月刊総合雑誌056月号拾い読み (05年5月21日・記)

 4月9日、中国・北京で「反日デモ」、日本大使館への投石があり、16日には上海で日本総領事館への投石や33軒の日本レストランへの破壊活動がありました。そのほか、地方でも反日活動がありました。各誌6月号は、中国での「反日デモ」を踏まえての編集でしたので、今月も先月に引き続き、中国関連の論考を中心としての“拾い読み”とすることにします。

 月刊総合雑誌の雄たる『文藝春秋』が総力特集として「中国に告ぐ」を編んでいます。まず、同特集を紹介しましょう。  巻頭は、石原慎太郎・都知事「北京五輪を断固ボイコットせよ」。中国では、貧富の格差が拡大一方であり、党官僚の腐敗が甚だしく、それらへの不満が充満していて、イデオロギーを押し付けるだけではとても統治できなくなっていると、石原は指弾します。そのうえで、国民の不満を直接的に政府に向ってこないようにするための道具として利用されたのが、「反日」だとします。中国は日本の歴史教科書を非難しますが、石原によれば、2000万人もの同胞を殺した文革に関する記述やチベットやベトナムに対する暴虐の歴史に触れない中国の歴史教育のほうが問題なのです。今後も反日デモが続き、当局が謝罪もせず在留邦人の安全確保を怠るのなら、モスクワ五輪のときと同様、3年後の北京五輪のボイコットをも考慮すべきと、石原は主張しています。

  中西輝政・京都大学教授「日本企業よ、『黄河の呪い』から覚めよ」によれば、尖閣、台湾、国連、東シナ海のガス田問題など日中間の問題すべてを「歴史カード」に収斂させ、日本に譲歩を迫る「大戦略」が反日暴動の裏にあるのです。「官製デモ」だとの解釈です。中国の歴史には、正しいことが簡単に崩れるという不条理(「黄河の呪い」)が付きまとうのです。それを十分に踏まえ、「民主化」「言論の自由、人権の尊重」を中国社会に育てるよう努めることのほうが、「反日教育をやめてくれ」と懇願するよりも、はるかに有効とのことです。

  上海のあと、五四運動の記念日(5月4日)にもデモはありませんでした。それを安堵したのは、実は日本人だけでなく、中国当局だったと、富坂聰・ジャーナリスト「反政府暴徒137人が殺された」が報じています。工場封鎖をめぐり労働者が暴徒化し、治安部隊と衝突し、死者137人の多きを数える事件があったのです。反日デモが変質し、なし崩し的に全国的な反中央の動きとなることを恐れたがゆえに、4月16日以降、当局はデモなどを押さえ込んだのです。

  『文藝春秋』に紹介されている限りでも、中国・中国人の観点・解釈は、上記のものとはまったく異なります。「中国人民の憤怒を思い知れ」の通しタイトルのもと、童増・保釣連合会会長「小泉首相に謝罪してもらいたい」と劉江水・清華大学教授「中国人にとって日本は『とても危険な国』」の2篇が掲載されています。童によれば、デモはあくまでも自発的であったのです。童は、今年は反ファシズム勝利60周年にあたるのだから、小泉首相は心からの謝罪をすべきであり、それが日中関係の改善の第一歩だ、と強硬です。また劉は、一般の中国人は、台湾問題、島の領有権問題は、戦争に発展する可能性を孕んでいると感じ、日本が攻撃してくることを恐れていると論述しています。

  『文藝春秋』には、もう1篇、興深い論考があります。鈴木宗男と行動を共にし、“外務省のラスプーチン”と呼ばれた佐藤優の現在の肩書きは、起訴休職外務事務官。その佐藤が「中国と田中均 日本外交の罠」を寄稿しているのです。彼は、外務省内の中国を専門とするチャイナスクールの存在が小さくなったことや外務省と官邸のパイプが切れていることが日本外交にとってマイナスとなっているとみています。ちなみに、対北朝鮮外交を仕切ってきたと言われる田中均(現・外務審議官)は「拉致被害者を二週間で戻す」との「小さな約束」を破ったのです。そこに対北朝鮮外交の最大の失敗があったと、佐藤は分析しています。「小さな約束」を守らない者は「大きな約束」を絶対守らないと、とみなされるのです。  次に『中央公論』に目を転じてみましょう。特集タイトル「反日中国が陥った危機」から想像するに、日本にとってよりも、中国にとっての危機だと認識しての編集でしょう。

 田中明彦・東京大学教授は、岡本行夫・外交評論家との対談「胡錦濤政権を揺るがす『愛国』暴走と世界の視線」で二つの側面からみて深刻だと案じています。一つは中国で「日本は過去を反省しない悪い存在だ」と記号化し、定着したこと。二つめは中国の現体制が十分に事態を把握できていないこと、です。岡本の表現では、政権批判をそらす目的で「反日」をガス抜きに使おうとしたのですが、「ガス栓を開けたがいいが、閉められなくなっている」ということになります。

  反日感情は戦争を知る高齢者よりも若者のほうが強くなっている傾向があります。その理由を、岡本は、中国の「愛国反日教育」の影響であり、インターネットの普及、とみています。インターネットで、いとも簡単に意見は過激化し、デモなどの活動に繋がるのです。岡本は、北京五輪に参加できないとの議論が日本国内で強まることを懸念しています。そこで、歴史検証の日中合同プロジェクトを開始し、かつ欧米に向け日本の立場をアピールし、マルチな国際関係の中で中国に対日姿勢を改めさせる道を模索すべきだと提唱しています。田中は、中国の民主化に望みを託します。「民主化した社会では国民の多様な意見を表出できるので、一方的な排外主義に走ることを抑制する可能性が高くなる」と。

  真っ向から中国に反論し、日本の立場の説明しようと試みているのが、北岡伸一・国連次席大使「いわれなき日本批判を排す」です。中国は日本の国連安保理常任理事国入りを好まないのです。それが反日デモの背景にあると、北岡は説きます。また、日本が歴史を歪曲しているとの中国側の批判へ論駁しています。日本は戦争責任を認め、きちんと謝罪してきた、小泉首相の靖国参拝も侵略戦争を美化するものでない、と歯切れよく展開しています。北岡も日中間での歴史共同研究を提唱しています。そのさいのための三条件を挙げています。――学術的方法を貫き、学問の自由を尊重すること。中国の歴史認識も再検討する、相互的な検討をすること。第三国の学者の参加――。

  田中健之・アジア・ナショナリズム研究家「『反日』『反政府』運動の系譜を読む」は、近代中国の政治史上、おかしなルールがあると指摘しています。そのルールとは、「抗日」「反日」を叫ぶ側が常に正義、それを抑圧した側は売国奴のレッテルを貼られ、敗れ去るというものです。ここに中国政府にとっての対応の困難さ(もちろん日本・日本政府にとっても)がありそうです。

  一貫して靖国参拝を問題視してきた舛添要一・参議院議員(自民党)は、小泉外交を手厳しく批判しています(『無策な小泉政権では事態打開は困難』)。

 以上、『文藝春秋』と『中央公論』に紙幅を割きすぎました。大急ぎで、他誌にも言及しましょう。 『ボイス』では、長谷川慶太郎・国際エコノミスト「中国は崩壊する」が日中間の経済的関係では永続的に日本が主であり、中国が従、反日暴動などは「高みの見物」に徹するべきだ、日本はその力に自信を持つべきだと説いています。

 『諸君!』の特集タイトルは「牙を剥く中華帝国の暴乱」、『正論』のそれは「中韓『反日』包囲網の深層」、『現代』にいたっては「反日『宣戦布告』に毅然と立て」となります。紹介した各誌のタイトルだけから判断するに、中国の「反日」に強く対抗しようとする気構えが読み取れます。朱建栄・東洋学園大学教授が『論座』で説くように、「けんかを続ければ日中は共倒れだ」とならないのでしょうか。朱は、「官製デモ」との解釈を排します。経済の高度成長の結果、ナショナリズムが勃興し、それが反日に向い、インターネットにより拡大したデモを政府が抑えられなかったのです。中国は、共産党が指一つで操れるような社会ではなくなったとのことです。また、日本では興味本位や反発をあおる報道が相次いだと、日本のメディアをも問題視しています。前述した雑誌の特集タイトルをみるだけでも、朱に反論しがたいものを感じます。

 反日は韓国でも強まっているとのこと。まずは、朴一・大阪市立大学教授「泥沼の日韓関係修復のために」『論座』を一読すべきでしょう(文中・敬称略)

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