月刊総合雑誌02年12月号拾い読み (02年11月25日・記)

 11月初旬は、月刊総合雑誌の分野では、師走です。12月号が出揃います。

 その12月号のうち、心温まる記事は、なんと言っても、サラーリマン技術者のノーベル賞受賞の経緯についてでしょう(田中耕一・島津製作所フェロー「私のノーベル賞仰天日記」『文藝春秋』)。驕り昂ぶりとは無縁な人柄が行間にも滲み出ています。就職率が悪化していますが、今後、日本の若者に求められるのは、彼のような創造力だと多くが力説しています(たとえば斎藤精一郎・立教大学教授の「日本大変!」『文藝春秋』での発言)。

 「日本大変!」は、斎藤や金子勝・慶応大学教授を始めとする論客10人による現今の経済問題についての大討論です。個々の発言・分析には首肯できる点は多々あります。しかし、参加者が多すぎて、論点についていくだけでも“大変”です。ただし、9月末の内閣改造で金融相をも兼務することになった竹中平蔵・経済財政相が、論客たちに信頼されていないことだけは理解できます。
 『現代』は、竹中を信頼していないどころではありません。
 高杉良・作家「竹中大臣を即刻クビにしろ」を巻頭とする「『竹中恐慌』は不可避か」と題した緊急特集を編み、竹中大臣に退陣を迫っています。高杉によれば、デフレ対策に取り組まなければ、失業が急増し、恐慌に陥るとのことです。植草一秀・野村総研主席エコノミスト「小泉・竹中『経済失政』大批判」は、現政権の三原則は「非を認めない・ごまかす・自画自賛」であり、同じ過ちを何度も犯しているとのことです。だから市場から見はなされてしまっているのです。小泉政権発足直後は1万4000円前後だった株価が、わずか1年半で6000円近く崩落しているのです。
 『ボイス』の特集も「どうなる!?デフレ地獄」です。
 植草と同じ野村総研で主席研究員を務めるリチャード・クーも、「小泉政権には絶望した」と現政権をもはやまったく評価していません。地方経済・中小企業は深刻です。にもかかわらず、小泉政権の施策は、こと経済政策に関する限り、明確とは言い難いようです。無責任との印象すら受けます。
 そこで、『中央公論』は「小泉官邸その『無責任』の源泉」を特集しています。平井勉・政治ジャーナリスト「中枢なき権力の失政スパイラル」によれば、「政策転換」であるにもかかわらず、「政策強化」と強弁する小泉総理・竹中大臣の姿勢が問われているのです。あまつさえ、飯島勲・政務秘書官、福田康夫・官房長官、安部晋三・官房副長官の「官邸側近衆は、互いに対抗心を燃やすばかり」で、総理を「一体となって支える雰囲気はからきしない」とのことです。さらには、平井は、世論の高支持率頼みの政権ですから、「(小泉総理は)国民の視線を気にして『予定通り』『揺るぎない』と大見得をきるだけで、ポピュリズム(大衆迎合)政治特有の悪循環に陥りつつある」と厳しく論難しています。
 細川内閣のおり、小泉内閣での飯島勲と同様の位置(政務秘書官)を務めていた成田憲彦・駿河台大学教授「『官邸』ではなく『首相府』を作れ」は、自民党を「抵抗勢力」と位置づけることによって、人気は得たのですが、かえって政治的調整能力・立法能力に欠如することになってしまったと分析しています。従来の方式は改めなければならないのですが、新しい仕組みも出来上がっていないのです。だから、官僚機構内部での調整能力も大幅に低下してしまったとのことのです。
 先に「市場から見はなされてしまっているのです」と記しましたが、水野正義・ジャーナリスト「検証・『竹中金融担当大臣』という選択」も、市場からの信頼のなさを、竹中大臣に対する懸念材料のひとつとしてあげています。さらに、水野によれば、竹中応援団を務めていた有力な学者たちも竹中大臣から距離を置き始めています。

 話題を変えましょう。先月に続いて、拉致問題に、多くの雑誌が取り組んでいます。
 横田滋・早紀江「娘はきっと生きている」『ボイス』は、この25年間の苦悩・苦闘を詳述し、「めぐみはきっと生きていると私たちは信じています。そして拉致被害者全員の帰国まで、私たちの戦いは終わらないのです」と結んでいます。胸打たれる、文字通りの“特別手記”です。
 『正論』は、総力特集として「北朝鮮・拉致・核開発・日本」を編んでいます。
 そのなかの石川水穂・産経新聞論説委員×荒木和博・拓殖大学助教授「あなたたちの非情は忘れない!」と柿谷勲夫・軍事評論家「“永久保存版”『媚朝』家たちの北朝鮮礼賛・迎合発言集」は、与野党を問わず政治家の、また官僚・学者・専門家たちの過去の「北に関する」言動を問題にしています。
 兵本達吉・元共産党国会議員秘書「不破共産党議長を査問せよ」『文藝春秋』は、自らの体験を筆にしたものであり、共産党も、拉致調査を妨害したとのことです。
 個々の詳細は不明ですが、いずれにしましても、名指しで非難・批判された組織・個人は、説明・釈明するよう努めなくてはならないでしょう。

『世界』の特集「日朝不正常関係と拉致問題」だけは、他誌とは筆致が異なります。
 日本側の非を強く意識させられます。巻頭の金石範・作家「歴史は全うされるか」は、「正常化とは何か」と設問し、「結論からいえば日本の戦前、戦後責任、歴史清算が果たされていないことを意味する」との答えを示します。さらには、国交正常化が成立していたら、「拉致事件も起こらなかったのではとのいう思いが強い」と論を進めています。
 金は、神谷不二・慶応大学名誉教授の論文「曝された国家的犯罪性」(『朝日新聞』文化面、9月20日付け)を問題視しています。とくに、神谷の「(拉致と日本の過去の所業を対置して)両者間にあたかもある種の相殺関係が存在するかのような発想をするむきが見受けられる。はなはだ不見識と評さざるをえない」との箇所に焦点をあてます。たしかに拉致事件と戦前の朝鮮人の日本への強制連行を対置する論者がいます。金は、「そのような『発想のむき』があるとすれば、私はそれに与しない」と記していますし、直接的には拉致と強制連行を対置しませんが、日本のかつての帝国主義的植民地支配や関東大震災時の朝鮮人虐殺を取り上げています。それらを等閑視し、被害者的側面を強調していると、日本のメディアのあり方、日本人の反応を、「歴史健忘症」として問題視します。むしろ日本の過去の所業の糾弾を強い筆致で描き、“それに与しているかのように”論述しています。
 この問題に関しては、鄭大均・東京都立大学教授「拉致と強制連行を同列に論じるな」『中央公論』が明快です。
 鄭によれば、「今日『強制連行』といわれるものは当時は『労務動員』とか『徴用』と呼ばれていたもので、朝鮮人を対象にしたものというよりは日本国民を対象にしたものである」し、多くは「義務や運命と考え、従属的に参加していた」のです。鄭によれば、まさしく「拉致に強制連行を対置してものを考える発想自体が不見識」ということになります。

 北朝鮮は孤立したため、核兵器を開発したり、通常兵器を増強したりしているのだ、また、日本との交渉に踏み切ったのだとの見方が一般的でした。この見方に真っ向から反対するのが、武貞秀士・防衛研究所主任研究官「米朝“軍事衝突”の予感」『ボイス』です。ロシア、中国、韓国、日本を取り込み、米国に対抗しようという強気でしたたかな金正日・国防委員長なりの計算が働いているとのことです。実際、加藤昭・ジャーナリスト「北の『核保有』ロシア機密文書」『文藝春秋』によりますと、1993年段階で、「金日成体制の北朝鮮が核を持って」いたのは確実だそうです。以降も、核・ミサイル開発を加速させているのです。
 中西輝政・京都大学教授「北朝鮮の核から国家と国民を守れるのか」『正論』も、小泉訪朝により、日米同盟が揺らいでしまった、安全保障上問題がある、と指摘しています。拉致問題の解決は急ぐ必要があります。一方、安全保障面や過去の清算についての交渉には、慎重のうえにもさらなる慎重さが求められます。
(文中・敬称略)

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