月刊総合雑誌02年10月号拾い読み (02年9月23日・記)

 米国での同時多発テロ(昨年9月11日)から1年。米国各地で追悼の催しが持たれたとの報に接しつつ、同時期に発売された月刊総合雑誌10月号を手にしました。
 ブッシュ米大統領は国連などでの演説で、テロ根絶のため断固戦うことを表明し、その一環として、悪の枢軸国・イラクを攻撃することを示唆していました。
 今回は、10月号各誌のアメリカに関する論調を追ってみます。

 元外交官の岡崎久彦は、米国の動向に、全面肯定とまで言えませんが、理解を示します。彼は、『ボイス』での日下公人・東京財団会長との対談「アメリカ帝国の誕生?」で、米国がローマ帝国のような「アメリカ帝国」を築いてもおかしくない状況にあると指摘しています。日本は、その是非善悪を論ずる立場になく、米国に追随し、日本・日本国民の利益を考えるべきだ、と展開します。
 日高義樹・ハドソン研究所研究員「先制攻撃するアメリカ」『ボイス』も、米国は冷戦時代の戦略を転換し、世界支配を目指し始めたとしています。
 田中明彦・東京大学教授「米国、イラク攻撃3つのシナリオ」『中央公論』は、世界最強のはずの米国がテロの脅威に最も強く怯えて対イラク政策をとっていると分析します。そのうえで、@米国の軍事行動を必要としないイラク国内でのクーデター、A軍事行動によるイラクでの新政権誕生、B軍事行動が成功せず泥沼化する、との3つのシナリオを検討しています。Bが最悪ですし、@の可能性は小さい。結局、日欧の同盟国にとっては、Aの実現のために米国を支持することしか選択肢はありません。
 熊谷徹・ジャーナリスト「対テロ戦争で切るべき日本の外交カード」『中央公論』も、田中と同様、米軍のイラク攻撃は不可避であるとし、その準備を日本に迫ります。日本の軍事的貢献は、いまだ近隣諸国から懸念されるため、アジア版NATOの創設が必要だと力説しています。

 『文藝春秋』は116ページにも及ぶ「総力特集 アメリカ不信」を編んでいます。その巻頭は石原慎太郎・都知事と福田和也・文芸評論家による対談「もうアメリカには頼るまい」です。石原も、前述の岡崎と同様、米国は「帝国化」していると指摘しています。ただ、石原はそれを「第二のモンゴル帝国」と表現します。岡崎とは違い、石原は、米国に批判的です。米国は圧倒的な軍事力で敵を倒すのですが、その後は管理・統治しないし、自国の国民だけを守ればよい、という一種の恐怖的存在だとします。
 石原や岡崎の「帝国化」を、寺島実郎・日本総合研究所理事長「『9・11』から一年を再考する」『世界』は、「ユニラテラリズム(自国利害中心主義)」に陥っていると表現します。寺島は、米国の掲げる「正義」に懐疑的ですし、軍事力過信を懸念しています。株価を引き上げることが経営の自己目的化された米国流株主資本主義の行き過ぎが景気悪化をもたらしたのであり、経済のかげりと不安から軍事強硬路線が頭をもたげてきている、日本は米国の論理から適切な距離をとるべきだとします。

 『世界』では、内田義雄・ジャーナリスト「『9・11』一年―何が起きつつあるか」、大竹秀子・ジャーナリスト「『アメリカ・タリバン』とは何者か」が、米国国内のこの一年の動きを追い、そのうえで、米国社会の実状分析を試みています。この二篇によれば、1950年代に全米に吹き荒れたマッカッシー旋風(アカ狩り)が再来しているかのようです。同時多発テロ事件直後に成立した「テロ対策法」のもと、個人の自由やプライバシーを著しく侵害する権限が捜査当局に与えられました。大竹によれば、リベラルは打ちひしがれているとのことです。「テロリストから『自由』を守ろうとうたいあげる戦争の中で、内側から国家総動員で『自由』を壊していこうとする政権」と、ブッシュ米政権を大竹は論難します。

 『諸君!』も「『戦争経済』のアメリカ」と題して総力特集しています。その巻頭は、古森義久・ジャーナリスト「米国じゃ、“あっち向いてフン!”―何故か」です。古森は、『世界』の論者たちと異なり、強硬路線反対の代表的と日本でみなされている、ご三家(N・チョムスキー、E・サイード、S・ソンタグ)は、米国内では認知度は低いうえに、主張の軌跡に疑念を持たれていると詳説しています。それこそ、ご三家は、米国内では、“あっち向いてフン!”と扱われている、とのこと。これを読み違えると、米国の世論を読み違えることになり、ひいては日米間に亀裂が生じると案じています。

 米国の世論と言えば、前出の岡崎も、「アメリカ帝国」を論じるさい、実は「二十世紀の歴史を見たとき、アメリカの世論がつねに世界の“独裁者”になっている」とし、「アメリカの世論を読み違えると、国も滅びます」と警鐘を鳴らしています。言わば、「アメリカ帝国」とは、「アメリカの世論」という独裁者によって統治されているのです。その世論は、確かになかなか一つにはならないのですが、まれに衝撃的事件や大きな脅威に接すると収斂します(阿川尚之・駐米公使「それでも私は親米を貫く」『文藝春秋』)。真珠湾攻撃や同時多発テロの例で理解できそうです。収斂すると自己抑制の機能を失いがちです。阿川は、それでも、多様であり、憲法を中心にシビリアン・コントロールが貫徹されている、少数者の権利を守ると、米国を高く評価しています。
 岡崎、古森、阿川などは別にして、反米、あるいは嫌米の風潮・気分が、他の論者たちにはみられます。
 この風潮・気分は日本においてだけではありません。
 かつて日本叩きで勇名を馳せたクライド・プレストウィッツ・元米商務省次官補が、世界各国での調査を踏まえ、自国イメージの悪化の原因を探っています(「祖国アメリカはなぜ嫌われる」『文藝春秋』)。それは、彼我の世界観の相違であり、そのギャップは広がる傾向にあるのです。エネルギー政策、地球温暖化、貧困などに米国は関心を示さなかったと多くの国が怒っています。米国は、民主主義、人権、自由貿易を提唱してきたにもかかわらず、実際は自国の狭い利益しか考えていず、国際問題解決においてダブルスタンダードだった。圧倒的な軍事力を背景にしているだけに、他国には米国は傲慢に映ずるのです。「国際社会対米国」の構図となっている、とまでプレストウィッツは危惧しています。
 実は、上記の政治を中心とした論考には、まだ、米国との距離を真摯にはかろうとする意図が散見されますが、経済関係に目を転じた途端、反米・嫌米一色とも言うべきものとなってしまいます。

 『ボイス』の特集のタイトルは「アメリカ企業よ、お前もか」です。その冒頭で、ビル・トッテン・アシスト社長は「アメリカに学べば会社が滅ぶ」と、祖国・米国の会計制度始め、米国的経営を全面的に否定しています。その否定ぶりは、先の寺島よりも激烈です。さらに『ボイス』では、世界標準と称して世界に押し付けてきた米国流会計基準を、田中弘・神奈川大学教授が「ギャンブラーたちの企業会計」とまで酷評しています。

 『文藝春秋』の特集内だけでも以下があります。丹羽宇一郎・伊藤忠商事社長「さらば、落日の経済大国」、高尾義一・朝日ライファセットマネジメント役員「アメリカン・バブル破裂の恐怖」、東谷暁・ジャーナリスト「ジャック・ウェルチ『勝ち逃げ』の罪」、榊原英資・元財務官「グリーンスパンも神ではない」。第一、特集のタイトルからして「アメリカ不信」ですし、だからこそ、石原・福田による「もうアメリカには頼るまい」が巻頭を飾っているのです。
 大方が、米国経済の急激な落ち込みはやはりバブル崩壊であるとし、また、多くが、米国の従来の施策、米国流の押し付けが日本経済低迷の原因とする傾向を有しています。そのような傾向がみられるなか、浜田和幸・国際未来科学研究所代表は、截然として、世界大不況発生の恐れがあり、その責任の大部分は日本にあると指摘しています(座談会「日米『抱き合い心中』への道行き」『諸君!』での発言)。経済がこのまま推移しますと、まさしく日米が「抱き合い心中」となり、世界大不況となる可能性が高まります。日本に課せられているのは、軍事的貢献よりも一刻も早い不況脱出なようです。
(文中・敬称略)

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