月刊総合雑誌02年6月号拾い読み (02年5月26日・記)

 連休明けの国会では、有事関連法案や個人情報保護法案が議論されようとしていました。月刊総合雑誌6月号の発売が重なりました。そこで両法案について数多くの論文が掲載されるものと期待していたのですが、肩透かしにあいました。
 有事法制については、『世界』の高橋哲哉・東京大学大学院助教授と水島朝穂・早稲田大学教授の対談「私たちは平和主義を捨てるのか」程度しか見当たりませんでした。高橋は、憲法と根本的に背馳すると反対論を展開します。また、水島は、有事法制なるや、自衛隊は「米軍の介入戦争に協力する『軍事介入部隊』になる」と危惧しています。
 個人情報保護法案には、新聞・テレビ界からも懸念が表明されていました。一方、総合雑誌6月号で読み応えがあるのは、城山三郎・作家と櫻井よしこ・ジャーナリストの対談「この『悪法』生かしてなるものか!」『諸君!』しかありませんでした。法案の主旨は言論統制であるとし、言論・出版・取材の自由が損なわれ、国民総背番号の「家畜国家」になるとまで、強く反対しています。いわゆるメディア規制法案だと断罪しています。
 政治家・官僚への不信感が募っていました。そこに、瀋陽の総領事館事件が生じました。個人情報保護法案などが原案のまま成立しますと、政治家・官僚の失態、彼らによる不祥事が報道しづらくなるのは確かです。

 現今の政治家への不信には秘書給与の流用疑惑がおおいにあずかっています。『諸君!』では、4人の政策秘書が実態を紹介しています(遠藤欣之助ほか「政策秘書の快気炎」)。制度については、前田英昭・駒沢大学教授「議員秘書の構造問題」『世界』が詳述しています。政策秘書は、試験組、講習組、他試験組、博士組の四種類に大別されます。秘書経験10年で講習を受ければ任用される講習組と他の秘書との能力に大差がないようです。そのため、高額な政策秘書の給与と他の秘書の給与とを一括し、それから各秘書に分配するのが常態化しているようです(一種のプール性)。これでは、給与流用は水面下で続けられ、政策秘書制度は形骸化する一方です。
 そこで、2人の政策秘書体験者が改善策を打ち出しています(櫻田淳・佐々木孝明「政策担当秘書制度は、このように改革せよ」『中央公論』)。櫻田・佐々木は、他の公設秘書の給与は各議員に一括支給し、その範囲内で各議員が任意に秘書を雇用する「プール性」にすべきですが、政策秘書の給与体系は別体系にすべきとします。そのうえで、選挙活動や政治資金調達活動を禁止するなど職務内容を厳格にし、まさしく「政策プロフェッショナル」として機能させるべきとします。また、講習組を廃止するなど、任用システムにも改善を求めています。
 田中元外相も秘書給与流用疑惑を抱えています。辻元清美・前議員や田中元外相への批判には、両者が「男制社会」にあって「名誉男性」でなかったからで、“ジェンダーバイアス”があると、男性が牛耳るメディアや政界を糾弾する論考がありました(北原みのり・「ラブピースクラブ」代表「なぜ『人格』がバッシングされるのか」『世界』)。土屋賢二・お茶の水大学教授「小泉首相、『真紀子発言』はあなたの負けです」『現代』は、田中の涙を「女の武器」とした小泉首相の発言を問題視し、女性の小泉離れ現象を軽い筆致で解明しようとしています。
『論座』の草野厚・慶応大学教授+メディア検証機構「『真紀子神話』はどうつくられたか」は、北原とは異なり、テレビのワイドショーが田中の人気を必要以上に高めたと分析します。田中の一方的な発言を繰り返し放映し、それに迎合するコメンテイターの対応が「真紀子神話」を作ったとします。
 かつて田中の父・角栄を追い落とした『文藝春秋』は、娘にも、3篇(立花隆・評論家「田中真紀子と角栄の遺伝子」、奥野修司・ジャーナリスト「真紀子ファミリー新金脈研究」、上杉隆・ジャーナリト「女帝の仮面が剥がれるとき」)で厳しく迫ります。描かれている内容は、ここでは詳述を避けますが、凄まじいものです。立花も、草野と同様、田中支持の女性たちはテレビ報道に影響されていると論難しています。女性たちは、この三篇に接したら、どのように反応するのでしょうか。やはり、“ジェンダーバイアス”があると反撥するのでしょうか。

 秘書給与流用問題にとどまらず、政治とカネの問題があらためて問われています。秘書の口利きも、もとより政治にカネがかかるからです。
 渡部恒雄・戦略国際問題研究所主任研究員「アメリカの政治とカネ」『論座』が参考になります。渡部は、政治にカネがかかるのは当然とし、規制するのではなく、政治資金の透明性とその情報の公開を徹底すべきと静かに説いています。IT時代です。アメリカでは、各議員の選挙資金・収入に関するすべての情報はネット上で簡単に入手できるのです。日本もぜひ見習うべきです。

 この4月から、新学習指導要領に基づき、学校週5日制の完全実施と「総合的な学習の時間」が本格的に導入されました。
 『世界』は「総合学習、大丈夫?」との特集を編んでいます。この特集は、タイトルの末尾の「?」が不要なくらい、総合学習を積極的に評価しています。特集の巻頭座談会「現場発、総合学習はこんなに面白い!」(斎藤隆・明治大学助教授、千葉保・小学校長、善元幸夫・小学校教諭)は、実践例まで付してあるので、総合学習そのものを理解するのにも簡便です。小学校4年生対象の「インドカレーを食べよう」は、インド人に本場のカレーを学校で作ってもらい、インド式に右手のみで食べさせるのです。男の子が先で、女の子は待たなくてはなりません。子どもたちは、そのひとつひとつに疑問を持つようになります。なぜ右手だけなのか、なぜ男の子が優先されるのか。子ども自身が調べるようになり、インドそのものにも興味・関心を持つにいたったのです。
 加藤幸次・上智大学教授「総合学習が学力を引き出す」は、算数・国語は「基礎的スキル」、理科・社会は「問題解決型学習」、総合学習・生活科は「発信型学習」と位置づけます。3者を別のものとするのではなく、縦に構造化すべきと説いています。底に「読み書き計算」を置き、理科・社会を真ん中にし、3層になるように関連づければ、教育効果が高まる、というのです。
 『文藝春秋』も特集「教育大変」を編んでいます。『世界』とは違い、新学習指導要領はじめ文部科学省の施策にきわめて否定的です。西村和雄・京都大学教授「大学生『学力低下』が止まらない」、藤原正彦・お茶の水大学教授「子供に漢字と九九を叩き込め」などのタイトルだけでも想像できるでしょう。
 学校5日制になり、塾通いの子どもが増加しそうです。しかし、塾に通っている子どもですら、学力は低下しているとのことです。苅谷剛彦・東京大学教授らのグループは、昨年、関西圏都市部の小・中学校27校で学力調査を実施しました。この調査によりますと、この12年間で学力が大きく低下しているのです(苅谷ほか「『学力低下』の実態に迫る」『論座』)。同論文は、「子どもの主体性にまかせるばかりの教育は、発展的な内容を含む体験学習や調べ学習の場において、さらなる格差を拡大しかねない」とし、総合学習に疑問を呈しています。
 また、同じ『論座』で、安田理・安田教育研究所代表「『学力中間層』崩壊の危機」は、中堅の公立高校生徒の学力が急速に低下していると慨嘆しています。
 総合学習に代表される新学習指導要領の是非について結論めいたことはここでは記せません。しかし、公教育のあり方が、問われているとだけは記せそうです。

 かつて、経済苦境に陥っていた英国を、日本のメディアは“英国病”との語を用いて揶揄しました。その仕返しを受けています。経済小国となった日本に、英国メディアは、容赦ありません。日本は世界のお荷物とまで酷評されています(緑ゆうこ・作家「英国メディアの日本観を笑っている場合か」『中央公論』)。1日も早い経済の回復を期待したいものです。政治家や官僚を叱咤したくなるのは筆者だけではないでしょう。
(文中・敬称略)

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