月刊総合雑誌02年8月号拾い読み (02年7月25日・記)
『讀賣新聞』は7月10日、1面で、世論調査結果を報じていました。着目すべきは、現在の日本の政治・政治家を「信頼していない」と答えた人が、82%にも達したことです。1年2ヵ月前には、政治全般ではないにしても、新しく誕生した小泉内閣への支持は、80%を超えていたはずです。何が起きているのでしょうか。同時期に出揃っていた月刊総合雑誌の論調に探ってみます。
現今の政治不信に拍車をかけているのは、やはり鈴木宗男問題でしょうか。鈴木は中川一郎・元農相の秘書から政界に進みました。その中川夫人・貞子が『文藝春秋』に登場しています。実に衝撃的なタイトルです。曰く、「夫・中川一郎は他殺でした」。自民党総裁選に出馬・敗退し、失意にあった中川を待っていたのは、鈴木の造反であり、資金の着服だった、と証言しています。さらには、自殺とされている中川の死も、実は鈴木の手によるものではないか、と行間から滲み出てきます。
「政治とカネ」への視線がより厳しくなっていく中、自民、民主両党の若手国会議員10名が、政治資金や秘書制度を考える研究会を発足させました。そのメンバーのうち4人が『論座』に「新しい政治文化をつくりたい」を寄せています。枝野幸男・衆院議員(民主)、山本一太・参院議員(自民)、福山哲郎・参院議員(民主)、水野賢一・衆院議員(自民)が、連名による問題提起の後、各自、資金・秘書給与・陳情処理方法について公開しています。収入・支出ともに平均約4,200万円前後。これでも、他の議員に比べれば、きわめて少ない金額です。共通して秘書給与や活動資金に悩んでいます。実に綱渡りの台所です。また、陳情処理にはどうしても犯罪一歩手前のグレーゾーンが残りそうです。そこで、福山は、「政治家の活動と資金の使途を国民やNPOが定期的にチェックする」仕組み作りを提言しています。
『世界』の特集は、「権力の暴走と迷走」です。その中で歳川隆雄・ジャーナリスト他「劇場型政治の中 根腐れていく外務省」は、田中真紀子前外相や鈴木の問題に隠れ、外務省はいまだ省益や省内派閥の既得権益維持に走っている、その活動は、「国益」実現とはほど遠い、と斬って捨てています。
外務省への不信にも根強いものがあります。『文藝春秋』は、特集「中国不信」で、日中国交回復30周年の期をとらえ、中国、ひいては外務省が主導してきた対中外交を徹底批判しています。たとえば、中西輝政・京都大学教授「日中国交回復 幻滅の30年」、深田祐介・作家と古森義久・ジャーナリストの対談「『媚中派』政治家を叱る」などがあります。もっとも、元自民党幹事長の野中広務・衆院議員は「親中派にも言わせてほしい」で、「顔を合わせ、率直に意見交換を続けること」、つまりは腹を割って話をすれば中国と必ずわかり合える、と楽観的です。野中なども、深田や古森からすれば、親中派どころではなく、媚中派となるのでしょうか。
『中央公論』は、現今の小泉支持の低落傾向を受け、特集に「小泉内閣に起死回生策はあるか」を編んでいます。飯尾潤・政策研究大学院大学教授、曽根泰教・慶応大学教授、21世紀臨調の連名による「提言『強い政権』づくりのための15ヵ条」も、橋本五郎・讀賣新聞編集委員「必要なら容赦なくクビを切れ」も、総理大臣が人事権を大胆に行使し、リーダーシップの確立を求めています。小泉総理も、編集部を聞き手として登場しています(「大胆な人事を行い、改革勢力を結集する」)。「新たに大きな方針を出す。(略)賛成してくれたものだけを起用する、と。この方針も大事かなと思う。私は去年よりも元気です。がんばります」と意気軒昂そのものです。
意気軒昂なのは結構なのですが、その言が虚ろに響くようになっているのです。佐伯啓思・京都大学教授の論文のタイトルのような状況に陥っているのです(「出し物が尽きた小泉劇場」『ボイス』)。先に触れた『世界』の特集には「瓦解する劇場型『改革政権』」とのサブタイトルが付されていました。また、歳川のタイトルにも「劇場型政治」の語がありました。
佐伯は、「劇場型政治」にかわって、「劇場政治」の語をもって論を進めています。「政治は見せ物となり、出し物として人々の関心を引き付けるものと了解されるようになった」、マキコ、キヨミ、ムネオといったキャラクターがタレント扱いされるような状況を問題視しています。さらに、人気投票よろしくタレント並みの扱いで総理を持ち上げた情緒力学が、今度は小泉政権を揺るがしていると展開しています。かかる大衆的情緒とイメージのみですべてが決する「劇場政治」の行きつく先は、政治の崩落であり、国家としての活力の喪失だ、と警鐘を鳴らしています。
小泉政権の改革そのものへの異論も頻出しています。金子勝・慶応大学教授/アンドリュー・デウィット立教大学助教授「『小泉税制改革』は欺瞞である」『世界』は、構造改革の一環として、税制改革が鳴り物入りで始まったが、その思想も手法も従来の財務省主導型だとし、経済の失速が早まるだけだ、と主張しています。医療制度改革も実質的増税であり、その目指す税制改革は、個人の税負担の逆進性を強め、中小企業を直撃し、デフレ不況を一層進める結果に陥るとのことです。
御厨貴・政策研究大学院大学教授「小泉・自民党政権の機能不全」『論座』は、小泉の「改革」は、基本的には「言挙げ」だったとします。従来も、すべからく与党・自民党が危機状態にあったさいの政権は、「改革」をことさら言挙げする必要があったのですし、小泉政権はその典型例となります。なお御厨論文の目次でのタイトルは、「小泉・自民党政権の断末魔」です。二つのタイトルが実によく御厨の論考の内容は表しています。さらに御厨は、小泉の指示は、具体的に動けるような政治的テクニックを使ったものでなく、見るべき成果を上げることはできない、と論難しています。やはり、リーダーシップが問題なようです。
それに止まらず、福田和也・文芸評論家は小泉その人の教養そのもの、人格・生活態度そのものを問題視します(「小泉『公務員総理』の教養調査」『文藝春秋』)。小泉は、秘書官など官邸詰の官僚以外とはあまり会いません。官邸に「引きこもり」、読書、音楽鑑賞、そうでなければオペラやコンサートに。寝食を忘れて政務にあたっている様子は見えません。公務に割くのは午前9時から午後5時、だからこその「公務員総理」なのです。その読書や音楽鑑賞も娯楽のレベルであり、「有機的な教養の体をなしていない」と手厳しく批判しています。
小泉総理は、政策面では、身近にいる中央官庁から出向している秘書官たちの言や振り付けどおりだとの論難がいくつかあります。その秘書官たちとは、国平修身・ジャーナリスト「『落日』に乗じて 財務省、小泉を牛耳る」『現代』などが指摘するように、財務省からの出向者あるいは出身者です。先述した金子たちが指摘しているように、経済政策は財務省主導で決定されているようです。このような状態を、早坂茂三・政治評論家は、『諸君!』で「財務省に羽がい締め」にされていると表現しています(森喜朗・前総理との対談「なに、涸れぬでもなし…」)。
先に『世界』の特集のタイトルの意を十分に伝えませんでした。特集内の政治部記者匿名座談会「統治能力欠如を露呈した小泉政権」は、官僚たちに、総理大臣・政治が畏怖されていない様子を詳述しています。政治が侮られては防衛庁などの官僚たちの暴走を助長してしまう、政治は迷走、官僚は暴走している、ということのようです。
たしかに官庁・官僚による無責任な行政・不祥事が頻発しています。やはり、政治の力の衰退、統治能力、コントロール能力の欠如がありそうです。中西輝政は、『諸君!』にも寄稿(「『押し返す保守』の鯨波」)し、現状を「国家としての崩れ」が劇的なまでに差し迫っており、残された時間は限られていると憂慮しています。
「劇場政治」「劇場型政治」の語をもって展開している論者たちは、そろってメディアに批判的です。『世界』の匿名記者座談会も、当事者として、メディアは政治をイベントのように報道し過ぎてきた、と自戒しています。この国の崩れはメディアにも及んでいます。
(文中・敬称略)
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