月刊総合雑誌2010年10月号拾い読み (2010年9月20日・記)

 ちょうど『文藝春秋』10月号を手にしたとき、郵便不正事件で嘘の証明書を発行した罪に問われていた厚生労働省雇用均等・児童家庭局長をつとめていた女性キャリアに対し、大阪地裁は無罪の判決を言い渡したとの報に接しました(9月10日)。当事者の元局長に、江川紹子・ジャーナリストが取材し、それを構成した論考が『文藝春秋』にありました(「村木厚子『私は泣かない、屈さない』)。逮捕・勾留され、検事の“作文”により調書が作られていく過程が詳細に綴られています。検察に誘導されがちなマスコミ報道にも反省が求められます。

 同誌上の、野中広務・元内閣官房長官「小沢一郎『悪魔』が来りてホラを吹く」も目をひきました。「非情さや怨念によって政治をねじまげ」、かつ「カネ」を追い求める小沢には総理になる資格はないとし、「(小沢の)民主党代表選立候補の鬨の声は、かつての政治に生きた男の、断末魔の叫びなのです」と手厳しいものがあります。
 
 元・小泉総理秘書官の飯島勲が真山仁・作家と最近の総理たちの真贋を論じています(「小泉進次郎は総理の器か」『文藝春秋』)。飯島によれば、総理には、日本国代表、党代表、国会議員、個人という四つの顔があり、その四つを使いわけなくてはなりません。小泉以降、「総理大臣とは何か」との原理原則がわからないシロウトが代わる代わる総理を務めてしまっているのです。もちろん、当選一回の進次郎議員には期待は寄せるものの今後の精進が必要です。飯島によれば、民主党代表選後は、政界再編を見越した動きが激しくなるとのことです。

 石破茂・自民党衆議院議員×猪瀬直樹・作家・東京都知事「リーダーは戦前より劣化したか」『中央公論』は、日米開戦直前、「総力戦研究所」による“日本敗北の予言”を、当時の政府が無視した経緯を詳述しています。同様な過ちを現在の政府が犯しそうだと、両名は危惧しています。特に、昨今の総理に安保・外交戦略がなく、文民統制への理解が浅いことを問題視しています。

 5年5ヵ月にわたる小泉長期政権の背景には二大政党化と小選挙区化に伴う政党執行部の影響力拡大と内閣府の機能強化があったのですが、それらが小泉以降、なぜ機能しなかったのか、それよりもリーダー個人の資質を考えるべきか、以上の問題意識のもと、待鳥聡史・京都大学大学院教授「『強い首相』の時代は再来するのか」『中央公論』は展開します。制度、あるいは指導者を論ずべきかの問題です。待鳥によれば、政党内人材育成メカニズムが未整備であったこと、政治的判断がリーダーに集中することになったにも関わらず、その負荷に耐えられない首相だったこと、参議院が大きな壁となったこと、等々が問題なのです。

 馬淵澄夫・国交副大臣・民主党×河野太郎・自民党幹事長代理×水野賢一・みんなの党幹事長代理たちは「ねじれ国会の中でも国政を停滞させること」がないよう「必要な改革を実現していく」と決意表明しています(「若手八議員緊急提言」『文藝春秋』)。国会を真の「言論の府」として確立するよう努めるとのことです。

 菅政権は官僚路線に乗ってしまい、司令塔なき日本になっているため、経済政策が不十分になっていると、民主党政権を論難するのが、渡辺喜美・みんなの党代表(聞き手=田原総一朗・ジャーナリスト)「官僚依存の民主党で日本経済は沈没する」『中央公論』です。渡辺は、さらに公務員制度改革、国会議員の定数削減・選挙制度改革、地方主権と小さな政府を提唱しています。

 地方の問題に関しては、橋下徹・大阪府知事×河村たかし・名古屋市長「日本のなんちゃって民主主義を蹴散らしたるぞ」『中央公論』がありました。橋下は、府と市の重複行政を避けるため、「大阪都構想」を打ち上げています。河村は、「市民税減税の恒久化」「議員定数・報酬の削減」を掲げています。橋下は大阪市長の賛同を得られず、河村は市議会の反対にあっています。両名とも、既得権益にしがみついていると地方議会の在り方に疑義を呈しています。また、地方行政に携わる多くが、国からの分権を主張しながら、自らの裁量権を分権しようとしないと非難しています。

 ドル安・円高・株安関連では、『ボイス』の「巻頭の言葉」で、若田部昌澄・早稲田大学教授が「日銀よ、大胆な円高対策を」と、日銀による一層の金融緩和をもとめています。
 さらに、浜矩子・経済学者による2篇(「歴史的『円ドル』芝居の幕引きを」『中央公論』、「一ドル50円時代を覚悟せよ」『文藝春秋』)が目に止まりました。『中央公論』では、「秩序あるドル安」は避けられないと示唆しています。『文藝春秋』では、一歩進めて、もはや「円高回避ではなく、円高対応を考える」事態だと記しています。「一ドル=五十円」時代への対応には、経済体制や生活体系の組み直しが必要です。年金生活者が海外生活をエンジョイしてもよいし、若者が事業を海外で起こすチャンスでもあり、国内にあっては各地域特性を活かして、自立した地域経済を築くべきなのです。

 「将来は、想像するのではなく、創造するもの」と、小幡績・慶應義塾大学准教授「二十二世紀に成功している企業はどこか」『中央公論』は説いています。従来のような高度成長という枠組みで機能したモデルに固執してはジリ貧に陥ります。二十二世紀に成功する企業は、窯変型企業であり、「窯変とは、焼成した陶磁器が予期しない色や模様を呈すること」とのことです。

 いずれにしましても、日本経済の前途は明るいとは言い難いようです。
 一方、元気溌溂だったはずの中国経済にも問題ありと、『ボイス』が「中国経済『墜落』に備えよ」と題して特集しています。三橋貴明・経済評論家・作家「袋小路に突き当たった“投資依存”経済」は、最新の統計数字に基づき、中国は「先進諸国のような大衆消費社会を築くこともなく」、「中国の不動産バブル崩壊は、すでに『いつ、どれだけの規模をもって崩壊するか』が問われる段階に至っている」と断じています。何清漣・経済学者「続発するスト、『世界の工場』の終焉」は、労務コストが上昇し続け、もはや「中国という『世界の工場』にも夕暮れが訪れている」とし、かつ、中国は科学技術研究開発能力を身に付けていないので、経済構造の転換が困難だときわめて悲観的です。
 日本のバブル崩壊を見事予測した、ビル・エモット・英『エコノミスト』元編集長「成長率の鈍化は非常に健全だ」は、最近、成長率が鈍化していますが、タイトルどおり、健全だからだと、中国経済の現状に楽観的です。ただ、恐るべきは、インフレとのことです。

 東京足立区で111歳男性がミイラ化した遺体で発見されたことを端に、所在不明・未確認の高齢者が数多くいることがメディアで大きく報じられました。この問題を「消えた100歳老人、堕ちた倫理」と『中央公論』が特集しています。
 菊地正憲・ノンフィクションライター「東京・高齢者ブラックホール地帯を歩く」は、非婚・少子化が進めば、孤独死・行方不明の高齢者は増加するとしています。前村聡・日本経済新聞社記者「開いた“パンドラの箱”に希望はあるか」は、「無縁死」は累計で数万人にも上り、個人情報の取り扱いに注意しながらの「社会保障と税制に関する共通番号制度」の検討の必要性を説いています。松原隆一郎・東京大学大学院教授「問題とすべきは年金詐欺のみ」によれば、「消えた」老人たちが生じるだけでは誰も何の被害も受けない、問題があるとすれば、「年金の不正受給」が行われただけであり、「野垂れ死にする自由」があってもよいとのことです。
 上原善広・ノンフィクション作家「『消えた高齢者』無縁社会の泥沼」『文藝春秋』は、ホームレスになった高齢者とその家族へ取材し、地域活動に参加しない高齢者の急増、家庭崩壊を描き、「“家庭”の代わりのようなものをつくりだす必要に迫られている」と結んでいます。

 楽天とユニクロが社内公用語を英語とするとのことですが、成毛眞・インスパイア取締役ファウンダー「『企業の社内公用語を英語に』論の愚昧」『ボイス』は、社内の情報交換の効率ならびに経営効率が悪くなり、組織をおかしくするだけだと、反対しています。(肩書・雑誌掲載時)。

 

(文中・敬称略)

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