月刊総合雑誌04年4月号拾い読み (04年3月20日・記)
台湾の総統選挙(3月20日)の10日ほど前に月刊総合雑誌4月号が出揃いました。その総統選挙を真正面にすえた特集(「『台湾独立』是か非か―総統選は日本の問題だ」)を『中央公論』が編んでいました。総統選の混乱の原因を把握しようとするのであれば、巻頭の若林正丈・東京大学教授「九六年以後―総統選がつくってきた台湾独立論」だけでも一読すべきでしょう。台湾の人々の多くは、大陸中国との経済的相互依存関係を深めながらも、台湾アイデンティティを求めています。総統選ごとに、台湾の民意は、米中そして日本の狭間にあって、ナショナリズムへの傾斜を強めてきています。それを危険視する潮流もあり、対立の構図には根深いものがあります。台湾政情の歴史的経緯・国際的政治環境の変化を、若林論文は簡潔に説いています。
躍進を続けてきた中国企業にも翳りがみられるようです(たとえば、上官文彦・ジャーナリスト「ハイアールは張り子の虎だった」『文藝春秋』)。
その他、中国関連の特集に、『諸君!』の「『銭こそがすべて』の中国」があります。タイトルから受ける印象ほど中国を否定的に捉えているわけではありません。ビジネス・経済的観点から、冷静に中国との関係を問い直そうとの試みです。葛西敬之・JR東海社長「新幹線売込み『中国詣で』は国益に反する」では、対中国関係においては、日本側が熱意を示せば示すほど損をする構図が浮かび上がってきます。
しかし、今後、隣国・中国との経済的関係は、よりいっそう深めざるをえません。また、上記の上官論文が問題提起しているように、中国企業・経済は真にグローバル化するには種々難題を抱えています。
矢吹晋・横浜市立大学教授×渡辺利夫・拓殖大学教授「『人民元切り上げ』と北京五輪」で、渡辺は、中国北京五輪開催される2008年までは順調に成長を続けますが、その年が分水嶺となり、諸制約が顕在化すると指摘しています。矢吹は、人民元の切り上げはあったとしても、5〜10パーセントの間であり、大勢には影響はないと指摘します。そのうえで、中国を含め、隣国の多くが経済的にテイクオフを遂げた結果、「日本は初めて周囲に問題意識を共有できる対等のパートナーを得た」と矢吹は分析しています。渡辺によれば、「アジアのアジア化」が進むのです。中国の真のグローバル化があって、ようやく「アジアは一つ」が現実の世界で実現し、その中での日本のあるべき姿が求められるのであり、日本の可能性が開けていくのだと、二人は力説しています。
ところで、先月も年金問題を取り上げましたが、公的年金の徹底的改革が行われないのは、それなりの理由があるようです。榊原英資・慶応大学教授「日本型国家社会主義『年金・郵貯』を清算せよ」『中央公論』によれば、年金・健康保険等の公的金融は大きくその規模を拡大し、政府業務全体の半分以上を占めるようになっています。しかし、年金も医療保険も悪平等の傾向が強く、かつ「社会主義」的統制下にあります。年金・郵貯という公的金融が日本型国家社会主義「1940年体制」という日本型システムを支えているのです。「公」の肥大化を止めない限り、日本はいずれ破産する、とのことです。
日本型システムには、他にも検討すべき点がありそうです。日本のアニメは、世界に影響力をもつ「ソフトパワー」となりました。しかし、その産業としての基盤は従来型の下請け体制にあり、きわめて脆弱です(岸本周平・経済産業研究所フェロー「このままで日本アニメは衰退する」『中央公論』)。戦略的産業政策が必要とされています。
日本型システムのうち、とくに政府部門は抜本的改革が必要なようです。しかし、経済の回復とともに、民間部門では、日本型システムと言わないまでも、日本型経営が再評価され始めています。
長く低迷が続いていた松下電器産業もV字回復しました。その立役者たる中村邦夫・同社社長は「『幸之助精神』の破壊者と言われて」『文藝春秋』で、チームワークによる「全員経営」の重要性を強調しています。さらに、米国流の成果主義は成果が上がらない人間を「ほっぱらかし」にすることになり、かえってマイナスになると、その導入に反対しています。
地方都市・岡山にあって、小規模ながら、インターフェロンの大量生産に成功し、世界的に高名となった林原の社長・林原健も「小さなバイオ企業、世界を制す」(『ボイス』での唐津一・東海大学教授との対談)で、くりかえし社員間の人間関係の重要さを説いています。『中央公論』では、キャノン社長の御手洗冨士夫が「企業DNAを生かせば製造業は必ず復活する」で、ひところのアメリカ型経営礼賛論を全否定し、密度の濃い社会である日本には独自の人事政策があるとし、終身雇用の効用を熱く説いています。
「日本型年功制」が企業を救うとまで、高橋伸夫・東京大学教授「『成果主義の虚構』を崩す」『現代』は断言しています。もっとも横並びでよいと言うわけではありません。日本企業は、単純な昇進・昇給による評価ではなく、次の仕事で報いるという向上心の喚起や企業の発展につながるシステムを有していたのです。つまり、仕事の成果は次の仕事で報いるのが日本型人事システムです。大きな仕事を任されるようになると、おのずとそれに見合ったポストや報酬も伴うわけで、自然に差がつくのが「日本型年功制」なのです。
企業と社員・個人との関係では言えば、日亜化学工業をめぐる問題を無視できません。ご存じのように、青色ダイオードの発明者・中村修二がかつて勤務していた日亜化学工業に発明の対価として200億円を請求し、東京地裁で認められました(1月30日)。
小川雅照・日亜化学創業者「長男」「日亜化学『200億円』敗訴」の恥を創業家としてあえて晒す」『現代』によりますと、中村は創業者とは2人3脚的な協力関係にあったのですが、2代目の婿養子に陰湿な苛めにあったとのことです。
そうであったとしても、200億円は妥当な金額でしょうか。それを詳らかに論じているのが、山口栄一・同志社大学教授「『二百億円判決』中村修二は英雄か」『文藝春秋』です。山口によれば、中村が「独力で、まったく独自の発想に基づいて」特許発明したわけではありません。一小企業として存亡をかけた多額な投資、リスクへの挑戦がなければ実現できなかったのです。山口の計算によれば、発明の対価は最大2億円程度となります。
何はともあれ、中村の訴えは、企業と社員・個人の関係を考え直す上で意義がありました。経済に回復の兆しがあるので再評価の動きがあるとしても、全体としての日本型システム、日本型経営、そして企業と社員・個人の関係が問われたのです。また、問い続けていかなくてはならないのです。
アメリカでBSEが発症し、アメリカは日本側の主張する牛の全頭検査に応ずる気配はなく、輸入はストップしたままです。そのため、牛丼チェーンから牛丼が消えてしまいました。神里達博・社会技術研究システム専門研究員「米国BSE騒動に見る科学と政治」『論座』によれば、全頭検査は“科学的でない”とする米国の主張のほうが、“科学的でない”のです。だからこそ、森永卓郎・エコノミスト「牛丼『復活』を自立国家の悲願とせよ」『中央公論』は、食糧に関してまでアメリカに追従してはならない、日本の食の安全のため、「アメリカにきっちり物を言うべき」だと主張しています。
また、トリインフルエンザが国内でも発生し、自殺者まで…。では、牛とトリとではどちらが大問題なのでしょうか。それに真っ向から答えているのが、青沼陽一郎・ジャーナリスト「トリと牛、どちらが危ない?」『文藝春秋』です。トリは熱処理をきちんとすれば危険ではありません。一方、アメリカ産牛肉は、ここでの詳述は避けますが、種々多々再検討すべき点がありそうです。
日本の食糧自給率は供給カロリーベースではたった40%、穀物に限ればなんと28%です。森永も、青沼も、輸入食糧の安全性・品質に疑問を表明すると同時に、食糧の自給率の低さを問題視しています。食糧面での安全保障に早急に国を挙げて取り組むべきでしょう。(文中・敬称略) |