月刊総合雑誌08年09月号拾い読み (08年08月20日・記)

 北京オリンピックの最中に、9月号を手にしました。その9月号のうち、『諸君!』が、「総力特集 北京五輪 虚飾の祭典 北京五輪を観てはならない10の理由」を編んでいました。「この後、なにが待っている? 知ったら最後、もう呑気にテレビ中継は観られない」とのことでした。五輪後、中国は大混乱し、日本は大影響を受けるというのです(田村秀男・産経新聞特別記者「投機マネー一気に逃亡、市場崩壊が日本に波及する」、青沼陽一郎・ジャーナリスト「五輪明け不況で食料価格暴騰、日本は飢餓に突入」ほか)。
『文藝春秋』には、「チベット弾圧、人権侵害、不気味な軍事力拡大―この国にオリンピック開催の資格はあるのか?」と銘打っての、「北京五輪 日中大論争」がありました。日本側は櫻井よしこ・ジャーナリストと田久保忠衛・評論家で、中国側が劉江永・清華大学教授と金燦栄・中国人民大学教授による「7時間闘論」です。日本側が民主化の必要を語り、若者の愛国心を過度だと危惧するのに対し、中国側は経済面・外交面で力をつけ世界での存在感が大となってきたことを正当に評価せよ、と主張しているかのように映じます。

「7月15日、全国の漁船20万隻が一斉に休漁した。東京では漁師の代表がデモ行進し、日比谷公園で窮状を訴える大会を開いた」、その背景を、葉上太郎・地方自治ジャーナリスト「日本から漁師が消える日」『文藝春秋』が詳述し、漁の経費が上がって、販売額が下がる構造を明らかにしています。漁師の生活が苦しくなったのは、世界的な原油高と報道されています。しかし、それは原因の一部でしかないようです。小売が販売額を決めることによる魚価の低迷や、乱獲や温暖化による水揚げの減少などが複雑に絡み合っています。さらに漁業に前途がないため、漁師は高齢化する一方です。

 農業でも生産者が高齢化して、農地も減少しています。かといって、日本の農業に可能性がないわけではなさそうです。財部誠一・経済ジャーナリスト「平成版・農地解放のとき」『ボイス』は、「飛び抜けて豊かな自然環境と技術の高さ」に可能性を見ています。ただし、「自給自足の家庭菜園でお茶を濁しながら農地の値上がりを待つ」ようなことを許していてはなりません。農地情報をデータベース化し、農地の賃貸借を簡略化しなくてはなりません。さらに、「新・農地法」によって、農地を経営資源と位置付け、農地の「所有と利用を分離する」仕組みを作りだす必要があると、財部は提言しています。

 村上正泰・元財務省課長補佐「医療費削減の戦犯はだれだ」『文藝春秋』は、32歳で霞が関を去った青年が剔出する官僚・官界の混迷です。小泉政権以降、「財政健全化」を旗印に実態を無視して、医療費は削減されてしまっています。経済財政諮問会議や財務省からの巨大な圧力に厚生労働省が抗することができなかったからだとのことです。官僚は頻繁にポストが変わります。担当分野に精通する時間はありません。さらに、「多忙→不勉強→視野狭窄」に陥っているとのことです。国民にとってもまことに不幸な事態というほかありません。なお、村上は、『中央公論』にも「特集 日本の医療は沈没する」の一環として、「医療費削減の迷走はまだ止まらない」を寄稿しています。
 上の『中央公論』の特集巻頭は、医師であり作家である、鎌田實と久坂部羊の二人による対談「あまりに現場を知らなすぎる!」です。鎌田は現今の医療制度改革を、「老人医療改革よりも、医療費抑制を優先させた」と批判します。久坂部は、いずれにしても高齢者医療の改革は不可避なのですから、「政治家も国民も医療関係者も、正面から語り合う時」だとし、今回の改革を大変革の端緒とすべきだと力説しています。
 同特集には、医療行政を司る舛添要一・厚生労働大臣による「“観客型民主主義”が医療を破壊する」もあります。政府や役所を手厳しく追及し、怒っているテレビ・キャスターに喝采しているだけの「観客型民主主義」では、年金や医療の問題はなんら解決しないと、舛添は国民にも注文をつけています。「自分が汗をかくことによって日本が良くなる」という原則が忘れられていると嘆いています。医療費の増大は、高齢者の数の増加だけでなく、医療水準が上がり、医療機器・薬品・手術すべてが高額になってきているからであり、将来的には国民皆保険制度を守るためには消費税のアップしか方法はないとのことです。
 老人医療が問題となるのは個々が孤立しているからでしょうか。玄田有史・東京大学教授「閉塞社会に希望はあるのか」『中央公論』によれば、「社会的に孤立した個人が増えつつある事実も、希望喪失社会のもう一つの姿」のようです。

 大分県で教員の採用に絡んでの汚職事件がありました。寺脇研・京都造形芸術大学教授「教育委員会を腐敗させたのは誰か」『中央公論』は、文部官僚としての体験を披歴しつつ、事件の裏側に迫ろうとしています。どうも教員出身者のみに人事を任せるようなシステムを放置してはならないようです。寺脇によれば、「日本全体が巨大談合社会でした。(中略)『最後の最後の聖域』がいくつか残っていて、その一つが大分だった」ということです。

 民主党の代表選を控え、民主党元代表であり現副代表の岡田克也・衆議院議員が『中央公論』(「政権交代がすべてに優先する」)と『文藝春秋』(「小沢さんと私は違う」)に登場しているのが目につきました。『中央公論』では、小沢一郎・現代表の手法に対し、「自分ならそういうやり方はしなかっただろう」という場面は多いと吐露し、政権交代実現が判断基準だとしながらも代表選で小沢支持するかは言を左右にしています。『文藝春秋』では、政権交代の必要性を強く訴え、かつ民主党政権誕生時には三つの改革の実現を約束しています。最低限の年金を国民全員が受け取れるようにする「社会保障制度改革」、権限・財源を地方に移す「地方分権改革」、増税を視野に置きつつもまずはプライマリーバランスの黒字化を目標とする「財政構造改革」です。岡田は、「一度裏切った人間は二度裏切る」と記しています。小沢一郎が念頭にあってのことなのでしょうか。

『論座』は「劇場化する地方政治」を特集しています。舛添が問題にする“観客型民主主義”とはいささか異なりますが、東国原英夫・宮崎県知事や橋下徹・大阪府知事の登場により、地方政治が“劇場化”の様相を呈しているというのです。宮崎県では知事批判が許されないほど、東国原知事が「神格化」されているようです(中尾祐児・毎日新聞宮崎支局記者「宮崎版・劇場型政治の功罪」)。
 だからでしょう、知事はもともと大統領型で「タレント」を活かしやすいポストですが、現状は「メディアポピュリズム」に堕していると、石田英敬・東京大学教授「〈笑う〉タレント知事とポピュリズム」は否定的です。石田の結論は、「(地方政治において)真の『対話と説得』というテーマに向き合うときが近づいているはずだ」です。まさしく、この3月に東京大学教授から熊本県知事に華麗なる転身をはかった蒲島郁夫は、「私は反対派を一生懸命説得するし、議会でも議論します。これこそが私が理想としてきた、討議民主主義です」と自らの役割を自覚しています(「蒲島郁夫インタビュー」)。熊本県、そして熊本県知事の今後を見守りたいものです。

 鳩山邦夫・前法務大臣が在任中13人の死刑を執行したことにより、死刑是非の論議が高まりました。鳩山は『諸君!』に「私を『死に神』と呼ばわった朝日新聞よ」を寄せています。『世界』は、死刑反対の立場から「死刑制度を問う」との特集を編んでいます。巻頭は加賀乙彦・作家と安田好宏・弁護士による対談「死刑は社会を野蛮にする」です。この他、亀井静香・衆議院議員・国民新党代表代行「強者の論理で人間を抹殺してはならない」、寺中誠・アムネスティ・インターナショナル日本事務局長「死刑は、政治的意思によって廃止できる」などがあります。巻頭対談冒頭での編集部による問題提起によりますと、現在、わが国では死刑に対する支持は約80%と高いのですが、世界の三分の二の国が死刑を廃止しています。犯罪に対し、厳罰化を求めるだけではならないとのことです。

『文藝春秋』に第139回芥川賞発表があり、楊逸の「時が滲む朝」が全文掲載されています。日本語を母語としない外国人(中国人女性)が初めて受賞したのです。選考委員の評価は真っ二つに割れています。小説を読んだあと、選評に目を通すと、各選考委員の問題意識を理解しやすいでしょう。

(文中・敬称略)

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