月刊総合雑誌03年6月号拾い読み (03年5月23日・記)

 今年の5月のゴールデン・ウィークは、例年に比し、海外への観光客が激減しました。休日が連続しなかったことやイラク戦争の余波なども関係があるでしょうが、もっとも影響大だったのは、新型肺炎「重症急性呼吸器症候群」(SARS)の流行でしょう。

 連休前後の発売だった月刊総合雑誌6月号も新型肺炎を扱っていました。まず、青野由利・毎日新聞論説委員「新型肺炎SARSが世界を揺るがす」『世界』が目につきました。発症、感染の経路、対応策を簡潔に叙述しています。その他、『文藝春秋』には、大朏博善・ジャーナリスト「中国『震源地』は奇病蔓延」、恵原真知子・ジャーナリスト「『21世紀の死病』の正体」があります。
 この稿を草している段階(5月末)では、日本での発症例はありません。しかし、SARSのような未知の感染症が発生したときに必要なのは政府の危機管理です。その危機管理に問題ありと、2篇が指摘しています(中原英臣・山野美容芸術短期大学教授「SARSの侵入は防げない」『ボイス』、山本保博・日本医科大学教授「バイオテロ 列島防護体制の『空白』」『文藝春秋』)。
 中国・広東省で感染症が発生したのは昨年11月16日、その後、南極を除く5大陸に波及していきました。
 この病気が世界中に広まった責任は中国にあると言われています(前出の中原他)。中国政府当局の発表は致命的といえるほど遅れ、その後、政府発表は誰も信用しないようになり、口コミとメールで流れる噂によって北京はパニックに陥ったとのことです(谷崎光・作家〔在北京〕「中国の『SARS報道』には『本当』がない」『諸君!』)。中国政府が、当初、情報を隠蔽したのは、「内陸部を中心とした社会不安が心配でたまらない」からであり、社会不安につながりそうな情報は隠蔽するのだと『正論』の大島信三・同誌編集長「中国政府が恐怖の新型肺炎を隠蔽した本当の理由」は断じています。なお、同誌の編集部構成「新型肺炎から身を守るための必読Q&A」は簡便です。ただし、この欄が皆様の目に触れるころは、そのような"Q&A"は必読ではなく、不要となっているようにと願いたいものです。

 6月号各誌がもっとも力を入れていたのは、イラク戦争に関してです。とくに戦争とその報道のあり方についての論考が多くありました。

 門奈直樹・立教大学教授「戦争とメディア イラク報道は何を残したか」『世界』は、戦争支持の世論形成や戦争に市民たちを動員するためのさまざまな工夫が、米英軍、米英政府によってなされ、協力しないメディアは米英軍に攻撃されたとのことです。その攻撃を、攻撃されたメディア側から詳述しているのが、同じ『世界』の、新谷恵司・アラビア語通訳者「アルジャーラ支局はなぜ爆撃されたか」です。新谷によれば、アメリカのFOXテレビやCNNは、戦争礼賛に終始し、高視聴率を稼ぎました。戦争時には、つねに「興奮した大衆」が誕生し、その大衆にとって好ましい情報しか受容されなくなり、そのため、メディアは偏向報道に陥ってしまう、のだそうです。

 冷泉彰彦・著述業「迷走する米メディア」『論座』も新谷などと問題意識を共有しています。今回の戦争報道で特徴的だったのは、陸上部隊に同行取材するスタイルです。「エンベッド」(embed)取材といわれました。岩石の中に埋め込まれ、逃げられない形で部隊と運命を共にする、との意味です。この「エンベッド」は、進軍のスピード感を視聴者に同時に体験させることになり、結局は、前線兵士への同情や共感を持たせるようにするとの軍の巧妙な世論誘導に役立った、と冷泉は分析しています。
 『論座』の橋本晃・北海道大学助教授「従軍取材はなぜ実現したか」(橋本は『潮』にも「メディアはどのように利用されたか」を寄稿)、岡村黎明・大東文化大学教授「テレビ・ジャーナリズムは戦争をどう伝えたか」も冷泉と同趣旨です。

 民主主義、それの裏づけとなる言論の自由を有しているはずのアメリカのメディア。そのアメリカのメディアに問題あり、と論者たちは危惧しているのです。
 米英軍のイラク攻撃は、あらためての国連決議を得てのことではありませんでした。そのため、アメリカの「帝国」的行動、「帝国」化が問題になっています。
 この問題に真正面から取り組んでいるのが、白石隆・京都大学教授「アメリカは『帝国』の古典的陥穽に嵌まってはならない」『中央公論』です。白石によれば、「鬚面で蜜色の肌をしたアラブ人が『テロリスト』=『化外の民』として立ち現れ、かれらを平定し強化すること」が帝国としてのアメリカの存在を意味づけることになったのです。
 三浦元博・ジャーナリスト「『帝国』の幻影」『世界』は、冷戦時代の共通の規範としての「反共」がなくなり、ヨーロッパ諸国とアメリカの間で、理念の差異が露出する場面が多くなった、またアメリカは国際社会との協調を不必要とするほどには強くない、「帝国」は一場の幻影にすぎないと、アメリカ主導の世界にはならない、と指摘しています。

 それどころではなく、かえってイスラム過激派のテロ活動が活発化すると、同じく『世界』で宮田律・静岡県立大学助教授「中東諸国はイラク戦争をどう見たか」は予測しています。「米英の圧倒的勝利によって、イスラム世界では若者を中心に、国際社会には『不正義』が充満しているとの思いが募っている」からなのです。

 詳述しませんが、アメリカの帝国化批判とともに、アメリカは国際法を無視して戦争を始めたとする批判がありました。このような説は誤りだと、中西輝政・京都大学教授は、岡崎久彦・元外交官との『諸君!』での対談「義務としての戦争」で斬って捨てています。近代国際法の父を言われるグロティウスは『戦争と平和の法』で、「国家主権は絶対的でものであり、内政不介入という原則は国際法の原理である」としています。これをもとに、対アメリカ批判がなされているのです。しかし、中西は、グロティウスの書には、「但書」があると論じています。曰く、「人類の敵のような人道に反する体制、独裁、圧政に対しては外から内政介入してでも打倒することは、許されるべきものというに止まらず、名誉な行為ですらある」。つまりは、武器をとっての介入をグロティウスは奨励しているとのことです。
 中西の説に則りますと……。世界第1次大戦、第2次大戦の惨禍を前にして、「人類的正義よりもとにかく平和」となり、冷戦時代の核戦争の脅威があった時代も、平和第一だったのです。ところが、ソ連・核戦争の脅威等々の20世紀の遺物がなくなった現在、「正義のための戦争」を肯定すべきだ、となります。アメリカは単独でも北朝鮮に厳しく対応することになります。さらには、国連の安保理自体が、20世紀の破綻した遺物となります。中西は、『ボイス』には、「国連は日本の敵だ」を寄稿し、日本人の国連信仰を問題視します。国連憲章には、「日本は国連の敵だ」との敵国条項が残っているうえに、安保理があるため、日本の活動範囲はきわめて限定的になっていると、中西は指摘しています。今後、日本が成すべきは、中西によれば、アメリカ中心の新しい世界連合の提唱者となり、日本にふさわしい地位を確保すること、とのことです。

 ちなみに、『中央公論』も、「『国連信仰』の時代は終わった」を特集しています。しかし中西のようには国連に否定的ではありません。横田洋三・中央大学教授「国連憲章の『発展的解釈』へ」は、今回の米英軍のイラク攻撃を許容する憲章解釈の余地があること、つまりは国連のほうが米英に歩みよるようにと論じているのです。河野勉・国連軍縮局政務官「誰が安保理を貶めたのか―現場からの報告」も、アメリカの単独行動を非難するのは誤りであり、かえって国連安保理にエゴを持ち込んだ反戦派理事国の責任を追及しています。たしかに、国連を再考するときです。『中央公論』の特集の波津博明・読売新聞記者「国連のここが問題だ 早わかりQ&A」を、まずは参考にすべきでしょう。
(文中・敬称略)

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