月刊総合雑誌03年2月号拾い読み (03年1月20日・記)

 新春、松が明けたころに出揃った月刊総合雑誌の平成15年2月号に、もっとも数多く登場していたのは、猪瀬直樹・作家でしょう。松田昌士・JR 東日本会長との対談「道路公団の高笑いを許すのか」『文藝春秋』、さらに「道路公団民営化の敵」『ボイス』、「道路民営化と地方の利害」『潮』などが目につきます。週刊誌への寄稿を含めると、彼の道路公団民営化に関する意見は実に多くの目に触れたことでしょう。要するに、現行制度では、採算性無視で無用な道路だけができてしまう、というのです。しかし、猪瀬は、道路建設が不要だとしているわけではありません。情報公開を徹底し、工事の進捗率・必要度を相対評価し、優先順位をつけて行うべき、と至極まともなことを主張しているだけです。そうすれば、政治家が暗躍する余地などはなくなる、というものです。異なった雑誌においてですが、期せずして、二人の高名なテレビ・ジャーナリストが非難されています。

 まず、福田和也・文芸評論家「田原総一朗氏の『歴史観』を問う」『文藝春秋』を紹介しましょう。ご存じのように、田原はテレビ朝日「サンデープロジェクト」「朝まで生テレビ!」などの司会で大活躍しています。その司会振りが、福田によれば、問題なのです。田原は歴史の素養に乏しく、自らの歴史観を問い、反省すべきとのことです。福田の歴史観に共鳴しないまでも、「論理の道筋を、見世物としてわかりやすいものにする、(中略)悪達者な手腕だけが目につく」という福田の田原批判には多くが首肯するでしょう。
 上杉隆・ジャーナリスト「筑紫哲也はニュース番組を迷走させる」『現代』は、TBS の人気番組「NEWS23」の制作現場の一日を追いながらのテレビ・キャスター論、筑紫論です。テレビ報道の舞台裏を詳述していて読ませます。本来、筑紫は、番組の編集長を兼ね、「番組を主導し、仕切る」立場にあるはずです。ところが、彼は、「君臨すれども統治せず」で、台本通りの発言に終始しているにすぎないとのことです。なおかつ、ゲストが友人の場合、「事実や真相の究明」よりも“友情”を優先させすぎている、と上杉は指摘しています。

 北朝鮮報道をめぐって、『朝日新聞』と『世界』への非難が目立っています。『朝日新聞』に対しては、八木秀次・高崎経済大学助教授と渡部昇一・上智大学名誉教授「『朝日人』と『朝日関係』」『諸君!』は、手厳しいものがあります。渡部によれば、『朝日新聞』は北朝鮮擁護・代弁者のごとき論陣を張ってきたとのことです。「北朝鮮・中国に媚びて朝日をダメにした罪深き幹部たち」『正論』は、元朝日常務の青山昌史が片岡正巳・評論家を相手に、戦後の『朝日新聞』の論調形成の裏面を語ったものです。経営陣の思想・考え方に偏向があり、それがそのまま紙面を支配してしまってきたとのことです。
 『世界』に対しての批判の典型例は、『諸君!』1 月号の鄭大均・都立大学教授「金王朝の『忠実なる使途』と化したか」です。それらに対し、『世界』は、今月、編集部名で「朝鮮問題に関する本誌の報道について」を掲載し、反論しています。実は、田原、筑紫への批判、『朝日新聞』、『世界』への批判の底流には、二人、そして二つの紙誌が有する歴史認識・日本の戦争責任についての考え方や、彼ら、それらが担ってきた役割への違和感が伏在しています。彼ら、それらの存在は重い意味を持っています。さらなる議論の発展を期待したいものです。
 加藤周一「戦後思想を語る」(聞き手・成田龍一・日本女子大学教授)が『論座』で連載開始となりました(全三回予定)。第一回目は「戦争責任と『雑種文化』再論」です。加藤の思想の軌跡を辿ることも、歴史認識・日本の戦争責任を考察するさいに、きわめて有益でしょう。
 また、『中央公論』の特集「『戦争責任』の決着をどうつけるか」も役立つでしょう。冒頭の船橋洋一・朝日新聞編集委員、御厨貴・政策研究大学院大学教授、三島憲一・大阪大学教授による「徹底討論『戦争責任』の着地点を求めて」では、外国からの政治的攻勢に終止符を打つ方法を探っています。三島によりますと、「昔の日本がやったことを批判されると、みんな怒るという」屈折したナショナリズムが問題なのです。船橋は、戦争・歴史に関する良質な資料が整理・整備されていないとし、その因を「どういう国にしたいのかという目的意識が日本人に希薄だから」とし、さらに、目的意識がないからこそ、歴史認識を不明確なまま放置してしまっていると指摘しています。歴史認識にまつわる混乱や外国からの攻勢に対する手立てには、御厨が論ずるように、「奇手妙手はない」ようです。『中央公論』のもうひとつの特集「少子化は女性の責任ですか」も、無視できません。

 榊原智子・読売新聞記者「日本の社会は『子育て砂漠』」は、政治記者の出産・育児体験記です。大きなお腹で国会を取材したりすれば、国会議員や同僚記者に戸惑いの眼差しで見られるだけで、世の中、まずは妊婦に決してやさしくありません。榊原によれば、子どもを持つことは職場に対して「裏切り」になってしまうのであり、「日本は、産みたくても産めない国」なのです。うえさきひろこ・エッセイスト「ママ100 人に聞きました。どうして二人目を産まないの?」は、一度は理想に燃えて専業主婦になった女性が、母親の社会的地位の低さに愕然とする様子を詳しく調べています。結局、母親たちは早く社会復帰しようと、子どもは一人で打ち止めにする、これも少子化の一因です。もとより社会復帰は困難です。これでは、最初から子どもを産まない女性が増えるのも無理ないことでしょう。
 根源的には、若者が将来に希望を持てないでいるという問題があると、鈴木りえこ・電通総研主任研究員「国の主導で『育児の社会化』を」は指摘しています。さらに、「かつて女性は生きるために結婚したが、いまはよりよく生きるために結婚しない傾向」があり、男性は「家事・育児訓練もない上に、父親になるための心の準備もできていない」のです。鈴木は迂遠であっても、「国全体で議論を行い新たに求める国家と国民像を提示する。政府は国家のグランドデザインを構築し、その中に少子化への対応を組み込む」など、総合的に対策を練ることが必要だ、と説いています。つまりは、少子化問題も、先の歴史認識の問題も、「どういう国にしたいのかという問題意識」を持って、対処しなければならないようです。たしかに、少子化に止まらず、日本人の生活、そして意識に変化が生じています。まず、長期化している不況による変化があります。その変化を描くべく、『世界』は「現代貧乏物語」と銘打って、特集しています。

 ホームレスやフリーターは、彼ら自らがそのような生き方を選択しているとのイメージを持ちがちです。しかし、耳塚寛明・お茶の水女子大学教授「誰がフリーターになるのか」でも、金子勝・慶応大学教授×金子雅臣・東京都中央労政事務所課長補佐「対談希望なき日本社会に明日はあるのか」でも明らかなように、従来、自由を求めての存在のはずのホームレスもフリーターも、ホープレスな(希望なき)存在になっているのです。
 特集巻頭の高橋伸彰・立命館大学教授「『効率』より『やさしさ』をめざして」の問題意識は、『中央公論』の少子化特集と通底するものがあります。彼によれば、小泉内閣の進める「構造改革」では、「これまで協力の論理で進めてきた福祉や社会保障の分野にも市場の論理を可能なかぎり導入して、効率性を追及」していることになります。効率化を進めて無駄を排するのは、市場の原理からみれば当然のことですが、社会の連帯や協力の絆まで失われる恐れがあることを見落としてはならない、と高橋は警鐘を鳴らしています。連帯・協力の絆が失われたり、失う恐れがあれば、誰が子どもを産もうなどと思うでしょうか。それにしても、田中耕一・島津製作所フェローの言動に接するや癒されます。「効率」ではなく、「やさしさ」を感じます。彼の「私のノーベル賞くたくた日記」『文藝春秋』を、書店での立ち読みでも結構ですから、一瞥されますよう、お勧めします。
(文中・敬称略)

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