月刊総合雑誌07年12月号拾い読み (07年11月20日・記)
「メーカー、小売店のみならず、学校から病院まで、日本中がクレームの嵐に苦しんでいる」と、『中央公論』は、「一億総クレーマー社会」と題する特集を編んでいます。
まず、教育現場における悲惨なイラダチ・不信の構図を小野田正利・大阪大学大学院教授「追い詰める親、追い詰められる学校」が描いています。教員は疲労の極限状態にあり、親も経済的不安などから子育てに余裕を持てず、相互の不信感は深まる一方です。また、医療ミスや患者への対応の拙さもあずかり、医療現場では患者からの苦情の過激さが加速化しています(久坂部羊・医師・作家「暴走する“患者さま”」)。地域の共同体が機能しなくなり、所属する共同体に「当事者意識」を持たなくなると、人々はクレーマー化すると、内田樹・神戸女学院大学教授「日本人が共同体からの利益を捨てるまで」は説いています。映画「ALWAYS 三丁目の夕日」がヒットしたのは共同体への思い入れからだとも内田は分析しています。特集の結びとして、郷原信郎・桐蔭横浜大学教授「歪んだ『法令遵守』がクレーマーを大量生産する」があります。
それにしても、医療現場は大変なことになっています。患者からのクレームや訴訟の増加、医療事故への刑事介入もあり、患者・遺族と医師、医師同士の間の誹謗中傷にはすさまじいものがあります。この「医療崩壊」ともいうべき問題に『論座』が取り組んでいます(「特集 医療と司法〜対立するしかないのか〜」)。
遺族にとって不可解な死についての医師・医療機関の説明が不十分では訴訟が頻発するでしょう。岩瀬博太郎・千葉大学大学院教授がインタビューに応え説いているように、「すべての異状死を徹底究明する『検死局』をつくるべきです」。また「患者と医師との心のつながりを失わないためにも」、「専門医制度の充実、無過失補償制度や医療事故調査機構の創設」が求められています(岡井崇・昭和大学教授「被害者救済へ『無過失補償制度』の導入を」)。無過失補償制度とは、医師の過失の有無に無関係に、医療事故の被害者を一定の基準に従い裁判なしに救済する法制度のことです。さらには医療過誤などのネガティブ情報を共有することにより医療レベルの向上も図らなくてはなりません(打出喜義・金沢大学講師×南淵明宏・大和成和病院院長「医療を“内部”から崩壊させるな」)。
三浦展・カルチャースタディーズ研究所主宰×門倉貴史・BRICs経済研究所代表「正社員でも希望がないロスト・ジェネレーション」『中央公論』は、非正規雇用の比率が高い、いわゆるロスト・ジェネレーションに属する25歳から35歳の世代の状況を問題視します。「景気は回復すれど、希望は回復していない」のです。正社員になっても労働時間が増加するだけなのです。
若者が報われない状況下にあるのは、公務員の世界も同様です。霞が関のシステム改革が進まなかったこともあり、若手の退官が相次いでいます。若手官僚も希望が持てなくなっているのです。横田由美子・ルポライター「若手官僚はなぜ三年で霞が関を去るのか」『中央公論』が指摘するように、せっかくの秀才が官僚になっても多忙なだけで仕事は評価されず、一般企業以上に厳しい年功序列で給与は低額です。公務員制度改革は、単に天下りを禁止し、総人件費を削減するだけでは失敗するのは必定です。
横田は、同テーマで、『論座』の「公僕の行方」と題する特集にも寄稿しています(「霞が関を捨てるノンキャリたち」)。『論座』の特集内の加藤創太・国際大学教授「『制度を変える』ということ」も、天下りや宿舎などを取り上げ、公務員を叩いても抜本的な改革につながらないと憂慮しています。田中秀明・一橋大学准教授「専門性を高める具体策を」が提示するように、「府省横断的に幹部公務員を人事管理する『上級公務員制度』」の導入なども検討すべきときに来ています。なお、政治を改革するには、同時併行的に公務員制度を改革する必要があることは、高橋洋一・内閣参事官「構造改革六年半の舞台裏をすべて語ろう」『諸君!』でも如実にわかります。
ただ、防衛省の前大物次官の納入業者との過剰な癒着についての報道に接すると、抜本的な改革論議に入る前に、気分として公務員を「叩きたく」なるのではないでしょうか。過剰な癒着は、公務員制度問題に止まらず、防衛政策をも傷つけたのです(伊奈久喜・日本経済新聞論説副委員長「守屋事件の本当の深刻度」『中央公論』)。田村建雄・ジャーナリスト「独裁者 守屋武昌の告白」『文藝春秋』は、「本当の悪は他にいる」と政治家の汚職を示唆しています。真相の解明は、公務員制度のみならず、日本政治の改革にとっても必要です。つまり、政治改革は公務員制度改革でもあり、公務員制度改革は政治改革です、と記すべきでしょう。
参議院で民主党が第一党となったことで、民主党議員の生活も一変しました。民主党の議員たちが、急増した取材・訪問客に対応しながら、法案作成・新しい国会ルール作りに邁進する様相を、福山哲郎・参議院議員・民主党「民主党参院政審会長の“与党”はつらいよ日記」『論座』は詳述しています。
その民主党の安保・防衛政策に疑義が持たれています。小沢一郎・民主党代表が『世界』先月号に発表した論文(「今こそ国際安全保障の原則確立を」)が恰好の標的となっているのです。第一、『世界』の「小沢論文、私はこう読んだ」との企画に稿を寄せた6人(石破茂・防衛大臣、西山太吉・ジャーナリスト、横田耕一・流通経済大学教授、阪田雅裕・前内閣法制局長官、小寺彰・東京大学教授、遠藤乾・北海道大学教授)のうち、小沢に共鳴するのは西山ただ一人という状況です。
田久保忠衛・杏林大学客員教授「小沢一郎『世界』論文の支離滅裂を嗤う」『諸君!』は、「国連警察部隊ができれば平和は達成できる、と少年のように純粋な夢を大真面目に語っているとしか考えられない」と手厳しいものがあります。
北岡伸一・東京大学教授「小沢安保・憲法論と『分断政治』の行方」『中央公論』は、安全保障政策を政争の具としてはならないと、小沢及び民主党に注文します。さらに、小沢は「国連を美化し、重視しすぎている」と批判的です。また、国連のISAF(国際治安支援部隊)に参加すべきとの小沢の主張に、「憲法上禁止されていないことと、実行可能だということと、実行するということの間には、大きな差がある」と否定的です。
11月初旬、小沢と福田首相の間で大連立をめぐっての動きがあり、小沢の代表辞任騒動が出来しました。それらの動きを、締切りの関係上、12月号の各論考は追う時間的余裕はありませんでした。しかし、「小沢中心主義ではないのか」「“壊し屋”は返上したのか」と問題設定し、「民主党に政権を担う能力があるのか」を問う、二木啓孝・ジャーナリスト「小沢民主党への10の疑問」『文藝春秋』は、騒動があったからこそ、より緊迫感を持っています。自公政権は限界にきているようですが、かといって民主党に政権担当能力ありと即座にはならないところに、日本政治の窮状がありそうです。
「ここ十年余り、日本は改革につぐ改革で埋め尽くされた」で始まる藤原正彦・お茶の水女子大学教授「教養立国ニッポン」『文藝春秋』は、この十年の「構造改革」、とくに小泉政権以降の七年間を、「よくぞこれほど祖国日本の国柄を壊してくれた」と根底から否定します。上述の公務員制度改革をも含むのかもしれません。『国家の品格』の著者である藤原によれば、グローバル化の名のもとの経済至上主義・市場原理主義が社会から中流を無くしてしまう方向に働き、人心が乱れてしまったのです。「『経済軸』一本でやってきた戦後日本に、『教養軸』を加えて二本柱にしよう」との“救国”の提言です。「勁くたおやかな祖国を取り戻すため、教養主義の復活が切望される」のです。
国としての品格を、青木保・文化庁長官「『文化力』が日本の存在を輝かせる」『潮』も問題にします。今後、世界にあって、日本は経済や安全保障に留意するだけでなく、国家戦略として文化力を活用すべきと、青木は力説しています。アニメなどの現代日本文化の強さは伝統文化にルーツを有するからであり、「文化を大事にしながら生きいきと充実した生活をしている」ことがソフトパワーになり、国際社会の尊敬を勝ち得ることになるとのことです。
(文中・敬称略) |