月刊総合雑誌07年07月号拾い読み  (07年6月20日・記)

 保阪正康・ノンフィクション作家は、『現代』での半藤一利・作家、秦郁彦・現代史家との座談会「昭和天皇の『怒り』をいかに鎮めるべきか」で、「富田朝彦元宮内庁長官、小倉庫次元侍従、卜部亮吾元侍従(いずれも故人)によるメモや日記の発見によって、肉声から浮かび上がる昭和天皇像を史実として再検証しようという動きが高まりつつあるように感じられます」と述べています。
 秦によれば、富田メモには、昭和天皇は「(靖国神社への)A級戦犯合祀」に不快感を吐露されている、と記されているとのことのです。さらに、新資料を読み込みますと、昭和という時代を見つめ直さなくてはならなくなりそうです。まさしく保阪が指摘するように、側近たちの証言により、「『昭和史』に新しい光」があてられるようになってきているのです」。
 保阪は『中央公論』でも御厨貴・東京大学教授と対談(「昭和天皇が守ろうとした歴史と宮中」)しています。彼は、『中央公論』の対談を「昭和史はこれからより鮮明なものになっていくはずです」と結んでいます。 太平洋戦争の開戦時・終戦時の外相を祖父に持つ東郷和彦・カリフォルニア州立大学サンタ・バーバラ校客員教授・元オランダ大使は、「『靖国問題』の思考停止を憂う」『現代』で、「「世界の首脳の祈りの場となりうる、『靖国神社』が生まれればと思う」と記しています。東郷の思いの実現も、昭和史を鮮明にする作業のなかに位置づけなければならないでしょう。

 4月26日、米ホワイトハウスで訪米した安倍首相夫妻を主賓とした米大統領主催の少人数の夕食会がありました。ブッシュ大統領がイラク戦争で犠牲となった兵士の家族にお悔み・慰めの言葉を言うときのつらさを吐露したさい、アッキー、つまり昭恵(安倍)夫人は静かに声を殺して泣いていました。この涙で夕食会の雰囲気はガラリと変わったとのことです。日米首脳同士の友情と信頼を確認する場となり、結果として短期間ながら安倍訪米は成功だったと評価できるそうです(国平修身・政治ジャーナリスト「ブッシュを感動させたアッキーの涙」『現代』)。また、この安倍首相の訪米により、「従軍慰安婦」問題も沈静化した観がありました(田原総一朗・ジャーナリスト×潮匡人・帝京大学短期大学准教授×渡部恒雄・CSIS客員研究員「安倍首相を米国はどう評価したか」『ボイス』)。さらに、加瀬英明・外交評論家は米誌に反論を寄せました(「米誌『ニューズウィーク』を舞台に中韓と戦った慰安婦論争顛末記」『正論』)。
 しかしながら、米下院は「従軍慰安婦問題」で日本に公式謝罪を求める決議案を6月末には採決するとの報道がありました(『読売新聞』6月19日夕)。この問題に関しては、秦郁彦・現代史家×大沼保昭・東京大学大学院教授×荒井信一・茨城大学名誉教授・駿河台大学名誉教授「激論『従軍慰安婦』置き去りにされた真実」『諸君!』も目につきました。大沼の言にあるように、「日本は人権に鈍感な国家」と見られているのでしょうか。きわめて心配です。

 7月号では今夏の参院選は自民党にとって不利とは予想されていません(たとえば、松田僑和・毎日新聞論説室・専門編集委員「影をひそめた自民党の参院選悲観論」『潮』など)。松田が、「選挙戦での自民党の民主党化、民主党の自民党化ばかりが目立ってしまう」と描くように、政策レベルでの決め手に欠き、両党の政策の相違には把握しがたいものがあります。それは、両党の幹事長の討論をもっても同じです(中川秀直×鳩山由紀夫「激突! 自民・民主両党幹事長対談」『論座』)。政策の相違というより、表現上の違いといったレベルです。このようなままでは、与野党逆転は期待できません。
 さらに、民主党内から、公然たる小沢一郎代表への批判が聞こえてきました。枝野幸男・民主党憲法調査会会長「安倍vs.小沢は政治を55年体制に逆行させた」『中央公論』が代表例です。安倍を目先の選挙のみを大事と考えていると批判するのですが、鉾先は自らの政党の代表にあると読み取れます。「私なら、小沢さんのようなスタイルは選択しない」とまで明言しています。参院選までは小沢に任すが、小沢の方式では勝利は望めるはずがないので、その結果を待って退場を要求するとも読み取れます。
 ところが、「年金記録漏れ問題」で、安倍政権の根底が揺らぎ始めました。支持率も低下しました。自民党の前途に大きな陰りが生じました。かといって、民主党の支持率が大幅に向上しているわけではありません。参院選の予想は、この稿を草している時点では困難、混沌といったところでしょうか。

 『ローマ人の物語』(全15巻、新潮社)を上梓した塩野七生・作家の「日本と日本人への10の質問」『文藝春秋』は、読み応えがあります。古代ローマと現代日本の間を行きつ戻りつ、われわれが直面している難問に取り組んでいるのです。紙幅の関係上、詳述できませんが、あえて単純化すれば、すべての答えは、歴史の中にあるのです。彼女の表現によれば、「現代は過剰なまでに情報が氾濫している。この現代で、必要な情報を見分けることは難しい。歴史という長い縦軸をもつことが、自分という器の容量を増やすことにつながる」のです。

 『文藝春秋』には、井上久男・ジャーナリスト「日産ゴーン改革 挫折の内幕」が、カルロス・ゴーン日産自動車社長・CEOへの井上のインタビュー(「私の自信は揺らいでいます」)とともにあります。ゴーン社長のもと躍進を続けてきた日産自動車に陰りが見られます。コスト削減は成功したのですが、ノルマが苛酷となり、生産技術畑が軽視され、現場に不満が募っているようです。ちなみに07年3月期決算に基づく全常勤役員の賞与はゼロとなりました。いわゆる中・長期的成果を重視する「日本型経営」ではない、収益を重視した「米国型」経営が裏目にでたと、井上は論難しているかのようです。
 どうも、「日本型経営」は再評価すべきのようです。スティーブン・ヴォーゲル・カリフォルニア大学バークレー校准教授「日本企業は米国型を超える」『ボイス』によれば、失われた十年の間、日本経済は弱体化しましたが、「新しい日本型経営」が生まれたのです。ヴォーゲルは、「日本型システムの長所は、経営者と労働者とのよい関係に高い位置を置いている」と分析しています。それが企業間、サプライヤーと組み立て会社との協力関係にも見られるのです。ただ関係が密になりすぎて効率が悪くなってはなりません。しかし、弱点を最小限にし、長所を引伸ばすのが賢い選択であることは間違いありません。
 ただ、「日本企業の最大の問題は創造性に欠けている点」だとの批判もあります(郎咸平・香港中文大学首席講座教授「中国UPDATE」『論座』)。郎は、日本人の「和」とか「調和」を大事にする文化、つまり調和文化を打破しなければならないとします。それになしに、工場を中国に持ってきたとしても、労働コストが安かろうとも、問題の真の解決にはなんら結びつかないとのことです。
 やはり、ヴォーゲルが説くように、組織内・企業間は、和や調和の前に、「厳しいけど、温かい」、あるいは「忠実だが、要求も高い」関係が求められるのです。現段階での理想型を実現しているのはトヨタということになります。

 先の「従軍慰安婦問題」を含め、日本は「歴史問題」からなかなか抜けられません。日本のパブリックディプロマシー(広報外交)が充実していないのも一因ですが、もっと根本的な問題があるとロバート・D・エルドリッヂ大阪大学大学院准教授「不在の大国・日本」『中央公論』が詳述しています。言論の自由、人権尊重、法の支配……、国際政治で実に多くのよいことをしてきた平和的民主主義の日本ですが、戦後世界の中で顔が見えていないのです。戦後の国際政治史に登場していない、戦後世界で不在なのです。この不在を埋めるために、アメリカの大統領図書館と同様の歴代総理大臣の記念図書館建設をエルドリッヂは提唱するのです。地域振興、外国人研究者による研究の発展・成果の海外への波及、ひいては日本のソフトパワーの発揮につながるとのことです。「急がば回れ」といったところでしょうか。

 第8回「読売・吉野作造賞」の受賞作は『「帝国」の国際政治学』(東信堂)です。その発表と受賞作の作者・山本吉宣・青山学院大学教授の「受賞のことば 冷戦後の国際政治に見る肯定的帝国主義論」が『中央公論』にあります。アメリカの政策を肯定的帝国主義として読み直す必要がありそうです。

(文中・敬称略)

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