月刊総合雑誌2015年1月号拾い読み (記・2014年12月20日)

 『文藝春秋』に「高倉健 病床で綴った最期の手記」があります。亡くなったのは11月10日でしたが、その4日前に編集部に届けられたのです。映画俳優となった経緯、生き仏・阿闍梨との出会い、そして俳優人生を変えた作品としての「八甲田山」などについて、つまりは人生哲学・死生観が記されています。「僕は、志があって俳優になった訳ではない。思いもよらない変化をかいくぐりながら、出逢った方々からの想いに応えようと、ひたすらもがき続けてきた」とあります。
高倉の手記に続いて、沢木耕太郎・ノンフィクション作家「深い海の底に―高倉さんの死」が、名優との真摯な30年余の交流を綴っています。沢木の最近作(『波の音が消えるまで』新潮社)は、その主人公を高倉に演じてもらいため描いたとのことです。

 『文藝春秋』に「戦後70年『70人の証言』」があります。高倉の稿は、元来、この企画の一環として寄稿依頼したものです。木村太郎・木村兵太郎長男「東京裁判 A級戦犯の父を失った家族の戦後」に始まり、立花隆・評論家「田中金脈研究 五十六億円が乱れ飛んだ総裁選」、宮城谷昌光・作家×半藤一利・作家「我ら日本人の戦後史」等々、盛り沢山です。半藤によれば、現代日本は「本当の意味で外交をやったことがない」のです。戦後は一貫して安保条約で守られてきましたが、1989年以降、それが許されなくなりました。しかし、経験がないため、「結局、強硬外交しか出来ない」のが現状と、宮城谷とともに嘆いています。

 第2次安倍政権の外交を「概ね評価できる」とするのが、宮家邦彦・外交政策研究所代表「中国の“自滅”で救われた外交のゆくえ」『中央公論』です。集団的自衛権の行使容認への道を開き、日中首脳会談を実現したからです。首脳会談の実現は、中国側が歩み寄りを示したからだと宮家は言います。歩み寄りには4つの理由があり、@日本との関係改善を求める経済的理由、A国際的な孤立を避けるとの政治的理由、B内政の安定、CAPEC開催時の機会を逃すと以後のハードルが高くなる可能性が大となる、というものです。(日本の)一部の保守の発言が日本のイメージを害していて、今後の課題は、「贔屓の引き倒し」的発言をどれだけコントロールできるかだとのことです。「歴史問題を本当の意味で過去のものにしない限り、外交的に足を掬われる危険性は常にある」と宮家は危惧しています。
 「片や笑顔を浮かべて習主席に握手を求め、片や仏頂面を下げてしぶしぶ安倍首相に歩み寄る。両者のどちらが国際社会の目から見て格上であり、『勝者』であったか。もはや一目瞭然、というしかない」と、中西輝政・京都大学名誉教授「日中外交の第二ラウンド」『ボイス』は記しています。中西も中国が大幅に譲歩したとの立場です。「(習主席は)日本との関係をいったんリセットして対日戦略を立て直さないかぎり、ようやく固まりだしていた政権の基盤も、悪くすれば揺らぎかねないところまで追い込まれていた」可能性があるからだと指摘しています。日本は、今後、「『法による支配』をもって『力による支配』に対置するという価値観」を共有することを訴え続けていくべきだと力説しています。

 塩野七生・作家「中国に行ってきました」『文藝春秋』は、自著の中国語版の出版完了記念のための北京訪問の顛末を記しています。歴史認識について「日を変え人を変えて何度となく質問された」そうです。「歴史事実は一つでも、その事実に対する認識は複数あって当然で、歴史認識までが一本化されようものならそのほうが歴史に接する態度としては誤りであり、しかも危険である」と一貫して答えてきたとのことです。
 植村隆・元朝日新聞記者「慰安婦問題『捏造記者』と呼ばれて」『文藝春秋』は、取材・執筆の経緯を詳述しています。異例なことに、同誌編集部による「我々はなぜこの手記を掲載したのか」が付せられています。植村の主張に疑義を呈しつつ、「(慰安婦問題を考える)重要な契機となるだろう。読者はどうお読みになるか。我々が手記を掲載した所以である」とあります。
 鄭大均・首都大学東京特任教授「日韓はなにを間違えたのか」『中央公論』には、「韓国人の心の問題である『恨解き』を日韓の外交事案にしたのが間違い」で、韓国が要求し続けたのは日本人の歴史観の改革ですが、かえって「日本人自身の自尊の感覚を強く挑発してしまった」とあります。

 阮蔚・農林中金総合研究所主席研究員「中国人が称賛する日本の農協」『ボイス』によれば、中国の農業関係者は、ほぼ毎年、日本の農協を視察し、感銘を受けている、とのことです。阮は、農協批判論に抗し、中国農業の現状と比較し、日本の農協の社会的機能の重要性を説いています。農協は、食の安全の基盤を担保し、農家の所得向上、農工間所得格差解消に大きく貢献してきたというのです。

 総選挙は、安倍総理の思惑どおり、自公圧勝に終わりました。
 佐々木毅・元東京大学総長「安倍総理よ、驕るなかれ」『文藝春秋』は、選挙結果を得てではなく、解散したこと自体を問題にしています。佐々木によれば、政治には二つの側面があります。「権力の争奪戦としての政治」と「政策を実現し実行する政治」です。政治の本道は、後者です。それがおろそかになっていると論難しています。
 待鳥聡史・京都大学大学院教授「『政策の季節』から『選挙の季節』へ」『中央公論』も、佐々木と問題意識を共有しています。今回の解散に始まり、16年夏の参議院選挙まで大型選挙が続きます。「異なる種類の選挙に勝ち続けないと政権が安定しないのは、日本政治の明らかなアキレス腱」なのです。

 早川英男・富士通総研エクゼクティブ・フェロー「アベノミクスの功罪 デフレは脱却したが…」『中央公論』は、アベノミクスによりデフレ脱却が実現したと認めつつ、消費税率再引き上げを先送りした上で、解散・総選挙に打って出たことを問題にしています。「これまでの成功を帳消しにし、財政破綻、国債急落に繋がり得る危険な道を歩み始めたのではないか」とまで記しています。
 小浜逸郎・批評家×藤井聡・京都大学教授×三橋貴明・経済評論家×柴山桂太・滋賀大学准教授「レジームチェンジをめざせ」『ボイス』も、アベノミクスが主テーマです。小浜、柴山は、金融緩和と財政出動のリンクの重要性を説いています。藤井は10兆円規模の補正予算を組まなければ景気は凋落すると懸念し、三橋も15年に大々的な財政出動がなければデフレに逆戻りすると心配しています。

 水野和夫・日本大学教授「『虚構の成長戦略』資本主義は死んだ」『文藝春秋』によれば、「十八ヵ月後に消費税を上げるかどうかではなく本来ならば、百年後の日本の帰趨を決めなければならない」選挙だったのです。資本主義とは資本の自己増殖プロセスです。しかるに、現在、経済成長は望めず、国債利回りがほぼゼロであり、資本は自己増殖ができていないのです。「資本主義は死んだ」のです。アベノミクスは経済成長を前提とした近代のものです。求められるのは、ポスト近代の理念、とのことです。

 猪木武徳・青山学院大学特任教授「悲観論を裏切り続けた日本経済の人材力」『中央公論』は、戦後復興に果たした人的資源・人材の供給源、あるいは出自を分析し、現今の経済的低迷の真因に迫ろうとするものです。猪木によれば、「近年の短期的な『成果主義』に基づく人事政策は、長期的な競争に基づく人材の評価システムを『見事に』に突き崩す方向へ」と進んでいて、「赤ちゃんを盥の水と一緒に流してしまう」ことになっているのです。日本経済の低迷の真因は、「生産性を根本的に規定する『人材を育てて、活かす』というシステム」が崩れつつあるからなのです。
 猪木の論考は、戦後70年を迎え、「私たちはどう変わったのか」との特集の一環です。特集巻頭は、山崎正和・劇作家・評論家「知識社会論的観点から戦後七〇年をみる」です。戦後70年は、知的社会の成熟と経済成長の二つにより、「日本が世界のなかで輝いた時代」です。しかし、その二つに黄信号が灯っていて、成功は永遠に続かないと予想しています。

 上村洋行・司馬遼太郎記念館館長「司馬遼太郎・福田みどり『けったいな夫婦』37年の愛情秘話」『文藝春秋』、千葉俊二・早稲田大学教授「文豪谷崎潤一郎と松子、重子姉妹との奇妙な恋愛劇」『中央公論』の2篇は、それぞれ大作家の意外な素顔を描いています。

 (文中・敬称略、肩書・雑誌掲載時)

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