月刊総合雑誌06年6月号拾い読み (06年5月20日・記)

「方言ブーム」だそうです。齋藤孝・明治大学教授と金田一秀穂・杏林大学教授との『ボイス』での対談「方言ブームは日本人を温める」を一瞥すると納得できます。共通語の浸透で地方の豊かさ・人間的温かさを失ってしまいました。方言で表現すると、身体的な「声の魅力」が直接響きますので、言語能力向上につながります。方言を駆使できる人のほうが、外国語との親和性も高く、語学力取得にも有利です。だから、方言を積極的に使ったほうがよいとのことです。
 齋藤は、『中央公論』にも登場し、内田樹・神戸女学院大学教授と対談(「真に知的な言葉の使い方」)しています。学習指導要領の柱が「ゆとり教育」から「言葉の力」に変わることを踏まえ、内田は、「型」で規制していく教育方法を提唱します。個性は自由に発現してくるのではなく、「型にはまらない」というかたちで出てくるのです。だからこそ、齋藤の『声に出して読みたい日本語』(草思社、2001年)が説くように、意味がわからなくとも音読に努めるべきなのです。これこそ、「型」による教育方法の典型例なのです。

 『文藝春秋』では、三人の作家(阿川弘之・佐和子の父娘と村上龍)が「私たちの嫌いな日本語」と題し、言葉の乱れを嘆いています。阿川弘之と村上に共通してのいやな言葉は「こだわり」「生きざま」「癒し」です。阿川弘之は、新しい言葉は汚い、とブレーキをかけ続けていくとのことです。いやな言葉、嫌いな言葉を意識することが日本語能力向上、知性・感性の涵養につながるようです。

 日本語の成立する万葉の時代から現在を視座に日本と中国の差異を説き明かす興深い対談が『中央公論』にありました。養老孟司・解剖学者×王敏・法政大学教授「日中間の『バカの壁』」です。王によれば、中国文化は原理原則重視です。原理原則にこだわらず、束縛されないのが日本文化です。養老によれば、どちらが有利かを判断するのが「政治」であり、中国の社会には余裕がなく権力闘争が激しいので、すべからく「政治」で敵か味方かに分けてしまうのです。養老は、さらに、「(日本は)原則を持ち込むと極端にはしってしまう」危険性を孕んでいると展開しています。靖国神社は、戦争のひどさ・よさ、裏表の記憶の象徴です。「古いものを置いておけば、裏も表も残る」ことになります。それをなくすと、戦争のひどさという記憶をもきれいに消し去ってしまうのです。だから、養老によれば、「(靖国を残すことにより)嫌だと思う後ろめたさを持ちつづけることが大事だ」ということになります。

 歴史問題での後ろめたさからの解放を求めてのことでしょうか。『諸君!』に座談会「あの戦争の仕掛人は誰だったのか!?」があります。伊藤隆・東京大学名誉教授、北村稔・立命館大学教授、櫻井よしこ・ジャーナリスト、瀧澤一郎・国際問題評論家、中西輝政・京都大学教授による「白熱の激論七時間」です。『マオ―誰も知らなかった毛沢東』(ユン・チアン著、講談社、05年)などを論拠に櫻井は、中国・ソ連の謀略により、日本が戦争に引きずり込まれていく様相を論証しようとしています。張作霖爆殺の犯人はソ連の諜報員の可能性があるとのことです。しかし、中西が指摘するように「戦争の原因論に関するような新事実に関しては、史料的に当たり直し、冷静に検討する必要」がありそうです。
 戦争の原因論関連では、『諸君!』と同じ版元による『文藝春秋』に保阪正康・ノンフィクション作家「新・昭和史七つの謎」があります。その七つの謎の筆頭が「なぜ無謀な開戦を決意したのか?」です。アメリカの石油輸出禁止により、日本は石油を求めて乾坤一擲打って出たというのが定説です。では、石油備蓄量を正確に把握して戦争に踏み切ったのか……。いや、保阪によれば「実は誰一人その正確な数字を知らなかったという驚くべき事実だけが浮かんでくるのである」のです。やはり、日本政府は国際的な謀略に踊らされていたのでしょうか。
 先の『諸君!』の座談会は七時間でしたが、『論座』には「激論!四時間」の大型座談会「日本外交を語り尽くす」があります。五百旗頭真・神戸大学教授は、総理官邸に参謀本部がついていないことを問題視します。山内昌之・東京大学教授は田中真紀子外相登場により外務省改革の好機を逸したことを悔やみます。外交を含めての日本政治の「内向き化」に李鐘元・立教大学教授は日本の国際的孤立の因を求めています。国分良成・慶應義塾大学教授は日中間が歴史上初めて対等な関係になった困難さを指摘しています。北朝鮮の核開発は「生き残り」を目的としているのであり、「生き残り」に結びつくような合意が達成すれば拉致問題も解決する方向に向かうと小此木政夫・慶應義塾大学教授は予見しています。
 四時間の激論は、「体制と意識の共有を促進しながら和解の過程をリードする。互いの文化を尊重しながら、競争的に共存できる条件を整える。そうした意識改革の先頭にたつ指導者が求められていると思います」との小此木の言を結びとしています。ポスト小泉のリーダーに期待したいものです。

 ポスト小泉の課題に関連しますが、『ボイス』の特集は「『中国の脅威』は本物か」です。巻頭は、岡崎久彦・元駐タイ大使「日中関係はエクセレント」。岡崎は、中国は靖国問題をめぐって日本を非難し続けているが、日本人にとって不愉快ではあるが、不安ではない、商売は順調に推移している、だから関係は「エクセレント」なのだとしています。岡崎論文の結論は「むしろ何もしないことこそが上策だといえるだろう」です。杉本信行・元上海総領事/日本国際問題研究所主任研究員「チャイナリスクを侮るな」は、中国経済は実態以上に過大評価されていると危惧しています。上海には、たしかに高層ビルが林立していますが、ビルは供給過剰傾向にあり、さらにはそれらのビルのメンテナンスや構造に問題があるようです。バブル崩壊の可能性すらあります。また、日本とは体制が違い、政策・制度が突然変更されることもあります。十二分にカントリーリスクを考慮すべきとのことです。
 特集のタイトルに直接応えているのが、ビル・エモット・英『エコノミスト』前編集長「中国経済、恐るるに足らず」です。日本企業は中国社会が大混乱に陥っても「沈む」ことはないようです。タイトルでも理解できるように、なんら中国を恐れることはなく、中国から利益を得るよう努めるべきとのことです。

 小泉改革の功罪として格差問題が論じられています。それに関連し、山口二郎、宮本太郎の二人の北海道大学教授が共著「市民は『格差社会』をどう考えているか、政府に何を望んでいるか」『論座』で、東京都・北海道での世論調査をふまえ、今後の政策的対立軸の考察を試みています。農村部への税金の再配分や行政サービスが過剰だとされますが、受益側の農村部において財源移転の縮小や自助努力を求める声が大きく、日本の民意は健全です。不安定な雇用や社会保障制度の危機に対処すべく、安定的な制度構想が必要とされています。
 脱「格差社会」構想の一環として、『世界』に座談会「新たな労働政策が人間らしい生き方を支える」(浅倉むつ子・早稲田大学教授、神野直彦・東京大学教授、西谷敏・大阪市立大学教授、野村正實・東北大学教授)があります。労働規制の緩和はかえって過酷な労働現場を作り出したのであり、そこからの脱却を早急に図るべきとのことです。神野によれば、労働市場は介入しないと効率的に働かないのです。そのためには、無償教育をも含めて、やり直しのきく労働市場政策、労働市場への参加を保障する政策が必要となります。
 格差問題を「社会のせい」だと言い募っていてはならない、との声があがっています。日垣隆・作家「『格差社会』なんか怖くない」『諸君!』です。「やりたいこと」を仕事にしたいとの願望をもつことは誤りだとし、自己都合中心の仕事観を払拭し、自立すべく自らが努める必要を強調しています。

 日本も多国籍社会となってきていますが、それとともに不安が増大しているようです。だからでしょう、『中央公論』は「多国籍社会は油断できない?」を特集しています。異国の花嫁が閉塞した状況に陥り犯罪に走ってしまった悲劇を橘由歩・フリーライター「アジア人嫁の挫折と孤独」が詳述しています。なお、日本社会は安全・安心を前提にしていますので、岩男壽美子・慶應義塾大学名誉教授の論考のタイトルが指摘するように、「日本は犯罪がしやすい国だ」のです。ただ、河合幹雄・桐蔭横浜大学教授「外国人犯罪のせいで治安は悪化しない」が説くように実態以上に不安感を持つ必要はないようです。
(文中・敬称略)

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