月刊総合雑誌09年5月号拾い読み (09年4月20日・記)
5月号では、小沢一郎・民主党代表関連の記事が目につきました。
『諸君!』の伊藤惇夫・政治ジャーナリストの論考のタイトルは言い得て妙です(「またも負けたか、小沢一郎」)。小沢、ひいては民主党は、あと一歩というときに詰めが甘い、と言うのです。伊藤は、上田清司・埼玉県知事の言「ホップ、ステップ、肉離れ」を紹介し、この「呪われた歴史」を民主党が繰り返す可能性が高いとしています。伊藤はさらに、『中央公論』に、「『小沢神話』の終わり」を寄せ、小沢の政治資金の集め方・政治手法が旧来型であるとし、民主党は組織のトップであっても邪魔になれば切り捨てるべきであり、それが政権与党への途だと展開しています。
小沢を支える鳩山由紀夫・民主党幹事長は、弟の鳩山邦夫・総務大臣と『文藝春秋』で対談しています。題して「自民党も民主党もいらない」。邦夫は、小沢を田中派の流れを汲む政治家として位置づけ、民主党や由紀夫と体質的に合うはずがないと指摘しています。それに対し、由紀夫は「(小沢は)変わったんだよ」と応じています。由紀夫は、『中央公論』(聞き手/田原総一朗・ジャーナリスト「企業・団体献金を全廃し、クリーンな民主党を再構築する」)にも登場し、検察の捜査を異常とし、小沢弁護に努めています。
民主党内にあって、少しく小沢と距離を置く野田佳彦・衆議院議員・民主党広報委員長は、民主党の政策が左傾化するのではとの不安を払拭すべく、『正論』に「保守の“王道”政治を受け継ぐわが決意」を寄稿しています。小沢のアメリカ離れと評されがちな言動は対米追随から脱し主体性を持つべきとのことと評価し、かつ現今の日本の危機を救うのは政権交代しかない、と力説しています。
立花隆・評論家×村山治・朝日新聞編集委員「小沢一郎の罪と罰」『文藝春秋』は、「小沢一郎の金脈に司直の手が及んだこと」を包括的に論じています。政治資金に関し、小沢はあまりに根深く旧自民党的であり、国民一般の思いと相当ズレている、と二人は指弾しています。立花によれば、「いま角栄・金丸的体質を残した最後の政治家の退場を目撃しているところなのかもしれない」のです。
中西輝政・京都大学教授「子供の政治が国を滅ぼす」『文藝春秋』は、国民一般の思いを立花とは違った観点から問題視します。戦前の政党政治崩壊を例に、「“清潔”を求める国民の声があり、それに応えようとする第一線の検察官たちの真摯この上ない使命感」によって政治腐敗を摘発していくと、かえって民主主義・政党政治が維持できなくなると危惧しています。「強大な権限を持つ検察に対して、政治家や国民からのチェックが十分に働いているか否か」が問題なのです。かつ政治が「メルトダウン」し、「大人の民主主義国」として備えているべき精神的な「安全装置」が機能していないと慨嘆しています。
戦後政治を振り返り、その流れに小沢を位置づけ、現在の課題に迫るのが、北岡伸一・東京大学教授「田中派政治の終焉と『新しい中道』への路」『中央公論』です。外交をもカネで解決するかのような田中派政治が行き詰まり、森政権から福田政権まで清和会政権が続いてきました。しかし、その自民党の政権担当能力の劣化は甚だしく、回復は見込めないとのことです。「国民は政治を自民党政権に任せ、自民党政権は最終的な決断をアメリカに任せてきた。これは自民党政治がもたらした『罪』の最たるものかもしれない。国民自身が責任を持ち、決断する時がきているのである」と北岡は問題提起しています。
神保太郎・ジャーナリスト「メディア批評第16回」『世界』は、「小沢民主党代表秘書逮捕をめぐる“推定有罪”報道」を糾弾しています。神保によれば、検察のリークなどを洪水のように垂れ流し、「日本のメディアは紙上裁判と言われる誤り」を重ねてきているのです。さらに、日本テレビの岐阜県庁裏金作り報道や『週刊新潮』の朝日新聞阪神支局襲撃事件の告白手記を取り上げ、報道機関・メディアの虚偽報道について論難しています。いずれも放映・報道前の裏付け調査が十全ではなかったようです。また、神保によれば、その後の検証記事や説明も不十分です。
『週刊新潮』問題を取り上げ、雑誌・出版ジャーナリズム全体が抱える病理に迫ろうとするのが、佐野眞一・ノンフィクション作家「雑誌ジャーナリズムは蘇生できるか」『世界』です。佐野は、「オレオレ詐欺」と「売る売る週刊誌」との形容を紹介し、『週刊新潮』の記事の虚偽性を論じています。書籍・雑誌販売売上高はピーク時の1996年(2兆6563億円)に対し、2008年は2兆0177億円で、この12年間で約6400億円の減だそうです。確かに、売上の減少で焦った「売る売る週刊誌」が「オレオレ詐欺」に騙された可能性はありそうです。
新聞も困難を抱えています。大手も赤字に転落し、生き残りをかけての新たな動きが見られます。このテーマに真正面から取り組んでいるのが、河内孝・ジャーナリスト×佐々木俊尚・ジャーナリスト「新聞崩壊は、メディア複合で食い止められるのか」『諸君!』です。二人とも新聞記者の出身であり、体験を織り交ぜながら、新聞界の動きを分析しています。河内によれば、「ニュース・ペーパー」たる新聞の「ニュース」のみ生き残り、大手は通信社化する可能性がありそうです。それも、テレビ局を含めてのメディア・コングロマリット(企業複合体)が作られ、その子会社となってのことです。ただし、権力監視などのジャーナリズムの本来的機能は、今後も、守り育てなくてはならないでしょう。
雑誌上にも「不況」の文字が躍っています。もっとも嘆くのではなく、“克服できるのだ”との激励調です。たとえば、『ボイス』の特集は「大不況・突破への挑戦」であり、『潮』の特別企画は「不況に負けない! 元気企業」です。
両誌ともに取り上げている企業にニトリがあります(堺屋太一・作家「創業の極意A ニトリは“進んで損をする”」『ボイス』、大下英治・作家×似鳥昭雄・ニトリ代表取締役「逆境こそチャンス! 逆転の発想で『値下げ断行』」『潮』)。ニトリの成功・躍進の理由は、タイトルからも想定できるように、売上減に直面したさいに、商品の値下げをもって対処したことです。まさしく“逆転の発想”だったのです。かかる発想が求められているのは理解できるのですが、どのような発想が逆転に相当するのか、局面ごとに違うのが、誰しもが頭を抱えるところではないでしょうか。
逆転とまでいかなくても、従来とは違った発想が求められます。モノ作りの終焉が説かれる昨今、モノだけでないシステムに日本の活路がありそうです。齋藤雅男・国連開発計画エグゼクティブ・アドバイザー(構成・解説/小牟田哲彦・作家)「新幹線輸出は“文明の衝突”である」『諸君!』は、日本の底力を教えてくれます。齋藤は、世界120ヵ国で、技術指導にあたってきた“シンカンセン・システムの父”です。新幹線は車両や軌道だけでなく、運行体制なども含めた総合的なシステムです。国際社会に今後も輸出できそうです。
日本のソフトパワーについての他国での評価には高いものがあります。齋藤の論考とともに、渡邊啓貴・在仏日本大使館広報・文化担当公使「日本文化の発信力の向上を」『中央公論』を併読するとよいでしょう。
中国に関しては、両極端の論があります。『ボイス』上だけでも、財部誠一・経済ジャーナリスト「中国特需が景気回復を呼ぶ」が中国を肯定的に描いていますが、中西輝政・京都大学教授「剣が峰に立つ中国」は否定的です。今年はチベットのダライ=ラマ14世が亡命した「ラサ動乱」から50年目にあたり、チベットは不安定要素です(田中奈美・ルポライター「チベット老共産党員がいま考えていること」『諸君!』、八木澤高明・フォト・ジャーナリスト「抵抗運動の陰で流れる民衆の涙」『中央公論』に詳しい)。中西が危惧するように政治問題・権力闘争が勃発し、中国経済は好転しないかもしれません。しかし、いずれにしましても、中国が重きをなしてきています。財部の説くように、中国の需要、東アジアの需要を日本の内需とするような気概が求められていそうです。
最後に、中山俊宏・津田塾大学准教授「追悼 永井陽之助」『中央公論』を紹介します。永井は『平和の代償』などを著し、現実主義の論客として活躍した国際政治学者です(昨年12月30日没、84歳)。
(文中・敬称略) |