月刊総合雑誌04年3月号拾い読み (04年2月20日・記)
『文藝春秋』「編集だより」によりますと、第130回(平成15年度下半期)芥川賞受賞者の選考結果を知らせる会見場は、異様な熱気・興奮に包まれたそうです。その後のメディアの加熱ぶりは、ご存じのとおり、一種の社会現象となっていますね。史上最年少の芥川賞作家の誕生、しかも二人の受賞者が、19歳(綿矢りさ「蹴りたい背中」)と20歳(金原ひとみ「蛇にピアノ」)の女性ということもあって、世間の耳目を集めたようです。
受賞作を、『潮』のグラビアページ「今月の人」欄(撮影・文=岡村啓嗣)は次のように紹介しています。「『蛇にピアス』は、主人公の少女がピアスや入れ墨などの身体改造を通じて結ばれる男女の過程を強烈なイメージで描き出した。綿矢さんの『蹴りたい背中』は、仲間から弾かれた男女の惹かれる気持ち、その微妙な距離感、『蹴りたい』としか表現できない気持ちを魅力ある文章で表現した」。
芥川賞受賞者はその世代の代表、また、受賞作の世界はその世代の感性をもっとも鋭敏に反映するものとみなされてきています。両作品は恒例として『文藝春秋』に選評とともに掲載されています。日頃、文学に無縁な方々も一読すべきではないでしょうか。
毎月、イラク戦争関連の論考を紹介してきました。他に目を転ずべきかもしれませんが、この項を綴り始めたころ(2月初旬)、自衛隊がイラクでの活動を本格化し始めましたので、どうしてもイラク戦争に関する記事が気になりました。『文藝春秋』は、「自衛隊派遣 私はこう考える」と題した著名人37人へのアンケート結果を掲載しています。賛成は阿川尚之・駐米公使はじめ16人、反対は村山富市・元総理など15人。あとの6人は、突き詰めて考え、明確な意思表示をすべき問題であるにもかかわらず、「どちらとも言えない」です。その顔ぶれが意外でしたので、ここに記しておきます。後藤田正晴・元官房長官、片山善博・鳥取県知事、蓮實重彦・元東大総長、和田秀樹・精神科医、呉智英・評論家、永六輔・タレント、以上の6人です。
自衛隊へ派遣命令を発出した防衛長官・石破茂が『正論』(潮匡人・聖学院大学講師との対談「自衛隊に活路はあるか “法治国家”という逆説の苦悩」)と『諸君!』(聞き手=さかもと未明・漫画家「防衛庁長官の『責任』と『覚悟』」に登場しています。前者では、石破は、憲法・法律要件の制約下での自衛隊の活動の困難さを率直に語っています。後者では、自らの生い立ち・家庭環境などを語り、自衛隊派遣への断乎たる決意を表明しつつも、偏執的な「軍事オタク」ではないことを強調しています。
一貫して反対の誌面を作成してきている『世界』は、今月は二人の作家の論考 (辺見庸「抵抗はなぜ壮大なる反動につりあわないのか」、高村薫「『あれかこれか』ではなく第三の道を」) を掲載しています。
中西寛・京都大学教授「国際政治から見た『自衛隊イラク派遣』の意味」『潮』は、「アメリカが孤立すれば世界のバランスが崩れてしまう。(略)多少の問題があろうともアメリカが世界のリーダーであり続けることが、世界の平和のためにはいいのではなかろうか」との認識のもと、自衛隊派遣支持を明言しています。
中西などの説に真っ向から反対なのが、立花隆・評論家「イラク派兵の大義を問う」『現代』です。シベリア出兵から歴史の教訓をくみとり、イラク人からアメリカと一体と見られる危険を説いています。“派遣”でなく、“派兵”との用語を使用していることにも、立花の立脚点を想定できます。
山折哲雄・国際日本文化研究センター所長は、『中央公論』での御厨貴・東京大学教授との対談「国家のために命をかけるということ」で、派遣賛成・反対以外にも重要な論点があると指摘しています。自衛隊員は死を覚悟して出動せざるを得ないのです。自衛隊員の心の痛みに思いをはせないのは思考停止であり、無責任だと難じています。また、殉職者が生じたらいかに祀るのか、と問題提起しています。特に団塊の世代が死を意識する緊張感を有していないと問題にしています。
その団塊の世代は、山折によれば、1,000〜1,200万もいるのであり、10年後には高齢期を迎えます。だからこそ、年金問題が生じてきているのです。
坂口力・厚生労働大臣が「年金改革は『国づくり』の土台」『潮』で、宮武剛・埼玉県立大学教授を聞き手に日本の年金制度の将来を語っています。現今の与党案は、保険料負担の上限を当面18.35%に抑え、給付水準は現役世代の平均年収の50%を確保するというものです。
しかし、保険料は現行の13.58%から引き上げられるのですし、最初は自らの最終所得の何%という保障がいつのまにか現役世代の年収50%となってしまったのです。だからこそ不信が高まり、保険料未納者が増加しているのです。このような不信感を払拭するような制度を求め、かつ個人の損得を超え、年金制度の理念に迫ろうとしているのが、『世界』の特集「公正・公平な年金とは?」です。
もともと現今の年金制度への不信感を煽ったのは、「保険料を上げないと年金制度はもちませんよ」との厚生労働省のキャンペーンだ、と金子勝・慶応大学教授が指摘しています(右の特集内の川本隆史・東北大学教授との対談「『世代間扶養』はありうるか?」)。厚生労働省の言うとおりであるならば、個人が将来の保険として若い頃から積み立てる「積み立て方式」であれば、現在、無理して積み立てても将来の保障は確実ではなさそうです。ところが、金子が説くように、「実態は、少子高齢化が進むにつれて、現役世代の保険料を高齢世代の年金給付に流す『賦課方式』に移行しているのです」。ですから、現在の高齢者の年金を現在の勤労者が、将来の高齢者の年金を将来の勤労者が負担する方式、その比率に社会的合意が得られれば問題がないはずなのです。つまりは、世代間、先発世代の面倒を後発世代がみるシステムが確立できればよいのです。
その観点からの論考には、ロナルド・ドーア・ロンドン大学教授「年金の未来のために『養老税』を提唱する」『中央公論』があります。
厚生労働省は目先の問題対応・解決に性急でありすぎたのです。だから、「年金危機は作り話だ」(加藤寛・千葉商科大学学長×渡部昇一・上智大学名誉教授の『ボイス』での対談)ということになるのです。
『論座』も、「どうする年金―論争に死角はないか」を特集しています。
自らの年金がいくらになるかを計算するだけでなく、今月の総合雑誌の年金に関する論文に目を通し、年金の全体像・将来像を把握するようお勧めします。
先月の『中央公論』(「日露戦争一〇〇年と司馬遼太郎」)に続けて、今月は『諸君!』が「日露戦争と百年後の日本」を特集しています。
半藤一利・作家「それからの『坂の上の雲』の英雄たち」によれば、「日露戦争後の日本は、勝利に驕って謙虚さや真剣さをすっかり失ってしまった。“褒められざる国家”になっていった」のです。その理由は。半藤によれば、簡単です。とかく作戦拙劣とされる乃木秀典大将ですら男爵から伯爵に2階級特進させるなど、論功行賞の大盤振舞いがなされたのです。その対象者は、陸軍65人、海軍35人にも上ったのです。これでは、失敗から教訓を得るような姿勢は望めません。歴史を正確無比に描くわけにはいかなくなります。かくして、悲惨な40年後(1945年)に突き進むことになったのです。
「坂の上の雲」は、もとより司馬遼太郎の作品です。日露戦争時、国際舞台上での日本・日本人の苦闘振りを描いた大作です。ウィリアム・E・ナフ・マサチューセッツ州立大学名誉教授「『坂の上の雲』英訳者が語る『司馬史観』」は、司馬の作品の「透徹した歴史検証、平衡感覚、説得力、徹底した人間の描き方」を他に例がないと高く評価しています。さらには、誰かが再び日露戦争に取り組んでも、「(司馬と)同じくらい巧みに語る可能性」は極めて小さいとまで記しています。しかし、司馬作品は、あくまでも小説です。フィクション(虚構)によるイメージ形成の手法がとられています。司馬の小説としての大作に匹敵・対抗するような歴史家の営みが待望されます。(文中・敬称略) |