月刊総合雑誌04年9月号拾い読み (04年8月20日・記)
オリンピックでは日本のサッカー・チームは振るいませんでした。しかし、その直前のアジア・カップでは優勝しました。ただ…、せっかくの優勝でしたが、後味の悪いものが残りました。開催国の中国の観客が、一貫して日本国歌や日本選手にブーイングを浴びせかけたからです。日中両チームが激突し、日本側の勝利に終わった北京での決勝戦のおり(8月7日)には、中国人観客の一部は暴徒化寸前の様相を呈していました。過去の戦争や歴史に関連して中国人には反日感情がくすぶっているのです。
月刊総合雑誌9月号の発売は、アジア・カップの期間とほぼ同時期でした。上記のような中国人の反日感情、あるいはナショナリズムの発動を予見していたかのような論考がいくつかありました。とくに『中央公論』の「特集 東アジア・ナショナリズムの危険性」は、読みごたえがありました。
岡崎久彦・外交評論家による「政府主導のナショナリズムほど危険な存在はない」は、各国政府、とくに中国政府への警句です。国民を煽れば、結局は政府自らには呪縛となり、外交上では妥協が不可能となり、衝突路線をとらざるを得なくなるのです。危険きわまりないことです。濱本良一・読売新聞記者も、行き過ぎた愛国主義が中国の前途に暗雲を呼び込む可能性があると指摘しています(「愛国主義は民衆に深く根づいた」)。また、経済成長続く中国ですが、国民間に経済的格差をもたらし、かつ指導層と一般国民の意識のずれが大きくなり、それが不穏な動きとなっているとのことです(国分良成・慶応大学教授と劉傑・早稲田大学教授の対談「エリートに置き去りにされた中国民衆の危険なうごめき」)。
終戦記念日が8月15日ですから、8月初旬発売の9月号には、例年、先の戦争や昭和史に関連する記事が多く掲載されます。
『諸君!』の特集は、「リメンバー、昭和史の戦争」です。その中の「私の“昭和博物館・昭和図書館”」は、58人の識者による「時代の空気を知る人・モノ・本」の紹介です。兄弟誌たる『文藝春秋』は、58人より1人少ない57人による書評特集「日本を震撼させた57冊」を、「日本を動かし時代を超える書物」との惹句を付して編んでいます。
『諸君!』では、特集外ですが、牛村圭・明星大学助教授が、米国が東京裁判で掲げた大義をイラク虐待の米兵に適用すれば禁固刑程度ではすまないはずだ、と問題提起しています(「『文明の裁き』はかくも不公平」)。実際、第2次大戦後、日本軍人の5千人以上が捕虜虐待などの嫌疑で「BC級戦犯」として訴追され、千人近くが刑死しています。著しい不公平があり、歴史や裁きは勝利者のものなのかとの疑問が残る、と牛村は言うのです。
東京裁判による戦犯裁判への牛村のような疑義は総合雑誌上でときに目にします。しかし、日本国内外で全面的に受け入れられるとは言いがたいですし、外国からはかえって反発を招きかねません。第一、多く(例えば今月号であれば、『世界』の横田耕一・流通経済大学教授の「公的参拝は『政経分離原則』違反である」など)が指摘するように、中国人の対日批判は、A級戦犯を合祀している靖国神社に総理を始めとする政府要人が参拝することに向けられています。
戦犯・靖国に関しては、国内でも見解が統一されていません。
一方の極である『正論』は、先の横田の説とは正反対で、百地章・日本大学教授などによる座談会(「靖国を危うくする政教分離訴訟原告と裁判官の正体」)や大原康男・國學院大學教授の「“確信犯”吉田茂の靖国参拝を見習え」で、総理の靖国神社参拝は定着化すべきと展開しています。
『正論』に正反対の方向から、「靖国問題とは何か」と題した特集を、横田の論考を含め、『世界』が組んでいます。その巻頭で梅原猛・哲学者はインタビューに応じ、「靖国は日本の伝統から逸脱している」と主張しています。梅原によれば、権力獲得のため滅ぼした人たちを鎮魂する神社を自らの祖先の神社より大きくつくったというのが、日本の伝統とのことです。自国の犠牲者のみを祀るのは伝統的神道に反し、諸国から反発を招くのでは外交上もマイナスだ、ということになります。
「7月号拾い読み」でも紹介しましたが、このところ、皇室についての論議が目立っています。
今月は、『論座』が「苦悩する象徴天皇制」を特集しています。中野正志・朝日新聞記者が「雅子妃の『お疲れ』はどこからきたのか」で指摘しているように、現今の問題の起因は、皇室典範にあります。つまり、「男系男子」による「万世一系」による皇位継承の原則の維持が危ういと多くが考えるようになったからです。松本健一・麗澤大学教授(『論座』の中根千枝・東京大学名誉教授他との座談会(「天皇と日本社会」) によりますと、明治憲法下では「皇男子孫之ヲ継承ス」であっても、側室が認められていたので問題はなかったのです。中根の説くところによりますと、「万世一系」は極めて日本的な概念です。父と子という血縁は重視されますが、中近東社会にみられる父系血縁制ではありません。つまり、父の正式の妻の子である必要はありません。こうした考えでは、息子がない場合は、側室の子以外にも、息子の代わりに娘を後継者にしうることが理論的には可能になるはず、とのことです。
なお、男系・女系の問題は、7月号時にも触れました。女系とは女帝が生んだ子が天皇になり、その系統が皇位を継承していくことです。ここでは、これ以上、詳述することはやめ、興深かった論考のみに言及します。
世論調査では「天皇は女子でもいい」が七割以上占め、国会議員でも女性天皇容認を主張する者が少なくありません。これに関連し、笠原英彦・慶応大学教授は、「『女性天皇』問題の本質を衝く」(『中央公論』)は、女性天皇が女系天皇につながることの意味を果たしてどれだけ理解されているのだろうか、と危ぶんでいます。
『ボイス』も、「皇室の危機、日本の危機」を特集しています。その中で、高森明勅・拓殖大学客員教授は、「皇位の継承と直系の重み」で、先の中根の指摘に近い論述をしています。明治以前は、いわば双系主義で、厳密には男系優先ですが、場合によっても女系も機能しうる余地を制度上、公認していたとのことです。
昨今の論点を理解するには、『文藝春秋』の「平成皇室会議」とのサブタイトルを付した「皇統断絶の危機に」が簡便です。先の笠原始め、男系論者の八木秀次・高崎経済大学助教授や女系を容認する高橋紘・静岡福祉大学教授ほか、計9名による座談会で、読みやすい構成となっています。
9月号では、7月の参議院議員選挙の結果分析も取り上げられています。
『中央公論』上の橋本晃和・政策研究大学院大学教授の論文タイトルは、「民意は政権交代に向けて成熟している」です。また、岩見隆夫・毎日新聞社特別顧問のそれは「自公連立のなかで失われた政権党のアイデンティティー」です。さらには、選挙分析を専門としている蒲島郁夫・東京大学教授及び菅原琢・日本学術振興会研究員の二人の筆による「二〇〇四年参院選 自民党自壊・民主党定着の意味」によれば、自民党の地盤沈下はやみそうもありません。榊原英資・慶応大学教授は「ブームは去り、財政赤字だけが残った」を寄稿しています。上記の論文名などから判断すれば、『中央公論』の日本の政局に関する特集タイトルが、「小泉歌舞伎の終焉―自民党は生き残れるか」となるのは当然でしょう。
ちなみに蒲島は、『世界』でも、星浩・朝日新聞記者と対談(「自民党の劣化と衰退はもう止まらない」)し、小泉政権・自民党の前途に警鐘を鳴らしています。昨今の政治状況は、山口二郎・北海道大学教授によれば、「戦後政治の終わりに向けたカウントダウンが始まった」(『論座』)ということになります。
イラクへの自衛隊派遣から半年たちました。そのイラクの空手界では、必ず日本から先生を招いているとのことです。『正論』の「イラクで息づく空手道が示す日本外交の未来」で近藤誠一・外務省広報文化交流部長が説くように、日本は経済力や軍事力のみでなく、固有のソフトで国際貢献すべくより一層努めるべきでしょう。
第131回芥川賞発表が『文藝春秋』にあり、受賞作の「介護入門」(モブ・ノリオ)が全文掲載されていることを付言して擱筆します。(文中・敬称略) |