月刊総合雑誌04年2月号拾い読み (04年1月20日・記)

 新年早々に世に出た月刊総合雑誌2月号に目を通していた、ちょうどそのとき、陸上自衛隊の先遣隊がイラクに出発しました(1月16日)。ですから、どうしてもイラク関連の論考が気になりました。

 『正論』は、従来から自衛隊をイラクに派遣すべきとの論陣をはってきています。2月号でも、潮匡人・聖学院大学講師「拝啓 石破茂防衛庁長官殿」などが「堂々たる『軍隊』として送り出してほしい」と派遣に強く賛意を示しています。同誌には、経済産業大臣・中川昭一も登場しています(「日本よ、大義の前に怯むなかれ」)が、より目立つのは、中曽根康弘・元総理と石原慎太郎・都知事の対談「起て!日本よ 今こそ戦後の呪縛を断ち切れ」です。平和憲法という“虚妄”から脱し、憲法改正に踏み込まねばならない、というものです。

 石原は、『諸君!』でも、佐々淳行・元内閣安全保障室長と対談(「国難は、憲法を超える」)し、緊急時には、平和憲法の拘束を無視し、対応せざるを得なくなると力説しています。中西輝政・京都大学教授「小泉首相よ、『歴史の挑戦』を受けて立て」は、「(自衛隊派遣をせずに)国家としての気概を示さない」と「国家存立の基盤そのものを失い始める」ことになると警告しています。

 自衛隊出身の志方俊之・帝京大学教授は、「自衛隊はイラクで強くなる」(『ボイス』)で、想定される危険を詳述しつつも、「自衛隊にとって正念場である。彼らの活躍を大いに期待したい」と結び、かつ小泉総理は日本の国益のため、戦後最大の決断を下したと高く評価しています。

 紙幅の関係上、北岡伸一・東京大学教授「改めて説く『自衛隊イラク派遣』の意味」『中央公論』には説得力がある、とだけ記しておきましょう。

 もとより、自衛隊派遣に反対の声や懸念も、総合雑誌に寄せられています。たとえば、『現代』では、寺島実郎・日本総合研究所理事長は田中康夫・長野県知事との対談(「アメリカ軍撤退のシナリオを読む」)で、日米同盟を基軸としてアメリカに盲従するのは誤りだし、いつなんどきアメリカが政策転換し、イラクから撤退するとも限らない、このことをも視座に据えなくてはならない、と説いています。さらに同誌には、ポール・クルーグマン・米プリンストン大学教授「日本はまだ嘘つき大統領の肩をもつのか」があり、アメリカ国内には根強いブッシュ政権批判があることをも紹介しています。

 一貫して、自衛隊の海外展開に反対してきた『世界』の今月号には、天木直人・前レバノン大使「自衛隊イラク派遣は取り返しのつかない誤りだ」があります。天木は、アラブの国のひとつであるレバノンで得た情報をもとに、アメリカのイラク攻撃には正当な理由がなかった、としています。アメリカのイラク攻撃の非とそれに追従する愚を大使時代に、総理・外務大臣に意見具申し、そのため解雇された、とのことです。国民の利益に背馳した政策を推進していると、小泉総理、現今の日本外交を厳しく難じています。

 なお、外務省のスタンスに関しては、高島肇久・外務省外務報道官「二人の外交官の殉職とイラク復興支援」『論座』が、昨年11月29日に殉職した2人を偲びつつ、淡々とした筆致で説明しています。高島によれば、自衛隊の派遣はイラク復興のための「顔の見える支援」なのです。武器の携行はあくまでも万一の場合に備えてのことで、「軍事行動を行うかのような報道は全くの誤解である」とのことです。つまりは平和憲法に抵触しないと言いたいのです。

 しかし、先の石原の言にあるように、実際には、超法規的な対応・行動をとらざるを得ないかもしれません。つねに憲法との関係を意識せざるを得ません。

 そのためもあってのことでしょう。『論座』が「9条改憲論の研究」を特集しています。同誌にも、天木・前レバノン大使が「自衛隊否定は非現実的 ごまかしは限界だ」を寄稿しています。憲法を改定すべきとしながら、石原たちとは違い、あくまでも平和憲法の趣旨を維持すべきとするのです。またアメリカの安保政策の変遷に合わせて改憲するのは本来あるべき姿ではない、と主張しています。

 同特集には、「安倍晋三 自民党幹事長 独占インタビュー」や愛敬浩二・名古屋大学助教授「九条改定論の変遷と現在」、豊秀一・朝日新聞論説委員「改憲論の底流にあるもの」などもあります。各論考の立場は違いますが、議論を整理するさいに有用です。きわめて参考になります。

 前レバノン大使・天木は、上記の論文に先立って、『さらば外務省! 私は小泉首相と売国官僚を許さない』(講談社)を上梓しました。この書物を論難しているのが、田久保忠衛・杏林大学客員教授「卑しい外交官の醜い告発本」『諸君!』です。田久保によれば、天木は非武装中立論者で、それに基づく意見具申が否定され、退職せざるを得なかっただけなのです。にもかかわらず、天木は、臆面もなく自らが属していた役所の恥を、つまりは自らの恥を、天下に曝すという愚挙に走ってしまった、と田久保は批判しています。

 話は変わりますが、「マダム・バタフライ」の初演は1904年。ミラノのスカラ座で、作曲はプッチーニ。浅利慶太・演出家「スカラ座の『マダム・バタフライ』」『文藝春秋』は、「西洋の巨大な才能が十九世紀末から二十世紀にかけて、東洋の日本に起こった二つの文明の衝突を描いたまさにその時、奇しくも巨大な白人国家に黄色人種の小国が挑んだ日露戦争が勃発した」と指摘しています。

 まさしく日露戦争から100年。

 『中央公論』の特集「日露戦争100年と司馬遼太郎」は読み応えがあります。山崎正和・劇作家×関川夏央・作家「自由な『明治』の合理的日本人」は、司馬遼太郎の代表作「坂の上の雲」を読み解き、この100年の日本・日本人の歩みを歴史に位置付けます。「明治」日本人は見事に危機を乗り切りました。にもかかわらず、先の戦争のような愚を犯すにいたったのは何ゆえなのでしょうか。日本とは何か、日本人の可能性とは何かを考察するさいの参考となります。

 保阪正康「過去を範としなかった昭和の後裔」が指摘するように、「昭和のある時代は、過去を教師とすることなく、歴史を自らの時代を正当化するために利用した」のです。今後は、このような事態を招かないよう、歴史への洞察力を涵養したいものです。

 そのためにも、世界帝国ローマの衰亡記に取り組んでいるイタリア在住の塩野七生への『現代』のインタビュー「国家の衰亡とリーダーの迷走」をも併せ読むようお勧めします。

 また、昨年が映画監督・小津“生誕100年”でした。昨年12月、日本と海外の映画監督、映画評論家、出演した女優が集まり、小津映画に関し、国際シンポジウムが開かれました。その一部が「生きている小津」と題して『論座』に紹介されています。そのうちの映画監督としては後輩たる吉田喜重のスピーチが出色です。小津監督が俳優を「俗なるもの」と「聖なるもの」とに使い分けたなどとの指摘に吉田の鋭さを感じさせられます。

 子どもが加害者となる事件が急増しています。この問題に取り組んでいるのが、『世界』の特集「私たちは若い世代を『育てている』か」です。巻頭の尾木直樹・教育評論家「子どもを育てられぬ大人たち」によれば、加害少年を厳罰に処したり、監視を強めても犯罪防止につながらないとのことです。むしろ、「(子どもが)どんなに大きな問題をかかえていても、家族や教師など身近な大人からたっぷり愛されているのだという実感こそ、犯罪の抑制に必要」なのだそうです。さらには、“学校創り”や“街創り”に大胆に子どもを社会の一員とし参画させるべきだと展開しています。

 『中央公論』の特集「教育の希望を求めて」の玄田有史・東京大学助教授「十四歳に『いい大人』と出会わせよう」は、尾木の“街創り”の一例と位置づけることができます。中学の2年生、つまりは14歳の子どもたちに、社会参加や職場体験を行わせると、社会性を身につけることができ、不登校の生徒たちの心にすら灯をともすことが可能になるそうです。

 新年を迎え、イラク戦争に始まり、歴史、教育、種々考えこまされました。そんなおり、月刊総合雑誌は有用だと改めて実感しました。(文中・敬称略)

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