月刊総合雑誌05年9月号拾い読み (05年8月21日・記)
8月15日はもとより終戦記念日。とくに今年は戦後60年目ですので、8月に出揃う月刊総合雑誌9月号の多くが、先の戦争関連や戦後の歩みに誌面の多くを費やしていました。
『正論』は二つの特集(「閉ざされた言語空間と『戦後神話』」「日本を貶める『歴史の虚構』を許すな」)を編んでいます。特集のタイトルからも類推できるように、それらの論考は、戦後日本人の歴史認識には戦勝国の論理の悪影響や左翼的偏向がみられるとするものです。
『諸君!』の「8・15『歴史の分岐点』に立って」と題する総力特集は、“靖国”に焦点をあわせています。その巻頭は、石原慎太郎・都知事と佐々淳行・初代内閣安全室長による対談「陛下、ご参拝を…!」です。無縁仏になっても最後には国が祀ってくれると信じて死んだ兵士の霊に応えるため、終戦の日、8月15日に小泉総理は靖国に行くべきと、二人は熱く説いています。
『ボイス』も、あらためて真正面から“靖国”に取り組み、「どうなる!?靖国参拝」を特集しています。特集内で東條英機を祖父に持つ東條由布子をはじめとする8名に戦後60年の靖国参拝のあり方を論じさせています(「論争・八月十五日首相参拝」)。ちなみに、8名のうち5名は、終戦記念日での首相の参拝には必ずしも賛成ではありません(所功・京都産業大学教授「春秋例大祭に正式参拝を」など)。なお、渡部昇一・上智大学名誉教授×中西輝政・京都大学教授「宗教干渉を許すな」や3人の衆議院議員(森岡正宏、古川禎久、原口一博)による「私たちは十五日に参拝する」は、日本は「東京裁判」を受諾していないのであり、「A級戦犯は罪人ではない」と主張しています。だからこそ、小泉総理も8月15日に靖国神社に参拝すべき、と彼らは提言するのです。
“靖国”関連では、高橋哲哉・東京大学大学院総合文化研究科教授が著した『靖国問題』(ちくま新書)がベスト・セラーとなっています。同書を『諸君!』では潮匡人・評論家(「<感情の錬金術>を嗤う」)が、『正論』では、長谷川三千子・埼玉大学教授(「テツヤ君の『靖国問題』は問題ではナカッタ!」)と佐藤優・起訴休職外務事務官(「とても同意できない高橋哲哉著『靖国問題の罠』」が論難しています。潮は「自国の伝統宗教を誹謗」していると糾弾し、「分祀や非武装を含む」(高橋の)提言を疑問視しています。長谷川は、「(高橋の口ぶりは)靖国神社は悪徳霊感商法の詐欺師だと言わんばかり」だと、高橋の論理展開を否定します。佐藤は、「(高橋は)宗教を必要とし、慰めや癒しを必要とし、そして文学を必要とする人々の内在的論理がつかめないのである」と、「哲学で斬る」と帯で謳っている書物を哲学的叙述で斬って捨てています。
結局は、小泉首相は終戦記念日には靖国に行きませんでした。月刊総合雑誌上で熱い論戦が行われてきたわりには、実際には大きな論争を呼び起こしませんでした。衆議院の解散により、選挙に世の関心は移ってしまったのです。
先の戦争関連や戦後の歩みに関連する『論座』の特集は「戦後60年」、『文藝春秋』は「『運命の8月15日』56人の証言」、『世界』は「『戦後60年』が問うもの」で、『中央公論』のそれは「戦争責任、60年目の決着」です。それぞれ読み応えがあります。しかし、紙幅の関係もあり、ここでは『中央公論』の特集を、“拾い読み”することにしましょう。
巻頭論文は、田中明彦・東京大学東洋文化研究所所長「戦争の激減した世界で『戦争の歴史』とどう向き合うか」です。かつては国家間で認識が違えば武力が使われたのです。しかし、戦争のコストが高くなった昨今、歴史について紛争が生じるとすれば、外交問題として深刻化するのです。だからこそ、田中の表現を借りれば、「現代の国際政治を、『歴史』が動き回っている」のです。さらに20世紀後半から、民主体制を確立し、ナショナリズムを強調せずにすむ第一圏域(日本を含め、西側先進民主主義国)と近代化の不安定な政治経済下でナショナリズムを強調せざるをえない第二圏域(中国、韓国など)が並存しています。この第一と第二の圏域との間で歴史問題が発生することになるのです。第一にいる日本は自ら愚かな問題を提起しないようにすべきということになります。
牛村圭・国際日本文化研究センター助教授「歴史認識論争を『文化の裁き』とするなかれ」は、日中および日韓での歴史認識論争のさい、文化の違いを持ち出すときわめて危険であるとし、「徹底して他人の立場に身をおいて考える」ことを提唱します。
松尾文夫・ジャーナリスト「ブッシュ大統領にヒロシマで花束を手向けてもらおう」は、日米間には「棘」があると指摘します。ドイツが連合国空軍のドレスデンへの無差別空爆に関し、旧連合軍の責任を明確にしたうえで、鎮魂と和解の儀式(「ドレスデンの和解」)を10年前に持つことができました。日本も、アメリカとの間に同様な儀式を持ち、日米間の「棘」を抜き、本物の信頼・同盟関係を構築すべきとのことです。ヒロシマ・ナガサキにアメリカの大統領が花束を手向け、日本の首相は真珠湾に…。松尾は、さらに日本の花束は、北京、ソウル、ピョンヤンに手向けられるべきだと結んでいます。
それにしても、歴史認識に絡んで欧州では何故反独デモが生じないのでしょうか。実は、ドイツは半世紀をかけた理論武装と実践によって、周辺諸国に受容さされるよう努力を続けてきているのです。その実際について、熊谷徹・ジャーナリスト「『歴史リスク』と戦うドイツ、放置する日本」が詳述しています。ドイツの歴史教科書はナチスの時代に100頁をも割き、経済界も賠償金を負担し、自らも戦犯を追及してきたのです。
もっともドイツは被害者に補償し、日本がそれをしていないと批判されるいわれはありません。日本は国家間賠償を主体としてきたのです。しかし、謝罪の意・気持ちが「不十分にしか伝わっていないため、実際の賠償の効果まで減殺される不合理」に日本は直面しているのです(鬼頭誠・読売新聞調査研究本部主任研究員「Q&A・戦争責任とは何か」)。
なお、日本とドイツの違いを踏まえ、日本が政治的に解決できる余地は十分あるとドイツ人ジャーナリストのゲプハルト・ヒールシャーが『世界』(「政治にやる気があれば、過去の克服はできる」)で熱く論じています。
先にも少し触れましたが、世の関心は急速に衆議院選挙に移ってしまいました。それでは内政について、9月号はどのように論じていたのでしょうか。
『世界』の特集(「『小泉政権』とは何だったのか」)をみてみましょう。
保阪正康・ノンフィクション作家「『新しいファシズム』の先導者なのか』は、選挙の争点となった「郵政民営化」問題への言及はなく、小泉首相の政治が「憲法改正」に向かうことを危惧しています。また、寺島実郎・日本総合研究所理事長「小泉外交の晩鐘」は、小泉外交を「対米配慮」のみと斬って捨てています。特集タイトルは事態の先取り的でしたが、上の2篇も他の論考(小林良彰・慶應義塾大学教授「創造にいたらぬ破壊」など)も、衆議院解散・総選挙を想定したものではありませんでした。小泉政権が誕生以来4年半を経過し、残り1年となったとの前提での総括を試みたものです。
『中央公論』のもう一つの特集「自民党は生き残れるか」は、郵政民政化法案が衆議院をかろうじて通過した事態を踏まえ、自民党分裂の危険性を孕んでいるとの予測のもとでの編集でした。しかし、解散にいたるとの確信をもってのことではありません。ポスト小泉に名があがっていた野田聖子・衆議院議員「小泉総理は自民党の延命装置に過ぎなかった」にあるように、内閣総辞職・政権交代のほうが確立が高いと予見していたようです。
さて、9月11日の結果はどうなるのでしょうか。小泉サンは再度、「自民党の延命装置」として機能するのでしょうか。それとも…。
『文藝春秋』には、第133回芥川賞の受賞作(中村文則「土の中の子供」)が掲載されています。目次のキャッチフレーズによれば、「虐待と暴力に曝された子供は今−祈りと再生の物語。27歳の新星誕生!」です。選評と併せ読むよう、お勧めします。新しい文学作品、文学の動向に触れることは、時代の動きを感じ取ることにも繋がりそうです。(文中・敬称略) |