月刊総合雑誌02年9月号拾い読み  (02年8月24日・記)

 また終戦記念日がめぐってきました。そのたびに総理大臣など政治家の靖国神社参拝の是非が論点となります。8月初旬発売の月刊総合雑誌9月号のうち、『諸君!』と『ボイス』の靖国問題についての特集が目につきました。

 『諸君!』の「総特集『靖國神社』」の巻頭「十問十答36人アンケート」の回答者の多くも、三篇の論文(打越和子・ジャーナリスト「靖國のこえに耳を澄ませて」他)も、参拝は当然であると主張しています。さらに「靖国神社への外国人昇殿参拝者一覧」(1945年1月〜今年6月の間)が付されています。その意図は、参拝が世界的に認知されている、とのことでしょう。しかし、参拝者の多くは各国の駐日大使館付武官です。国際政治上で認知されているとは言いがたいとの印象が残ります。
 『ボイス』も同趣旨での特集です(「靖国参拝の何が悪い」)。編集部の意気込みほどには、参拝は日本・日本人全体が是としてはいないようです。同誌も、『諸君!』と同様、アンケートをし、その講評を櫻井よしこ・ジャーナリストが担当しています(「経営者一〇〇人アンケート 靖国神社と日本人」)。このアンケートによりますと、総理大臣の8月15日参拝の是非について、意見が真っ二つに分かれています。櫻井は、「回答者の方々は日本のリーダー層」であり、なおかつ意見が割れているのは、「心許ない」と慨嘆しています。他の論者たちの筆致からも、靖国参拝が国内外で完全には認知されていないことに対し、慨嘆ないしは苛立ちが感じとれます。
   『諸君!』『ボイス』の論考の多くが、日本人の歴史認識、日本の歴史教育を問題視しています。それらは、隣国からの批判とは正反対で、日本人としての誇りを持つことを忘れている、または愛国心を持つよう教育していない、というのです。
 昨年、8月15日に靖国参拝を明言していた小泉総理は、前倒しで13日に参拝しました。一方、石原慎太郎・都知事は、8月15日に参拝しました。その石原を、中西輝政・京都大学教授は、19世紀、イギリスの思想的・国家的危機を新しい保守の理念と傑出した外交手腕によって乗り切った首相ベンジャミン・ディズレーリに比肩するとまで絶賛しています(「石原慎太郎における老いと成熟」『諸君!』)。

 石原総理待望論の声は高まっています。だからこそでしょう、『現代』では、佐野眞一・ノンフィクション作家が「誰も書けなかった石原慎太郎のすべて」の連載を開始しました。第1回目は400字120枚にも及ぶ大作です。異母兄の存在を明らかにするなど、石原家のルーツの謎に迫り、読ませます。
 石原は、この9月で70歳・古希を迎えます。前述の中西は、ディズレリーが70歳で本格的な政権を築いた例をあげ、石原の年齢を「老い」よりも「成熟」ととらえています。石原自身も、「ほんとうにやろうと思えば若い頃より何でもできる」と意気軒昂です(曾野綾子・作家との対談「老いこそ冒険の時」『文藝春秋』)。

 『中央公論』は、石原が都知事として取り組んでいる教育に焦点を絞って特集を編んでいます(「石原教育改革の衝撃」)。巻頭座談会「教育が変わる、東京から変わる」には、石原も登場し、東京都教育委員の二人(内館牧子・脚本家、米長邦雄・棋士)と教育論を展開しています。米長、内館両教育委員も石原からの委嘱であり、石原知事になってからは、東京都の教育長はポリティカル・アポインティーとなったそうです。
 東京都では、主幹制(教頭の下に管理職を設置)導入や都立高校の復権への施策が急ピッチで進められています(中井浩一・国語専門塾「鶏鳴学園」代表「都教育委員と都庁“革新官僚”のいちばん暑い季節」)。なおかつ、石原が掲げてきた「徳目教育」の主旨が、都教委の「教育目標」の改正につながりました。「規範意識(道徳心)」「社会貢献」が加わり、「わが国の歴史や文化の尊重」が明記されました。中井によれば、石原の教育改革は、「一見『右傾化』に見えるが、より根本的にはグローバリゼーションへの対応の一つ」とのことです。
   『中央公論』は、『諸君!』『ボイス』が、そして石原が問題視する歴史教育についても特集しています(「歴史教育を問い直す」)。「戦前の人たちは悪いことばかりしてきたから、戦後のあなたたちはそれを『反面教師』としなければならない、という歴史教育は、本当に有効なのだろうか」との問題提起で始まります(坂野潤治・千葉大学教授「史実を曲げずに日本近代史に誇りを持たせる」)。

 サッカー・ワールドカップの折に見せた日本の若者の応援振りは、世界各国の若者が見せたそれとはいささか異なり、他国のチームをその国の国旗を振って応援していました。これも戦後教育の欠陥のなせる業なのでしょうか。山内昌之・東京大学教授は「日本とトルコが対戦すれば当然、日本を応援する。それが人間の本性、『健全な愛国心』の発露というもの」(坂本多加雄・学習院大学教授との対談「『仁義』を忘れた『友好外交』」『諸君!』)と説き、戦後日本人特有の「友好」的なメンタリティーに疑問を呈しています。いや、それに止まりません。「友好」の題目は有害この上ないのだそうです。「友好」の名のもと、対立を恐れ、主権国家として筋を通していない、と戦後外交を両教授は厳しく論難しています。
 たしかに、日本の若者の多くが、ワールドカップでの韓国の四強進出を喜び、かつ熱心に応援していました。
   山内教授によれば、「健全な愛国心」の発露ではない、ということになりそうです。一方で、日韓両国関係は新局面に入ったとの新聞論調も見られました。しかし、ものごとはそう簡単ではなさそうです。
 韓国における反日感情には根深いものがあります。韓国人として、日本の植民地支配の功罪を分析し、韓国の近代化実現のためには功が多かったとする書物を出版(邦訳『親日派のための弁明』草思社)したところ、たちどころに、韓国における原書の事実上の発行停止、マスコミあげての誹謗中傷、著者は出国禁止・重大犯罪人としての起訴などに遭ってしまったのです(金完燮・作家「拘束・テロの恐怖に耐えながら」『諸君!』)。

 「友好」の題目での相手国と言えば、中国です。その中国で、日本企業は苦戦しています(莫邦富・ジャーナリスト「中国市場で存在感を失う日本企業」『論座』)。「日本では、品質とサービスの点では、日本製品が負けるはずがないと思い込んでいる人が多い」が、実は「日本企業のサービスは目を覆わんばかりに低下」したからだ、と莫は指摘しています。「中国脅威論」ではなく、「日本自滅論」とでもしたほうがよさそうです。
 その中国では経済格差が拡大する一方です。中国で実態調査を踏まえて社会の階層化を赤裸々に示した書物が発禁処分となってしまいました(園田茂人・中央大学教授「中国を揺るがす経済格差の拡大」『論座』)。いまだ社会主義国家です。階層化が進展することなど認めることはできないのです。
 やはり著書・論文が「中国社会の様々な階層間の対立を刺激するリベラルな文書」と非難され、2001年6月に米国に亡命せざるを得なかった何清漣・元「深?法制報」記者によりますと、政府・共産党が富や資源の分配を独占的に行なっているのであり、その独占により支配層は腐敗しきっているのです(「日本よ、中国の『人権』をナゼ言わぬ!」『諸君!』)。支配層は、腐敗を批判するよりも、腐敗を批判する人間を弾圧する策を採っている、外国からの投資も腐敗に増幅しているだけであり、中国人民の豊かさには繋がっていない、とのことです。いずれ中国は崩壊しかねない、とまで危惧しています。いわば「中国自滅論」です。
 「日本自滅論」「中国脅威論」「中国自滅論」、どれが正しいのか即断しかねます。ただ、つねに歴史を踏まえ、実態把握に努めなくてはならないことは自明な理だ、とだけは言えそうです。ただし、歴史認識についての隣国との溝をいかに埋めるかの困難な作業は残っています。しかし残念ながら、いかなる策があるのか、即座には明示できそうもありません。今月は、『文藝春秋』に今年度上半期芥川賞受賞作(吉田修一「パーク・ライフ」)が全文掲載されていることを付記して擱筆します。
(文中・敬称略)

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