信三・同誌編集長による「台湾総統選の真の決め手は銃撃選より人間の鎖」も、伊藤と同意見です。台湾独立を求める台湾人の力が結集した、つまりは人間の鎖が強固だったがゆえの陳の勝利なのです。

 陳候補銃撃事件、選挙無効の訴えなどがあり、民主主義の原則に反する動きがありました。しかし、『中央公論』の酒井亨・ジャーナリストの論稿のタイトルのように、「台湾の民主主義は首の皮一枚でつながった」のです。

 さらに、伊藤、大島、そして酒井も、『ボイス』の古森義久・産経新聞特別編集員「なぜ陳水扁は再選されたか」も指摘するように、台湾ナショナリズムが着実に成長しています。『現代』は、“陳水扁総統の後見人”ともいうべき李登輝・前総統への取材などに基づいた、近藤大介・同誌編集部員の「陳水扁勝利は台湾の悲哀を拭えるか」を掲載しています。李によれば、台湾は「台湾独立」、つまりは新憲法制定に向かうとのことです。

 台湾海峡を隔てて、「中華」を国名に冠する二つの国家が分立している“現状”があります。その“現状”を日本における台湾研究の第一人者と目されている若林正丈・東京大学教授は、「結びつく経済、離れる心」と表現しています(「『真実の瞬間』は近づいているか?」『論座』)。中台間の貿易額は1992年の74億ドルから2000年には300億ドルになり、台湾から中国への直接投資は年平均20億ドル以上となっています。まさしく「結びつく経済」です。しかしながら、政治的には違った方向にあります。若林は以下のように説きます。

 「『離れる心(政治)』には二つの側面がある。一つは、民主化である(天安門事件で中国では民主化が挫折し、台湾では成功したことを想起せよ)が、もう一つは、『独立』を求める台湾ナショナリズムの台頭である」。

 どうも、間違いなく、多くが指摘するように、台湾は、独立・新憲法制定に向かいそうです。だから、“現状”の維持は困難となり、台湾海峡の平和と繁栄に利害を有するすべての政府、国民が重大な選択を迫られる時(「真実の瞬間」)が近づきつつある、と若林は予言するのです。

 一方、大陸中国の存在を、日本はいかに考えるべきなのでしょうか。

 中国の経済力には端倪すべからざるものがあります。『文藝春秋』で沈才彬・三井物産戦略研究所中国経済センター長が「中国が日本を追い抜く日」で、その巨大工場ぶりを紹介しています。ただ、同誌の丹羽宇一郎・伊藤忠商事社長の「中国ビジネス成功への十ヵ条」によれば、中国は日本にとって脅威などではなく、望ましき大きなマーケットなのです。

 そこで、『ボイス』は「総力特集 チャイナ特需の正体」として6篇をまとめて掲載しています。日本の景気回復は旺盛な中国経済に引っ張られてのこととの分析もあります(峰如之介・ジャーナリスト「チャイナ特需最前線」)。だからと言って、日本経済が中国経済の後塵を拝するというわけではなさそうです。長谷川慶太郎・経済評論家の「中国の未来は日本次第」は、中国の産業発展には日本からの技術導入が不可欠だと、自信満々です。堺屋太一・作家も「日中『工程分業』のすすめ」で、日本の強みは知的かつ高価な労働集約的産業にあり、中国とは共存共栄できると楽観的です。ちなみに、葛西敬之・東海旅客鉄道社長が、竹村健一・評論家との対談(「商売に過剰な熱意は禁物」)で、中国への新幹線輸出は、台湾のときと違い、ビジネスにならないと指摘しています。

 なお、矢吹晋が横浜市立大学教授としての最終講義に加筆した「田中角栄の『迷惑』毛沢東の『迷惑』昭和天皇の『迷惑』」(『諸君!』)は、日中関係における捩れを見事に解析しています。日中国交正常化交渉時、田中総理の中国に「迷惑」をかけたとの発言が問題となりました。「迷惑をかける」とは、中国語では、婦人の衣に水をかけたときなどに使うのだそうです。その程度しか、中国に「迷惑」をかけていないのだと認識しているのか、と中国側は不満だったのです。

 しかし、最終的には田中の釈明を「誠心誠意表示謝罪」として毛沢東・周恩来が受け入れたとのことです。その後の天皇の言葉も謝罪としてきちんと受け止められたのです。では、何ゆえに中国側はその後、何度も日本は謝罪を求めるのでしょうか。日本の外務省の記録では、日本語の原文がどのように翻訳されたかが重要視されず、正確には残されていません。反論の材料が残っていないのです。そのうえ、中国側は、毛・周が日本側に譲歩しすぎたのではとの見方が台頭し、日本は「謝罪」していないと主張するようになったとのことです。

   いずれにしましても日本、中国・台湾の関係には複雑な要素が多々あります。それらを一つ一つほぐしていかなければならないようです。ただ、五百旗頭眞・神戸大学教授が『中央公論』(「反中“原理主義”は有害無益である」)で説くように、日本は、国際システムの中で、中国が安定した責任ある国になるように誘導すべきなのは確実でしょう。(文中・敬称略)

月刊総合雑誌04年6月号拾い読み(04年5月20日・記)

 今春のテレビ番組改編での最大の話題は、久米宏の後継に古舘伊知郎が起用され、「ニュースステーション」が「報道ステーション」となったことです。

 その古舘の評判が、番組改編から1ヵ月後(5月初旬)に発売となった月刊総合雑誌6月号では、良くありません。キャスター経験のある作家、亀和田武は、「古舘の顔が緊張でこわばり、声のトーンがやや耳障りなほど、りきんでいるように聞こえた」ため、「(視聴者も)動揺してしまい、のんびりニュース」を楽しめなかったとのことです(「古舘伊知郎が脅える『久米の亡霊』」『文藝春秋』)。

 『正論』の2篇にはさらに厳しいものがあります。サヨクウオッチャーと称する中宮崇は、「わざとらしい演出と知性のカケラも感じられない」とし、「馬鹿者」とまで酷評しています(「独善と偽善で世論をミスリードするTV報道の害毒」)。さらに産経新聞文化部メディア班による「やっぱりおかしい古舘伊知郎キャスター『妄言録』」は、イラク邦人人質事件の報道ぶりを取り上げ、「反米」と「人質擁護」に極端に偏っていたと斬って捨てています。

 イラク邦人人質事件関連では、「戦争の大義の不在がジャーナリズムでよく話題にされるが、実はジャーナリズムの公共性という大義もまたその幻想性を露呈しつつある」との指摘があります(武田徹・東京大学特任教授「戦場で人質となったジャーナリストの幻想」『中央公論』)。古舘や報道ステーションの問題として矮小化することなく、TV、報道全体、ジャーナリズムのあり方を再考すべきときがきています。

 イラク関連では、『中央公論』は、先の武田の論考を含め、「改めて問う、日本の自己責任」を特集しています。『文藝春秋』は「日本人人質事件の病巣」と題し、青沼陽一郎・ジャーナリストによる「イラクの中心で愛をさけぶ人達」と江畑謙介・軍事評論家たちによる座談会「自衛隊撤退は誰も望まない」を掲載しています。『世界』の特集は、「『イラク人質事件』から見えてくるもの」です。同誌によれば、詳述するまでもなく、諸悪の根源はアメリカにあり、自衛隊派遣にあるのです。『論座』には、「総力特集 泥沼イラク どうする日本」があります。イラク問題は重要です。ですから、毎々月、取り上げてきました。そのため、他を紹介する余裕を失ってきたようです。今月は、上記4誌の特集を紹介するにとどめおきます。

 『中央公論』は「武士道と日露戦争」をも特集しています。開戦から百年ですし、昨今の武士道ブームを視座にすえたものです。20世紀は戦争と革命の世紀だった、その幕開けを告げる情報戦争・広報戦争だった、との山室信一・京都大学教授の分析(「“広報外交”が生かす武士道精神」)には鋭さがあります。

 期せずして、『文藝春秋』も開戦百周年企画として「父が子に教える『日露戦争』」を編んでいます。特集タイトルやアプローチの違いが両誌の創刊の経緯や成立ちの相違を伺わせて興深いものがあります。もとより『中央公論』は硬く論を立て問題に迫ろうとします。一方、『文藝春秋』は「『強敵ロシアになぜ勝てたの?』と子供に聞かれたら」とサブタイトルにあるように、平易さを心がけています。同誌は、中西輝政・京都大学教授の「日本が『世界史』に躍り出た日」を巻頭に、読みやすい短い17篇を集録しています。

 日本勝利の主因は、『中央公論』『文藝春秋』2誌の特集によれば、武士道です。それをもって文明国たらんとしたのです。

 なお、現在は「反戦・平和」を標榜する朝日新聞も戦死を美談として報じ、かつ戦勝気分を過大に煽ったとのことです(長山靖生・評論家「朝日新聞は『戦争報道』で大躍進」『文藝春秋』)。このような報道・思考が、先の『中央公論』の山室も指摘していますが、日比谷焼打ち事件を惹起し、武士道を破滅的な方向に拡散させ、ひいては国の針路を誤らせることに繋がっていったのです。

 『中央公論』は、先の2特集に加え、西修・駒澤大学教授による「無改正は世界の非常識だ」を巻頭とし、津田歩・読売新聞記者の「もはやタブーは払拭された」で締める「『世界最古』日本国憲法の疲労度」をも特集として編んでいます。実は、今月号から『中央公論』の編集長が交代しました。あたかも『中央公論』は、読売新聞傘下、改憲勢力の一翼を担うことを決したかのようです。

 トヨタ自動車が純利益で日本企業では初めて1兆円の大台に乗せました。同社をトップとして、空洞化が憂慮されていた製造業が活気づいています。このことに、『ボイス』が悦ばしげに焦点をあてています(「特集 製造業が甦った10の理由」)。竹中平蔵・経済財政・金融担当大臣は「銀行の不良債権が減った」で、自らの施策を自画自賛しています。政府のお蔭などではなく、片山修・ジャーナリストが「決断責任をもった社長たち」で説いているように、各企業の地を這い、血を吐くような努力がようやく実ってきたのではないでしょうか。

 日下公人・東京財団会長は「芸術になった日本製品」で、製造業の奥にあるのが、「文化製造力」であると分析しています。単純にモノを売る時代ではないのです。たとえば静かなエンジンを搭載した車、静かさを尊ぶ「日本人の心」のハード化が売れているのです。日本企業は中国の台頭を恐れることなく、経済行為というよりも芸術的行為を心がけていけばよいとのことです。

 経済が好転すると、日本・日本人を肯定的に描く、あるいは論ずる日本・日本人論が雑誌上に復してきます。『ボイス』での対談「パクス・ヤポニカの文明力」(山折哲雄・国際日本文化研究センター所長×川勝平太・国際日本文化研究センター教授)が、まさしくそうです。両者も、日下と通低する日本観を有しています。ローマも、アメリカも、外に向かう「力の文明」です。一方、日本は「美の文明」で、ベクトルが内向きです。日本という「場」にひきつける“美の文明力”を涵養すべきですし、涵養できるはずなのです。このような論に接しますと、勇気づけられます。景気の“気”は、気分の“気”。今後もこのような論考が増加すれば、実際の経済活動もさらに活性化するに違いありません。

 “美の文明力”どころではない問題もあります。『諸君!』の特集は、なんと「危うし日本の『読み』『書き』『脳力』」です。「大人の自信喪失と語学幻想を餌にした英会話ゴッコ導入が、子どもの日本語力を破壊」しているのです(藤原正彦・お茶の水大学教授×斎藤兆史・東京大学助教授「愚の愚の愚 英語早期教育」)。同誌は、斎藤環・精神科医と長山靖生・評論家の対談「『フリーター』と『引きこもり』への処方箋」をも掲載しています。「フリーター」は400万人、「ひきこもり」は100万人にも達しています。“キレる”“無気力な”若者が増加しているのです。景気が好転したところで、または“美の文明力”をもってしても解決できない深刻さが潜んでいます。

 藤原正彦の専門は数論です。その専門から見ても、国語教育の迷走が今日の「国民的体質劣化」を招いたと映るとのことです(「国語力こそ国力である」『ボイス』)。精神的なものを尊ぶ風土が崩壊していると憂えています。最大問題が教育の混迷です。先の対談でも熱く論じていますが、彼によれば、中途半端な外国語教育、個性尊重教育が有害なのです。徹底した国語教育が必要ですし、「読書の復活」がなくてはならないのです。

 ここで気づきました。日下、山折、川勝、そして藤原に共通するキーワードは、“日本への回帰”です。確かに、自らの社会・自らの制度に、もう少し日本・日本人らしさを求めるべきかもしれません。その過程で、若者や国語教育など諸問題解決へのアプローチ策を発見できるかもしれません。もちろん、バブル期のようには、傲慢になってはなりませんが…。

  隣国とは協調したほうがよいに決まっています。しかし、中国とは経済的依存関係は深まっていますが、政治的には冷却化しています。笹島雅彦・日本国際問題研究所研究員(「尖閣上陸事件にみる中国ナショナリズム政治の手法」『中央公論』)によりますと、日中は「政冷経熱」にあると中国側要人も嘆いているとのことです。共産主義を放棄した中国共産党にとってナショナリズムが最後の正統性です。ときに反日の傾向を強めるでしょう。それに対抗して、日本側でも反中が強まることもありえます。それに前述の“日本への回帰”が重なるとどうなることでしょうか…。かかる心配は杞憂に終りますよう…。(文中・敬称略)

月刊総合雑誌04年7月号拾い読み(04年6月20日・記)

 「雅子のキャリアや、そのことに基づいた雅子の人格を否定するような動きがあったことも事実です」。

 右の皇太子の記者会見(5月10日)でのご発言が、国民にとっては衝撃的ですらありました。ご発言の1ヵ月後の6月10日前後に月刊総合雑誌7月号が手元に揃いました。

 皇太子のご発言の背景と雅子妃のご体調について、友納尚子・ジャーナリストの「雅子妃 その悲劇の全真相」(『文藝春秋』)が詳しくリポートしています。雅子妃は、昨年暮に帯状疱疹を患われましたが、現在は、「強迫性障害」あるいは「不安神経症」の疑いがあるとのことです。宮内庁幹部の心ない発言・対応が引き金となったのですし、それらを改めようとしない宮内官僚たちが問題を大きくしていると論難しています。

 なお、『文藝春秋』では、「異例の皇太子発言 私はこう考える」と題し、19人の識者が論じています。そのほとんどが、友納と同様、宮内官僚・宮内庁に非があると指摘しています。

 『文藝春秋』の兄弟誌たる『諸君!』は「天皇と皇室の21世紀」を特集し、さまざまな角度から天皇、ひいては皇室と国民の関係を論じています。愛子内親王ご誕生後、女帝論の是非がマスコミを賑わすようになりました。『諸君!』では、「女性天皇 是か、非か」との対談で高橋紘・静岡福祉大学教授と八木秀次・高崎経済大学助教授が真正面から取り組んでいます。高橋は第一子の皇位継承を認めるべきとの立場です。一方、八木は過去の女帝は男系の皇統継承のためだったのであり、女帝を認めると男系から女系(女帝が生んだ子が天皇になり、その系統が皇位を継承していくこと)に移ることになり、女帝は認めがたいとのことです。

 『現代』では鳩山由紀夫・元民主党代表が「いまこそ『女帝』容認のとき」で、さらには『正論』では高森明勅・拓殖大学客員教授が「改めて問う、『女帝』は是か非か」で、それぞれ、皇位継承資格者を皇族方のうち「皇統に属する男系の男子」とする皇室典範の改正を提唱しています。つまりは女帝容認論です。

この論議が雅子妃のご心労の遠因との指摘もあります(篠沢秀夫・学習院大学名誉教授「問題は皇室典範」『文藝春秋』)。今後の論議には慎重さが求められます。

 小泉総理が、5月22日、1年8ヵ月ぶりに訪朝しました。その結果について、各誌が、多くの誌面を割いています。特集している雑誌も数多くありました。それらのタイトルをまずは紹介しましょう。「小泉の墓穴・金正日の背信」(『現代』)「北朝鮮を制裁せよ」(『ボイス』)、「小泉訪朝は『拉致』ヌキだ」(『諸君!』)、「小泉訪朝の誤算」(『文藝春秋』)、「小泉再訪朝その先に活路は開けるか」(『論座』)等々…。なお、『中央公論』は「小泉独走の危うい足もと」との名のもと、北朝鮮問題を年金問題と併せて特集しています。『正論』は4篇の関連論考を掲載していますが、特集とはしていません。

 上の特集タイトルからだけでも想像できますように、拉致被害者の子ども5人が帰国できたのですが、小泉再訪朝は総じて高くは評価されていません。

 特筆すべきは、拉致被害者の家族が雑誌上でも大活躍していることです。

 特に7月の参議院議員選挙に出馬予定の増元照明・家族会事務局次長は、『正論』(「私たちが小泉訪朝を懸念した重大な理由」)、『諸君!』(「小泉首相は『北』のシナリオを演じた」)、『中央公論』(「私たちはなぜ総理訪朝を『最悪の結果』と受けとめたのか」)などで、小泉総理を鋭く論難しています。『中央公論』掲載論文によれば、「北朝鮮にとっては最低限の譲歩で巨大な果実を手にすることができた」のです。増元には、「(総理は)何が何でも国交正常化を進めたいと考えている」ようにしか見えないのです。「家族がこのまま見捨てられてしまうのではないか」との強い危機感を持っているのです。

 一方、家族連絡会事務局長の蓮池透は、増元とは異なり、『ボイス』に「小泉首相に誠意を感じた」を寄稿し、訪朝から戻ってきた小泉総理に暴言に近い言葉をぶつけたと深く反省しています。

 結局、『論座』の「過去を溶かし、未来を築く」で李鐘元・立教大学教授が説くように、今後も「政策決定者と世論を巻き込んだ幅広い議論」が必要です。

 イラク情勢をも7月号の多くが扱っています。

 『文藝春秋』の「捕虜虐待は米国の国家犯罪だ」は、「アブグレイブの拷問」を『ニューヨーカー』に発表したセイモア・ハーシュへの青木富貴子・ジャーナリストによるインタビューに基づいています。イラクのアブグレイブ刑務所で米軍によりイラク人収容者虐待が行われたのです。ハーシュは、ベトナム戦争で起こった「ミライの虐殺」事件報道でピューリツァー賞を受賞し、インベスティゲイティブ・リポーティング(調査報道)分野を切り拓いたと高評価を得ている記者です。1968年3月、ベトナムのソンミ村ミライ地区で起こった虐殺についての報道により、アメリカ市民はベトナム戦争反対に大きく傾きました。「アグレイブの拷問」報道も、青木によれば、多くのアメリカ市民にイラクからの撤退を考えさせるようになった、とのことです。同誌には、イラク人捕虜を取材した、金子貴一・ジャーナリストによる「米兵は笑いながら私を犯した」も併載されています。

 日本政府は、連合国暫定当局(CPA)から主権移譲(6月30日)されるイラク暫定政権を承認する予定です。そのイラクで編成される多国籍軍への自衛隊参加をも決定しました。日本独自の指揮下で活動し、他国の部隊の武力行使とは一体化されることはない、とのことです。

 自衛隊派遣反対・懸念論の典型例を今月の『論座』から紹介しましょう。

 最上敏樹・国際基督教大学教授との対談(「世界秩序の常識を問い直す」)で、船橋洋一・朝日新聞社コラムニストは、「非戦闘地域」があるかのような幻想をもったことがまず誤りだとします。さらに、「(撤退時期を想定する)出口戦略」を持っていないことを問題視します。

 また、蓮實重彦・前東京大学学長は「『呪われた人』の醜い戦争」で、「自衛隊」の「海外派遣」は、「軍隊」による「他国侵略」であり、同様に「復興支援」は「版図拡大」と“正しく”翻訳すべきとします。さらに不正確な情報にこだわるブッシュ米大統領を不可思議だとします。ブッシュ大統領は、いわば情報に呪われているのです。イラク戦争は、その呪いの集大成ともいうべきものなのです。

 『世界』は、今月も「イラク占領統治は破綻した」を特集し、ブッシュのアメリカに反対しています(特集の巻頭は、先のハーシュの『ニューヨーカー』の記事の訳出掲載。「告発−イラク収容所における虐待の実態」)。特集内の杉田弘毅・共同通信記者の「ブッシュ再選に点滅し始めた黄信号」によれば、アメリカ国内でも、イラク戦争に関連し、ブッシュ大統領批判が高まっているとのことです。しかし、それが対抗馬のケリー上院議員の支持増につながってはいません。11月の米大統領選挙の予想・予断するには、まだまだ材料不足です。

 『世界』は、「犯罪不安社会ニッポン」をも特集しています。治安や安全に対する人々の関心が高まっています。しかし、だからと言って、監視・処罰を強化すればよいのか、と問題提起するのです。犯罪や不安が過剰に煽られているのであり、防犯カメラなどによる監視強化は、かえってプライバシー侵害につながりかねないとのことです。

 金子勝・慶応大学教授は「『無責任』と『不安』のスパイラル」で、凶悪な事件が大きく報じられるだけで、その原因究明がおろそかにされていることを問題視します。さらに、「外国人は犯罪者」と考えるべきでなく、外国人が日本に来て罪を犯すようになるのはなぜなのか、といった視点を持つべきなのだと展開します。現今の政策は、金子によれば、漠然としたリスクを煽ることで国防や警察の強化に結びつける「新自由主義」の手法によるものです。「新自由主義」は、「規制緩和や民営化によって市場原理に任せる『小さな政府』を主張する一方で、国防や治安を強化する『強力な国家』を唱える」とのことです。

 漠然としたリスク・不安といえば、年金問題が欠かせません。二人の早稲田大学教授(田中愛治・河野勝)の筆による『中央公論』の「政治不信世代は年金制度も信じていない」を、世代論としても、お勧めします。(文中・敬称略)



月刊総合雑誌048月号拾い読み(04年7月20日・記)

 7月11日に行われた第20回参議院選挙は、「自民不振 民主が躍進」(7月12日付け『読売新聞』朝刊1面の見出し)の結果(議席数:自民党49、民主党50)に終りました。では、参院選直前に出揃っていた月刊総合雑誌8月号は、小泉政治をいかに論じていたのでしょうか。

 『現代』は、「選挙直前特集 小泉純一郎の『精神分析』」を編んでいます。巻頭の櫻井よしこ・ジャーナリストによる「権力の迷走」からして、小泉総理、ひいては自民党に批判的です。櫻井によれば、小泉総理が声高に改革を提唱してきた道路・年金・郵政の全分野で、改革どころか、改革潰しがなされているとのことです。同誌は、特集の結びとして、岩瀬達哉・ジャーナリストと森永卓郎・経済アナリストによる「核心対談」を掲載しています。同対談のタイトルは、なんと「投票で『年金改悪』の怒りを晴らせ!」です。『現代』は、全誌あげて、はっきりと反小泉政権を打ち出していたのです。

 「小泉長期政権の力量」を特集し、安倍晋三・自民党幹事長と深田祐介・作家による対談(「断固たる意志を示す政治」)や宮内義彦・オリックス会長の「構造改革は進んでいる」を戴いている『ボイス』は、親小泉政権かと想定しました。しかし、見事裏切られました。屋山太郎・政治評論家などに小泉政権を勤務評定させ、題して「さらば、小泉B級政権」です。ダメ押しをするように、中西輝政・京都大学教授による「小泉首相の退陣を求める」を掲載しています。

 ご存じのように、『世界』は、その創刊以来、反保守(反自民)です。今月は、都留重人・日本学士院会員による「小泉政治の三年を問う」で、小泉政権は、内政は混迷させただけ、外交では米国に追従するだけ、と斬って捨てています。

 上の3誌以外でも、小泉政権に厳しい論述が目立ちました。『論座』の特集(「激戦!? 参院選が面白い」)内の早野透・朝日新聞社コラムニストによれば、「小泉喝采の時が過ぎた」のです。『論座』には、平成世論研究会と同誌取材班により6月中旬に実施された都市有権者調査の結果も紹介されています。その結果には、すでに、「年金問題の反発で小泉・自民敗北も」と出ていました。

竹中平蔵・経済財政・金融担当大臣が、『文藝春秋』で、「『学者大臣』とはもう言わせない」と頑張っていました。しかし、まさしく孤軍奮闘としか表現しようがありません。

 上述でわかるように、雑誌論調は、小泉政権に厳しく、選挙結果も小泉政権にとって思わしくなく、そこで小泉退陣かとの新聞記事も散見されました。しかし、元来、参議院は第2院ですから、その選挙結果によって政権の構成が変わる必要はありません。これでは、せっかくの選挙がさほど有用・有効に機能しないことを意味します。ですから、もともと議院内閣制下、第2院は不要だとする論者が数多くいます。このままでは不要論が勢いを増すばかりです。衆議院とは違った役割を担うようにすべきと、飯尾潤・政策研究大学院大学教授が『中央公論』の「二院制の利点を生かす参議院改革が急務だ」で熱く提議しています。

 参議院改革を行うためにも、憲法の全面的見直しが必要です。自民党はもとより、民主党も改憲に熱心です。たとえば、民主党の元代表であり、現・常任幹事の鳩山由紀夫は『ボイス』に連続して「私の憲法改正試案」を寄稿しています。徐々にではありますが、改憲へと世は動いているかのようです。

 他方、改憲となれば、9条改悪につながると改憲に反対する勢力にも根強いものがあります。彼らは、主に『世界』に寄って活動しています。8月号の『世界』には、大江健三郎・作家が「あらためての『窮境』より」を寄稿し、改憲反対を訴えています。同誌は、「『九条の会』発足のアピール」や「『憲法行脚の会』ご参加の呼びかけ」をも併載し、平和憲法死守の運動への参加を呼びかけています。

 年金問題が、参議院選挙の争点になりました。

 その年金を含め日本社会の特性についての従来のイメージが揺らいでいます。福祉が充実していたかのように錯覚がありました。実は、支えてきたのは企業や家庭だったのです。さらに所得や教育など諸分野での各差は拡大の一途にあります。橘木俊詔・京都大学教授と和田秀樹・精神科医の対談「日本をアメリカ型『非福祉国家』にしないために」(『中央公論』)によれば、福祉充実の是非などを論議する前に、現状を正しく認識すべきとのことです。

 その現状認識のためとして、『世界』が「『日本』の現実」を特集し、直視すべきとして12の指標(「少子化とジェンダー」、「税収」など)を掲げています。それらの指標に基づきますと、日本は、雇用不確実なので自殺者が多く、税負担がきつく、教育費が高く、子どもを安心して産めないし、環境対策もそれほど進んでいない国となります。日本人の多くが、現状に不安を抱き始めていたようです。参院選の結果は、日本人の多くが抱えている不安が反映したものなのでしょう。

 さて、『正論』には、北朝鮮関連では西岡力・東京基督教大学教授による「北朝鮮の仕掛ける対日謀略戦を打ち破れ」、中国関連では「中国にやられっぱなしでよいのか」(舛添要一・参議院議員と平松茂雄・杏林大学教授の対談)など、勇ましいタイトルが踊っていました。気になります。

 先の『世界』の指標によりますと、日本は世界第2位の軍事大国です。もとより単純に軍事費を比較してのことです。しかし、中国の1.5倍、韓国の3.5倍、北朝鮮の30倍以上となります。諸外国からみれば、いかに平和憲法を有しているからといっても、脅威と映ずるに違いありません。ですから、外交には慎重さが求められます。雑誌論文のタイトルなどにも…。

 北朝鮮に対しては、同じ『正論』で中山恭子・内閣官房参与が「曽我ひとみさんの『ややこしい人生』に終止符を打つために」で説くように、日本外交は「対話と圧力」で臨んでいく方針です。それも、現在のところ、「対話」に比重をおいた外交が功を奏しています。だからこそ、曽我さんの家族も日本に来ることができたのではないでしょうか。

 隣国・中国は、その自己認識あるいは自国認識において、日本よりもはるかに賢明かもしれません。中国はその経済的発展により、世界から「脅威」として把握されていることを自らが認識して、中国の台頭は脅威ではなく、むしろ国際場裡にあって、平和に貢献するのだとする理論(「和平崛起」論)を精緻化する動きがあります。たしかに経済的繁栄は何よりも平和でなくてはなりません。さらには、経済活動を円滑にするためにも国内問題(貧富の格差、環境破壊、政治不安)を解消しなくてはなりません。結局は、平和的な国際社会構築に邁進し、省資源による循環型経済体制を目指さなくてはならないというものです。

 「和平崛起」については、船橋洋一・朝日新聞社コラムニストが「中国は自らに『緊箍呪』をかけることができるか」(『中央公論』)で詳述しています。

 ここで、かつて米国で「日本異質論」が跋扈し、「日本脅威論」が蔓延したことを思い出しました。「日本脅威論」に対し、当時の日本人の多くは、日本の成功に嫉妬がすぎると強く反発し、かえって米国からの再反発を招いてしまいました。現在、中国は、かつての日本と同種同様の問題を抱えています。日本の轍を踏まないようにと心がけているのでしょう。

 月刊総合雑誌上のタイトルだけで判断すれば、日本は諸外国にとって、あらためて脅威となるでしょう。日本も、中国と同様、「和平崛起」論を構築しなくてはならないではないでしょうか。

 日本経済について、前述の『世界』の指標によれば悲観的にならざるを得ません。しかし、景気循環論の大家である嶋中雄二・UFJ総研投資調査部長によりますと、日本経済は、長期的に見て明るい展望が開けているとのことです、それも06年度には「黄金の上昇サイクル」に乗っていく可能性が高いとのことです(「景気拡大は06年に始まる」『現代』)。さらに、その後の10年間について自信を持ってよいとのことです。もし、そうだとしても、いや、ぜひ、そうあってほしいものですが…、かつてのように“ジャパン アズ ナンバーワン”と評されても有頂天となったり、諸外国を見下すようなことがあってはなりません。繰り返します。隣国に見習って、「和平崛起」に徹するべきでしょう。なんせ、すでに世界2位の経済大国であり、軍事大国なんですから。(文中・敬称略)



月刊総合雑誌04年9月号拾い読み  (04年8月20日・記)

 オリンピックでは日本のサッカー・チームは振るいませんでした。しかし、その直前のアジア・カップでは優勝しました。ただ…、せっかくの優勝でしたが、後味の悪いものが残りました。開催国の中国の観客が、一貫して日本国歌や日本選手にブーイングを浴びせかけたからです。日中両チームが激突し、日本側の勝利に終わった北京での決勝戦のおり(8月7日)には、中国人観客の一部は暴徒化寸前の様相を呈していました。過去の戦争や歴史に関連して中国人には反日感情がくすぶっているのです。

 月刊総合雑誌9月号の発売は、アジア・カップの期間とほぼ同時期でした。上記のような中国人の反日感情、あるいはナショナリズムの発動を予見していたかのような論考がいくつかありました。とくに『中央公論』の「特集 東アジア・ナショナリズムの危険性」は、読みごたえがありました。

 岡崎久彦・外交評論家による「政府主導のナショナリズムほど危険な存在はない」は、各国政府、とくに中国政府への警句です。国民を煽れば、結局は政府自らには呪縛となり、外交上では妥協が不可能となり、衝突路線をとらざるを得なくなるのです。危険きわまりないことです。濱本良一・読売新聞記者も、行き過ぎた愛国主義が中国の前途に暗雲を呼び込む可能性があると指摘しています(「愛国主義は民衆に深く根づいた」)。また、経済成長続く中国ですが、国民間に経済的格差をもたらし、かつ指導層と一般国民の意識のずれが大きくなり、それが不穏な動きとなっているとのことです(国分良成・慶応大学教授と劉傑・早稲田大学教授の対談「エリートに置き去りにされた中国民衆の危険なうごめき」)。

 終戦記念日が8月15日ですから、8月初旬発売の9月号には、例年、先の戦争や昭和史に関連する記事が多く掲載されます。

 『諸君!』の特集は、「リメンバー、昭和史の戦争」です。その中の「私の“昭和博物館・昭和図書館”」は、58人の識者による「時代の空気を知る人・モノ・本」の紹介です。兄弟誌たる『文藝春秋』は、58人より1人少ない57人による書評特集「日本を震撼させた57冊」を、「日本を動かし時代を超える書物」との惹句を付して編んでいます。

 『諸君!』では、特集外ですが、牛村圭・明星大学助教授が、米国が東京裁判で掲げた大義をイラク虐待の米兵に適用すれば禁固刑程度ではすまないはずだ、と問題提起しています(「『文明の裁き』はかくも不公平」)。実際、第2次大戦後、日本軍人の5千人以上が捕虜虐待などの嫌疑で「BC級戦犯」として訴追され、千人近くが刑死しています。著しい不公平があり、歴史や裁きは勝利者のものなのかとの疑問が残る、と牛村は言うのです。

 東京裁判による戦犯裁判への牛村のような疑義は総合雑誌上でときに目にします。しかし、日本国内外で全面的に受け入れられるとは言いがたいですし、外国からはかえって反発を招きかねません。第一、多く(例えば今月号であれば、『世界』の横田耕一・流通経済大学教授の「公的参拝は『政経分離原則』違反である」など)が指摘するように、中国人の対日批判は、A級戦犯を合祀している靖国神社に総理を始めとする政府要人が参拝することに向けられています。

 戦犯・靖国に関しては、国内でも見解が統一されていません。

 一方の極である『正論』は、先の横田の説とは正反対で、百地章・日本大学教授などによる座談会(「靖国を危うくする政教分離訴訟原告と裁判官の正体」)や大原康男・國學院大學教授の「“確信犯”吉田茂の靖国参拝を見習え」で、総理の靖国神社参拝は定着化すべきと展開しています。

 『正論』に正反対の方向から、「靖国問題とは何か」と題した特集を、横田の論考を含め、『世界』が組んでいます。その巻頭で梅原猛・哲学者はインタビューに応じ、「靖国は日本の伝統から逸脱している」と主張しています。梅原によれば、権力獲得のため滅ぼした人たちを鎮魂する神社を自らの祖先の神社より大きくつくったというのが、日本の伝統とのことです。自国の犠牲者のみを祀るのは伝統的神道に反し、諸国から反発を招くのでは外交上もマイナスだ、ということになります。

 「7月号拾い読み」でも紹介しましたが、このところ、皇室についての論議が目立っています。

 今月は、『論座』が「苦悩する象徴天皇制」を特集しています。中野正志・朝日新聞記者が「雅子妃の『お疲れ』はどこからきたのか」で指摘しているように、現今の問題の起因は、皇室典範にあります。つまり、「男系男子」による「万世一系」による皇位継承の原則の維持が危ういと多くが考えるようになったからです。松本健一・麗澤大学教授(『論座』の中根千枝・東京大学名誉教授他との座談会(「天皇と日本社会」) によりますと、明治憲法下では「皇男子孫之ヲ継承ス」であっても、側室が認められていたので問題はなかったのです。中根の説くところによりますと、「万世一系」は極めて日本的な概念です。父と子という血縁は重視されますが、中近東社会にみられる父系血縁制ではありません。つまり、父の正式の妻の子である必要はありません。こうした考えでは、息子がない場合は、側室の子以外にも、息子の代わりに娘を後継者にしうることが理論的には可能になるはず、とのことです。 

 なお、男系・女系の問題は、7月号時にも触れました。女系とは女帝が生んだ子が天皇になり、その系統が皇位を継承していくことです。ここでは、これ以上、詳述することはやめ、興深かった論考のみに言及します。

 世論調査では「天皇は女子でもいい」が七割以上占め、国会議員でも女性天皇容認を主張する者が少なくありません。これに関連し、笠原英彦・慶応大学教授は、「『女性天皇』問題の本質を衝く」(『中央公論』)は、女性天皇が女系天皇につながることの意味を果たしてどれだけ理解されているのだろうか、と危ぶんでいます。

 『ボイス』も、「皇室の危機、日本の危機」を特集しています。その中で、高森明勅・拓殖大学客員教授は、「皇位の継承と直系の重み」で、先の中根の指摘に近い論述をしています。明治以前は、いわば双系主義で、厳密には男系優先ですが、場合によっても女系も機能しうる余地を制度上、公認していたとのことです。

 昨今の論点を理解するには、『文藝春秋』の「平成皇室会議」とのサブタイトルを付した「皇統断絶の危機に」が簡便です。先の笠原始め、男系論者の八木秀次・高崎経済大学助教授や女系を容認する高橋紘・静岡福祉大学教授ほか、計9名による座談会で、読みやすい構成となっています。

 9月号では、7月の参議院議員選挙の結果分析も取り上げられています。

 『中央公論』上の橋本晃和・政策研究大学院大学教授の論文タイトルは、「民意は政権交代に向けて成熟している」です。また、岩見隆夫・毎日新聞社特別顧問のそれは「自公連立のなかで失われた政権党のアイデンティティー」です。さらには、選挙分析を専門としている蒲島郁夫・東京大学教授及び菅原琢・日本学術振興会研究員の二人の筆による「二〇〇四年参院選 自民党自壊・民主党定着の意味」によれば、自民党の地盤沈下はやみそうもありません。榊原英資・慶応大学教授は「ブームは去り、財政赤字だけが残った」を寄稿しています。上記の論文名などから判断すれば、『中央公論』の日本の政局に関する特集タイトルが、「小泉歌舞伎の終焉―自民党は生き残れるか」となるのは当然でしょう。

 ちなみに蒲島は、『世界』でも、星浩・朝日新聞記者と対談(「自民党の劣化と衰退はもう止まらない」)し、小泉政権・自民党の前途に警鐘を鳴らしています。昨今の政治状況は、山口二郎・北海道大学教授によれば、「戦後政治の終わりに向けたカウントダウンが始まった」(『論座』)ということになります。

 イラクへの自衛隊派遣から半年たちました。そのイラクの空手界では、必ず日本から先生を招いているとのことです。『正論』の「イラクで息づく空手道が示す日本外交の未来」で近藤誠一・外務省広報文化交流部長が説くように、日本は経済力や軍事力のみでなく、固有のソフトで国際貢献すべくより一層努めるべきでしょう。

 第131回芥川賞発表が『文藝春秋』にあり、受賞作の「介護入門」(モブ・ノリオ)が全文掲載されていることを付言して擱筆します。(文中・敬称略)


月刊総合雑誌04年10月号拾い読み   (04年9月27日・記)

 サッカー・アジア杯中国大会で、中国人観客が、日本国歌や日本選手にブーイングを浴びせ、中国に反日感情が激化していると、テレビなどでも大きく連日取り上げられました。そこで、今月は、アジア杯関連、いわばブーイング関連の拾い読みに努めます。『諸君!』は「見苦しいぞ、中国」、『現代』は「危険な隣人・中国を疑え!」、『正論』は「中国よ」と、3誌は特集まで編んで、中国への嫌悪をあらわにしています。

 まず、『諸君!』の5篇を紹介しましょう。

 富坂聰・ジャーナリスト、水谷尚子・中央大学講師が、「試合後、北京は『天安門事件』寸前だった」とのタイトルの対談で、中国人観客は一触即発の観でしたが、最大限の警戒態勢で食い止めたのだ、とアジア杯を現地で観戦したおりの様子を伝えています。

 「暴発する中国ナショナリズムを封じ込め!」と、石原慎太郎・都知事と中西輝政・京都大学教授の対談は、対中国強硬路線を訴えています。さらに、

 小堀桂一郎・東京大学名誉教授、古森義久・産経新聞編集特別委員、田久保忠衛・杏林大学客員教授の鼎談(「ブーイングは『靖国』で撥ね返せる」)も中国に強硬です。すべからく日本が反発しないから、中国からの批判が続くのであり、靖国参拝批判も内政干渉として撥ね返すべき、と断じています。

 中国・韓国・北朝鮮のナショナリズムは単純ではなさそうです。古田博司・筑波大学教授の「蔑日は伝統、反日は国是」は、「それぞれの中華思想の古層の上に、国家主義・民族主義の新層に載った二重構造のナショナリズム」があり、「古層に蛮族・日本に対する侮蔑があり、新層に反日があることを忘れてはならない」とのことです。

 清水美和・東京新聞編集委員は「『抗日教育の老師』江沢民 最後の逆襲」で、江沢民(前・総書記)と胡錦濤(現・総書記)の二元指導の矛盾が、中国の反日の激化をもたらしてきたと分析しています。清水によれば、江は反日感情を政権の権力基盤拡大に利用してきたのであり、彼は、総書記時代の90年代、愛国主義教育、つまりは反日歴史教育を強化したのです。事実上の最高指導者としての立場を守るため、反日感情や対外強硬路線を助長・利用してきた、と清水は見るのです(江は軍事委主席を9月19日、胡に禅譲)。来年は終戦60周年、中国から言えば「抗日戦争勝利」60周年です。新体制のもとでも、より一層、反日の傾向を強めるか惧れがあります。なお、清水は、上述の石原や小堀などとは違い、中国内の対外協調派を支援していくべきだと提言しています(清水は『世界』にも「中国『反日』民意の底流」を寄稿)。

 『正論』に移りましょう。清水と同様、中国共産党が自己保身のために強化した「愛国主義教育」が反日の若者を育成したと、西村幸祐・ジャーナリスト(「終わりなき中国の『反日』サッカー・アジア杯、激しいブーイングの背景」)はみなしています。そのうえで、朝日新聞やNHKが阿るため、中国側が増長するのだ、と日本メディアにも責任ありと論難しています。東シナ海海底の日中間の経済水域を巡って、中国の動きは急です。それがきわめて横暴であると、平松茂雄・杏林大学教授「中国が仕掛けてきた沖ノ鳥島問題の重大性」と緑間栄・志学館大学教授「手前勝手な中国領海法に抗議し東シナ海の資源を守れ」が糾弾しています。

 伊藤正・産経新聞中国総局長の「『世界の工場』という中国の虚構」によれば、今回の騒ぎの原因には、反日歴史教育のほかに、中国民衆の現体制への不満があるとのことです。貧富の格差は拡大する一方ですし、失業率・犯罪発生率が急増し、経済成長の恩恵にあずかることができるのは一握りの人々のみのため、民衆の不満・不安が、サッカーにかこつけての“暴走”につながったということになります。伊藤は、活発な生産・輸出を担っているのは外資系企業であって、中国全体の生産力を「世界の工場」などととても評価できない、と中国経済、ひいては中国社会の未来に悲観的です。

 特集外ですが、『正論』には、菅原出・ジャーナリスト他により、「日本海、波高し! 『日清戦争』前夜の日本が持つべき防衛力とは」が掲載されています。タイトルからだけも仮想敵国を中国とみなした防衛構想の必要性を強調していることが理解できるでしょう。防衛力充実は当然のこととしても、その構想策定には冷静さが必要ではないでしょうか。タイトルのトーンをもう少し下げたほうがよいのではないでしょうか。

 冒頭に紹介しましたように、「危険な隣人・中国を疑え」が『現代』の特集タイトルです。上村幸治・毎日新聞中国総局長による巻頭の「暴走した『日本叩き』の深層心理」は、すでに紹介した論者の多くと同様、反日感情には愛国教育と靖国問題が深く関わっているとしています。さらには、急激な経済成長により必要とするエネルギーは膨大であり、「中国発の石油危機が世界を飲み込む」(高原彦二郎・元出光興産北京事務所長)危険があります。宮崎正弘・評論家は「凄まじき環境破壊に打つ手なし」とし、海を越えて汚染が日本に悪影響をもたらすと心配しています。

 『論座』は「きしむ日中関係」と題し、3篇を掲載していますが、以上の3誌とは、少し趣きが異なります。

 天児慧・早稲田大学教授の「変化する中国人の対日感情 新しい関係を切り開く好機」は、今回の騒ぎを乗り越えるよう努めるべきと強調しています。対日感情は決して「嫌い」ばかりでなく、「好き」の割合が多い地域もあるとのことです。中国は、反日一色ではなく、理性的・戦略的に「普通の日中関係」を構築しようと構想する論者たちもいるとのことです。

 ただ、上海出身のジャーナリスト・莫邦富によれば、「相互理解の人的パイプが老朽化している」のが問題解決を困難にしています。現在、交流は経済面が主になっていますが、自社のビジネス行動が日本の国家イメージを左右するという認識を持つ日系企業が少なすぎる、と莫は警鐘を鳴らしています。

 先に朝日新聞は中国に阿っているとの西村の論難を紹介しました。『論座』は朝日新聞発行です。その『論座』に、田畑光永が、西村などに対抗するかのように、「雑誌があおる反中国ムード」を寄せています。田畑によれば、毎号のように「中国」をとりあげ、反感をあおるかのような激しい口調の記事をあえて掲載する一群の雑誌(『文藝春秋』、『諸君!』、『正論』、『ボイス』、そして月2回発行の『SAPIO』)が日中間の懸隔を深め、深刻化させていることになるのです。

 田畑が対象とした雑誌のうちの『文藝春秋』の今月号には、富坂聰・ジャーナリストの「中国反日官僚、『慎太郎、真紀子』を斬る」があります。これは、石原慎太郎や田中真紀子を相手にする必要はないとの中国若手官僚の分析の紹介で、田畑が批判するような反中国をあおる記事とは少し趣が異なります。ただ、やはりタイトルは、田畑によれば、反中国、少なくとも嫌中国となりましょう。

 『ボイス』も今月号には、田畑の論難の対象となる論文はありませんでした。

 中国関連は、大前研一・UCLA教授の「チャイナ特需が終わる日」の1篇のみでした。不動産融資の総量規制により、中国の景気は急激に失速する可能性が高い、との予測です。日本経済への波及が心配です。

 アジア杯は、言うまでもなくサッカーの大会でした。ですから、中国のブーイングも「サッカーの文脈」に照らすべきだとの論考が『中央公論』にありました。宇都宮徹壱・写真家/ジャーナリストの「中国が学ぶべき、ホスト国の矜持」です。彼は、今回と同様な騒ぎを、世界各地で、大会ごとに、試合ごとに、いわゆるフーリガンたちが起こしていると指摘しています。

 しかし、フーリガンの行動であっても、外交関係を壊しかねません。どうも、民のレベルの裏づけがない、官のレベルだけの外交は壊れやすいものです。かと言って、「民のレベルに任せておけば、国境を越えた友情は自然に育つと考えるのは甘い」ようです(渡邉昭夫・平和・安保研究所理事長「国家は敵でも人民は友、というのは本当か?」『中央公論』)。とりあえずは、宇都宮が説くように、「六万人の猛烈なブーイングをものともせず、見事アジアカップを勝ち取った、我らが日本代表のように」「冷徹な眼差しで中国の動向を見極めつつ、毅然として現実に対峙すべき」なのでしょう。

    かかるおり、テレビを始めとするメディアの重みは増します。さらなる慎重・冷静・客観的かつ広範な報道を望みたいものです。(文中・敬称略)

月刊総合雑誌04年11月号拾い読み(04年10月20日・記)

 日本銀行は10月18日の支店長会議で、一部地域で景気改善に遅れが出ているものの、全体的には「景気は回復の動きを続け、前向きの循環が続いている」との見方を確認しました(19日付け各紙)。

 月刊総合雑誌にも景気を前向きに捉える動きが目立ってきています。『ボイス』は「景気悲観論は嘘ばっかり」とまで謳った特集を編んでいます。「『景気は地方の回復待ち』は嘘」とまで言い切る強気な論考すらあります(増田悦佐・HSBC証券シニアアナリスト)。

 好調なのは特に名古屋を中心とする中京地区です。そこで、『潮』は「『名古屋経済』最強の理由」を、『中央公論』は「したたかな『名古屋モンロー主義』」を特集しています。水谷研治・中京大学教授の「名古屋経済を支える『人づくり』の伝統」(『潮』)によれば、名古屋港は、日本全体の貿易収支黒字の約9割を稼ぎ出している全国一の輸出港のです。同地区には、ご存じのように、トヨタ自動車、本田技研工業、ヤマハ発動機などトップ企業があり、同地区は日本の製造業の心臓部です。バブル期の流れに乗らず、「モノづくり」という本業に徹してきたことが利したのです。

 実は、濃尾平野で誕生した織田信長や徳川家康の軍団が江戸時代の藩組織・行政組織に転化したとのことです(磯田道史・茨城大学助教授「日本型組織『濃尾システム』の謎」『文藝春秋』)。そのシステムは現代まで連綿として続いています。つまりは、現在の名古屋(中京)経済の強さのルーツは、遠く信長や家康にあるということになります。

 『中央公論』は「江沢民引退、中国は変わるか」をも特集しています。9月中旬、中国の江沢民は中央軍事委員会主席を辞任し、胡錦濤が党・国家・軍の三権を一手に掌握することになったからです。

 高原明生・立教大学教授は「急激な方針転換は困難である」とのタイトルのもと、日中関係に急激な変化は生じないと分析しています。それに対し、朱建栄・東洋学園大学教授「新指導部の柔軟性に注目せよ」は、新指導部では「反日」的人物が少ないと指摘しています。そのうえで、歴史問題が片付かないと友好関係が築けないと考えられていました(「入口論」)が、今後は関係を密にしていく過程で歴史問題を乗り越えていく(「出口論」)との動きが生じてくるとの楽観論を展開しています。朱の説くように展開してほしいものです。しかし、関志雄・野村資本市場研究所研究員は「『政冷』は『経熱』の足を引っ張る」で、政治面での相互不信がビジネス関係の構築にも支障をきたす、と警鐘を鳴らしています。

 『ボイス』では、台湾の元総統の李登輝が深田祐介・作家と対談しています(「二〇〇七年激変する中国」)。李は、「中華民国」の名を捨て、台湾人のための台湾を作ると、熱を込めて語っています。中国本土の政情にも言及し、権力闘争が激化し、その山場は第17回中国共産党大会が開かれる2007年となると予言しています。そのタイミングにあわせ、台湾で新憲法を制定するとのことです。

 日中両国関係は、台湾要素がからみ、問題が簡単ではありません。ただ、相互に感情的な対応は避けたいものです。日本側が問題視する中国の“愛国教育”は決して“反日教育”ではないとの言(阮蔚・農林中金総合研究所研究員「サッカーがなぜ国際問題になったのか」『外交フォーラム』)にも耳を傾けるべきでしょう。

 日本外交にとって、やはり国連は肝要です。

 9月22日、小泉総理は国連総会で演説し、日本の安全保障理事会常任理事国入りの意思を鮮明にしました。

 『中央公論』の猪口邦子・上智大学教授の「戦争なき世界への貢献」は、日本の常任理事国入り実現に向けての日本外交へ提言です。彼女は、軍縮担当大使の体験を踏まえ、小国や戦争被害国の思いを代弁しうる大国として信頼を得ていく努力が重要だと説いています。

 平和憲法のままでは、国連に全面的に関与できないなどとの議論があります。それに対し、渡邉昭夫・平和・安全保障研究所理事長「憲法九条は『常任理事国』入りの邪魔になるのか?」(『中央公論』)は明快です。「憲法を改正しようがしまいが、日本が『新しい国連』のために最も有意義な貢献ができる分野が『平和定着』や『国家建設』への支援にあることに変わりはない」のです。ただし、あまりに現行憲法が曖昧なので、究極的には「『平和的に』憲法を改正する必要がある」ということになるのです。

 一方、『世界』の最上敏樹・国際基督教大学教授「これで常任理事国化の用意は整ったか」は、国連総会での小泉総理の演説には一貫性・整合性がないと疑義を呈しています。彼によれば、国連は軍事大国中心主義から脱し、多国間主義を基盤とする法の支配が貫徹されるべきなのです。この面での国連改組への日本の努力が不足しているとのことです。さらに、常任理事国として日本が有資格とする小泉演説の論拠を問題視します。小泉演説は、イラクでの「人道復興活動」などをもって有資格と論じています。最上によれば、イラク戦争を違法とする国が多く、整合性に欠けるということになります。

 『中央公論』には、佐藤謙・元防衛事務次官「『国防の基本方針』を不磨の大典にするな」もあります。自衛隊の存立基盤を現今の安全保障環境のもとで探る試みです。佐藤は、「日米同盟の幅広い意義とその信頼性の向上の考え方を明確に示すべき」と主張しています。しかし、日米同盟は重要だとしても、同時に世界での日本の位置づけ、つまりは国連での日本の役割を明確化すべきではないでしょうか。

 30年前の『文藝春秋』1974年11月号に「田中角栄研究」を寄せ、田中総理の金脈を暴き、田中失脚のきっかけを作った立花隆・評論家が、あらためて同誌に「三十年目の田中角栄研究」を寄稿し、30年前の政治状況、その後の政治展開を感慨深けに回顧しています。立花によりますと、つい最近の日歯連(日本歯科医師連盟)1億円献金事件(橋本元総理はかろうじて不起訴)によって、長年にわたる田中派・経世会系列(竹下派・小渕派・橋本派)による日本政治支配の時代が、ようやく終焉したのです。また小泉の「自民党をぶっこわす」という発言の真意は、自民党の中の経世会政治の部分を、あるいは経世会そのものをぶっこわすということだ、と立花は指摘しています。

 さて…、9月27日、第2次小泉改造内閣が発足しました。『文藝春秋』の名物的な赤坂太郎との筆者名による政治コラム(今月のタイトルは「小泉が安倍に仕掛けた最後の罠」)は、今回の人事の眼目は、党内の衆望を集め出した安倍晋三・前幹事長の封じ込めだったと描いています。安倍を幹事長代理するという前代未聞の降格人事を成功させ、とりあえずは小泉総理の大勝利となりました。

 しかし、今夏の参院選の自民党敗北の真因を探りますと、小泉にはかつての神通力はありませんし、人気は低下する一方で、回復する兆しはありません(蒲島郁夫・東京大学教授ほか「自民党から『ハト』が逃げた」『論座』)。立花の指摘するように、「経世会をぶっこわす」だけに終り、小泉政権は、本来、期待された経済社会システム改革に成果をあげることができずにいます。また、蒲島らの分析では、年金問題、イラク政策で小泉自民党は有権者の支持を逃したのです。ただ、北朝鮮という喫緊の対外問題では自民党政権は支持されています。逆に言えば、安全保障・外交問題が潜在化すると、年金や地方分権を含む経済社会システム改革がクローズアップされてきます。そのさいには、民主党政権への期待が高まるとのことです。

 小泉の後をうかがうとされる安倍の雑誌上での発言(『現代』の「総理になれば日本をこう変える」や『正論』での「今こそ“呪縛”憲法と歴史“漂流”からの決別を」)から判断するに、彼には経済社会システム改革へのビジョンは期待できそうもありません。安倍を始めとする自民党議員の問題意識が現状のままだと、「経世会をぶっこわす」が、まさしく「自民党をぶっこわす」につながり、民主党が政権を勝ち取る可能性がますます高くなりそうです。

 11月2日の米大統領選挙を目前に、『世界』が「ブッシュか、反ブッシュか」、『論座』が「米大統領選〈帝国〉はどこへ」を特集しています。『中央公論』も「アメリカ大統領選を読む」のタイトルのもと、2篇を掲載しています。アメリカ理解を深めるためにも、一読すべきでしょう。(文中・敬称略)

月刊総合雑誌04年12月号拾い読み(04年11月18日・記)

 社員の働きぶりを一時金や給料に反映させる「成果主義」を採用している企業がかなりあります。アメリカ企業を見習ってのことです。日本の大企業で、もっとも早く本格的に採用したのが富士通です。93年に管理職に適用し、98年には全社員を対象としました。成果主義は業績改善につながるはずでした。ところが、電機産業の多くが業績を回復していますが、唯一、富士通だけが浮上していません。その富士通の人事部に勤務していた城繁幸・人事コンサルタントの内部告発本(『内側から見た富士通 「成果主義」の崩壊』光文社)が7月に発売され、11月初旬までに20万部強も売れたとのことです。

 右の城が『中央公論』に「『平等』『安定』を捨てた日本型企業の迷走」を寄稿しています。一瞥すれば、富士通の業績低迷の理由も成果主義が定着しない背景もよく理解できます。城は、『ボイス』の「特集 成果主義は崩壊する」にも「人事部に評価は下せない」を寄せ、富士通の失敗をふまえ、成果主義導入の条件を明示しています。城の2つの論文は、成果主義を若者や第一線の働き手のみに適用し、トップ経営者や役員たちが従来どおりだと逆効果となると説いています。日下公人・東京財団会長は、特集巻頭の堀紘一・ドリームインキュベータCEOとの対談(「成果主義が失敗する理由」)で、日本企業は超長期経営に徹するべきであり、それには成果主義は適さないと斬って捨てています。同特集は、「日本型年功制を復活せよ」(高橋伸夫・東京大学教授)をも併載し、タイトル通り、成果主義を全面的に否定しています。

 中高年の自殺が増加しています。日本の中高年は、企業の業績悪化で整理・解雇されたり、勤務評定が低下すると、人格すべてを否定されたかのように受け取り、自殺に向かいがちだとのことです(大原健士郎・浜松医科大学名誉教授×高橋祥友・防衛医科大学教授「自殺予防対策には一刻の猶予もない」『世界』)。アメリカ人は、単に企業、職種、上司と合わなかったと、自らには責はないとするとのことです。このことからも、成果主義は、アメリカで有効であっても、日本の風土には馴染まないと容易に想像できます。

 山田昌弘・東京学芸大学教授は、「パラサイト・シングル」の造語で高名です。その山田が、今月は『中央公論』で「希望格差社会の到来」を展開しています。日本の社会で、格差拡大が生じているとのことです。単なる貧富の差ではありません。正社員とフリーターの別などによりステイタス(立場)の格差が出現し、努力しても無駄であると絶望感に陥る人々が増大し、希望を喪失し、社会の活性化を阻害し、社会秩序まで脅かしてしまうというのです。

 中高年だけでなく、若者も問題を抱えているのです。プロ野球に参入しようとする華やかな若手経営者が存在していますが、希望を喪失した若者が確かに増大しています。進学も就職もせず、職業訓練も受けていない16歳から18歳の若者を、イギリスでは「ニート」(NEET=Not in Education, Employment, or Training)と呼ぶとのことです。玄田有史・東京大学助教授は、日本の現状から、日本版ニートを「18歳以上35歳未満で、進学準備もせず、職探しもしない」存在として定義しています(『ボイス』での斎藤環・精神科医との対談「『ニート』は世間の目が怖い」)。日本版ニートはなんと40万人をも数えるとのことです。

 ニートが増加したから希望格差社会になったのか、それとも希望格差社会になったからニートが増加したのか、必ずしも明らかではありません。少なくとも相互作用が働いているようです。

 華やかな若手経営者については、佐々木俊尚・ジャーナリスト「ネットとバット」『諸君!』、山本一郎・イレギュラーズアンドパートナーズ代表取締役「三十代で500億稼ぐ世界のカラクリ」『中央公論』が詳説しています。ライブドアや楽天がわずかな期間で企業を拡大し巨万の富を得、プロ野球に参入するまでにいたったかが、よくわかります。

 プロ野球界では再編が進んでいます。この問題に関しては、渡邉恒雄・読売新聞グループ本社会長「“世紀の悪者”にも言わせてくれ」『文藝春秋』と『論座』の「オリックス 宮内義彦オーナーが語った」が読み応えがあります。渡邉は、「たかが選手が」発言の後には、「たかが選手だって立派な選手もいるけどね。オーナーとね、対等に話しする協約上の根拠は一つもない」と続けたのだとのことです。取材相手を怒らせたりし、暴言を引き出す、つまりは取材相手を「はめる」取材、「はめ取材」に引っかかったにすぎないと、「新聞人」、つまりは「取材のプロ」だったはずの渡邉が弁明しています。オリックスの宮内にとっては、一連の騒動でかえって球界改革が頓挫し、ビジネスとして球団を保有している意味が減少しているとのことです。

 二人の松井やイチローたちがアメリカで活躍している報に接すると、嬉しさと同時に日本のプロ野球に翳りを感じます(新記録を達成したイチローの打撃については、湯浅影元・中京大学教授「イチロー、262安打の秘密」『論座』が詳しい。イチローの米野球界での位置付けを知るには、梅田香子・スポーツライター「イチローに震撼したアメリカ」『ボイス』が便利です)。

 今回のプロ野球再編劇の第2陣は、業績不振によるダイエーと西武の身売り話です。2社ともに、独裁的手法による経営で有名でした。その経営が破綻したのです。二社を古くから取材してきたノンフィクション作家による『文藝春秋』の対談「カリスマ退場 中内功と堤義明」(上之郷利昭×佐野眞一)が問題に鋭く迫っています。号令一下の経営は、人材に投資する必要もなく、安上がりのシステムだったのです。これでは、上り調子のときはよいのですが、必ずや「躓き」のときがくることは避けられなかったでしょう。

 中国の原潜が日本の領海を侵犯しました(11月初旬)。なんらかの情報収集のためだった可能性ありとの解説記事(例えば『週刊朝日』11月26日号153頁)がありました。従来から、中国は、台湾問題もからみ、情報戦には熱心なようです。タイミングよく、『正論』が「中国の情報戦に対処せよ」を特集しています。なかでも、黄文雄・評論家「語られざる中国・台湾諜報戦争の実態」が、中・台相互のスパイ合戦の凄まじさを詳述しています。

 『文藝春秋』は「大会議 中国爆発」と題する6名の識者による大座談会を掲載しています。サブタイトルは「日本経済の救世主か、『反日』の巨人か」です。一方の極は藤野文晤・元伊藤忠中国総代表で、彼が説くのは、日中経済不可分であり、中国は日本経済の救世主とする意見です。小泉総理の靖国参拝には反対です。それに対抗するのが、中西輝政・京都大学教授です。靖国問題でも譲歩すべきでないし、「以心伝心」的関係を求めるべきでなく、「あくまでもふつうの国同士のグローバル・スタンダードで付き合う」べきであるとのことです。

 東京駅、上野駅…、東京を代表する駅の構内が活気付いています。店舗が新設され、電車を利用するのではなく、店舗だけに向かう買い物客が生じ始めています。つまりは「ステーションルネッサンス」が起きているのです。その斬新性を、大塚陸毅・JR東日本社長が、伊藤元重・東京大学教授との『ボイス』での対談「『駅ナカ』ビジネス、運行中」で、明らかにしてくれます。今後、品川、立川の東京の駅にとどまらず、さらに西船橋、水戸、高崎、盛岡の各駅も大きく様変わりし、それぞれが地域活性化に貢献しそうです。期待大です。

 地方自治体の様相は、駅が変わるとともに、様変わりしそうです。地方は、国の決定を執行すればよいという時代は終焉しました。前三重県知事の北川正恭「さらば、お任せ地方政治」『ボイス』は、市町村長選挙が期限・財源をつけた数値目標を有権者に公約(マニフェスト)として明示する選挙が、常態化しつつあると説いています。地方が国に対し、権限、そして財源を要求するようになること必至です。

 ところで、12月8日は真珠湾攻撃の日ですね。「だまし討ち」とアメリカは痛烈に日本を非難し、「リメンバーパールハーバー」が報復戦争のアメリカの国民的スローガンとなりました。これまでも、「交渉打切り」の対米「覚書」の通告が大幅に遅延した理由やその責任の所在について、さまざまな研究がありました。しかしながら…。「覚書」の手交は予定していましたが、もともと、「宣戦布告」は攻撃後を予定していたとのことです。以上のような衝撃的分析を、佐藤元英・中央大学教授「なぜ『宣戦布告』の事前通告が行われなかったのか」『中央公論』が行っています。一読を薦めます。(文中・敬称略)