月刊総合雑誌02年4月号拾い読み (02年3月23日・記)

 外務省関連では、国民の関心は、鈴木宗男代議士の不正な影響力行使問題に集中してしまったかのようです。しかし、月刊総合雑誌では、当初から田中真紀子代議士の外相としての素質を疑っていました。外相更迭後の編集となった4月号の各誌でも、やはり田中元外相に手厳しいものがあります。
 『諸君!』での上坂冬子・評論家と中西輝政・京都大学教授の対談「“魔鬼子”逆襲の見取り図」で、中西は田中の資質を疑っていたことをあらためて表明しています。上坂も、田中は政治を「低俗」「薄っぺら」にしたと批判的です。両者ともテレビ報道が田中人気を煽り立てている、ととくに「ワイドショー」を問題にしています。
 上坂は、『正論』の曽野綾子・作家との対談(「“清く貧しい”NGO信仰にだませるな」)にも登場しています。元外相を「女性の恥をさらしてくれた」とまで難じています。曽野は、田中更迭により、「国難が去った」としたうえで、財政的に政府に依拠するNGOへも苦言を呈しています。
 上杉隆・NYタイムズ取材記者「田中真紀子 復権を急がせる各党の思惑」『現代』は、田中の外相としてのミスを詳述し、小泉政権批判をさせるように誘導した野党に利用されただけ、外務省内には田中を惜しむ声など皆無だった、と田中を斬って捨てています。
 なお、上杉の論考は、「特集 真紀子と宗男が残した禍根」の巻頭論文です。鈴木や外務省の暗部、それに関連する政治の動きには、国平修身・ジャーナリスト「鈴木宗男を見捨てる橋本派の『計算』」と小池政行・日赤看護大学教授「外相更迭 かくして『機密費問題』は封印された」が取り組んでいます。
 『ボイス』の「特集 小泉内閣の通信簿」の冒頭「小泉内閣の心意気に八十点」で、櫻井よしこ・ジャーナリストは「(田中は)歴代で最悪といってよい外務大臣」であるにもかかわらず、「(田中のほうが)多くの国民が正しいと判断した」のは、ジャーナリズムに問題があると指摘しています。特集内には、岩見隆夫・政治評論家「ワイドショー政治の危機」もあります。
 以上のように、多くの論者が、田中の外相としての資質を就任時から疑っていたのです。また、奇怪な彼女の行動は逐一報道されていたのです。にもかかわらず、彼女に国民の支持が集まったのは、櫻井や上坂たちが説くように、ジャーナリズムの責任なのでしょうか。そうではなく、従来の政治、ひいては外務省のあり方に、国民が胡散臭さを感じ取っていたからではないでしょうか。 
 外務省OB(兵藤長雄・元外務省欧亜局長)も『論座』で「野上君、刺し違える相手を間違えた」と、外務省の体質そのものを慨嘆しています。志を失った外務官僚が事なかれ主義に陥り、結局、野上義二・前外務次官の意識・行動も、真の敵・鈴木宗男に向かわず、国民の期待を裏切った、と後輩に厳しいものです。

 話頭を変えて、中国に関する論調を追ってみます。外相更迭などで、日本外交が混迷している一方、総合雑誌四月号の発行期に中国で全人代(全国人民代表大会=国会)が開催されていたこともあり、また、このところ紙誌に「中国脅威論」との文字が踊っていたからです。
 まず、李登輝・台湾(中華民国)前総統と金美齢・評論家・台湾総統府国策顧問との対談「日台の絆が拓くアジアの新世紀」『正論』を紹介します。今後、中国はアジアや世界にとってより大きな脅威となることはあっても、民主的で開かれた自由の国になる可能性はない、と二人は断定しています。そのうえで、熱き台湾人の気概をもって日本人を覚醒させ、中国に対抗しなくてはならない、とそれこそ熱く説いています。
 『諸君!』の「偉そうな中国人に言っておく!」とのサブタイトルが付されている高木桂蔵・静岡県立大学教授「阿片としての中華意識」は、現在の中国は、唯我独尊の中華思想と末期症状の共産主義が混濁しているとし、中華思想に基づく外交姿勢は強硬となると予想しています。
 邱永漢・作家「中国人がアメリカ人と馬が合うわけ」『ボイス』は、もともと中国人とアメリカ人は、日本人とよりも「馬が合う仲」である、とします。その理由は詳述してはいませんが、彼が説くように、多くの中国共産党指導者たちが子弟をアメリカ留学に送り出しているのは事実です。「やがてアメリカ帰りが政府の重要ポストを占めるようになれば、日本人より中国人のほうがずっとアメリカ人と馬が合うようになる」との邱の結論には、抗しがたいものがあります。

 文化人類学者たる青木保・政策研究大学院大学教授は、4年ぶりに訪れた上海が生まれ変わったことに衝撃を受け、『中央公論』で「上海ソフトパワー論」を展開しています。アジア各諸都市間で、「文化大競争」時代が始まっているのであり、その先端を上海が走っている、日本・東京は遅れをとっていると警告しています。
 上海の現代都市としての発展、中国沿岸部の発展に対し、内陸部の後進性が、現代中国の「矛盾」としてよく指摘されます。たしかに「階層分化」が生じています。この問題に関し、青木は、「開放経済を進めれば当然社会の富は不平等に分配されるようになり、富と貧の差は激しくなる。沿岸部と内陸部の経済格差も、中国経済の高成長はその格差を発展への強力なバネとしているのだから『矛盾』が発展を生むのである」と、中国の現状にきわめて肯定的です。21世紀初頭における日本の国是は、中国、少なくとも、その「文化度」へのキャッチアップだ、と説いているかのように読めます。中国を「脅威」と見るのではなく、かつての欧米と同様、キャッチアップする対象と見なすべき、と説いているかのようです。
 やはりと言うべきでしょう。『論座』の小林英夫・早稲田大学教授「『空洞化』に立ち向かう中小企業」によりますと、日本の製造業の空洞化は相当程度まで進展しています。日本の自動車部品産業メーカーのほとんどが中国へ移転しているか、または移転を計画しています。このままでは、中国からの廉価な製品に打ち負かされ、国内製造業は終焉に日を迎えてしまいそうです。
 このようにして「中国脅威論」は裏打ちされます。もっとも、小林は、いたずらに「中国脅威論」を鼓吹しているのではありません。むしろ、「すべて国内で」から「すべて海外で」へと極端に揺れるような行動は有害だ、とします。やはり日本の特性を生かした魅力ある生産基地づくりを地道に行なうべきだ、と力説しています。課題として、物流、通関、運輸といったインフラコストの削減、基礎産業における最新設備投資に対する国家補助、法人税の引き下げ、ハイテク開発への支援、教育改革や産学連携などを上げています。そのうえで「中国との共存の道をさぐれ」と主張しています。

 小林は、『世界』の「空洞化の中の日本製造業」でも同趣旨を項目別に分けて論述しています。
 『世界』には、余永定・中国社会科学院世界経済政治研究所所長「日中経済協力のあるべき姿とは」もあります。   
 余は、「日中両国の貿易関係は中国が国際分業への参入と産業構造及び輸出構造の高度化において必要な条件を提供している」と説きます。そのうえで、「中国は日本市場に廉価消費財や中間財を提供し、日本における生産コストの削減や日本製品の国際競争力の上昇にも有利な条件を提供してきた」と、中国経済は日本経済に貢献していると指摘します。つまり、彼の主張は、日中両国の経済は高度な補完関係にある、ということです。
 余によれば、日本側は「中国脅威論」を振り回すべきでなく、自らの構造改革に取り組めばよいことになります。彼は、「相互的に信頼する政治基礎さえ成立できれば、両国の経済協力は全面的に強化されるだろう。日中両国は東アジア経済統合の実現を推進するには決定的な貢献を果たすべきであるし、それは可能なことなのである」ときわめて楽観的です。
 他にも「中国脅威論」に目を通してみました。それらの深層心理には、中国が貧しく後進的であれば安心できる、または「補完的関係」では両国が対等であることになり、それでは安寧感を得られない、とする感情が秘められているかのように感じました 。
(文中・敬称略)

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